トップページにも書いたが、3年間勤めてくれた足立が本日をもって退職した。この3年間は、お茶の水の猿楽町から、茗荷谷に移り、人員を減らし、夫婦二人とフリーの編集者で本を作るという体制にかえて、それで1年回したところで、専門書の出版としてはうまくいかないことに気づいて、人を2人入れ、SOHOにいったんしたものの、子育て中の自宅では社員を育てるのが困難であるということに気がついて、事務所と自宅を分けることにし、6坪半の事務所に移ったところ、彼女からメールが来たのであった。最初に会った時は、移ったばかりの事務所のLANの設定中だった。
つまり、いったん、夫婦だけでひつじ書房を切り盛りしようと決意し、それでは出版社としてはうまくいかないと思い、再度、社員を雇って仕事をしようと決めて、動かしはじめたタイミングで彼女が現れたのだった。すでに2名がいて、3人目の社員であった。その後、すぐ大きな変動があり、結局、彼女が1人残ってくれて、それから今までを支えてくれたのである。ほぼ1年遅れて、北村が社員になり、いっしょに支えてくれたということだ。
この3年間は、ひつじにとって非常に大きな改革の時期だった。ひつじ書房はいろいろなことをやっているが、本来のもっとも重要な仕事である研究書を出していること自体をコアにすえようと思い、また、大手の出版社とちがって、研究書を出すことが一番だから、新しい研究を意志的にサポートしていく出版社にしようと決意し、方向を大きく梶を切り直した。その成果が、この春のひつじ研究叢書(言語編)の4冊の刊行と講座社会言語科学の刊行開始になっている。本作りのたいへんな時に、足立が支えてくれて、そしてその成果が今、実りはじめたという時期なのである。そしてさらにもう一歩先へという段階になっている。やっとロケットを打ち上げて、成層圏にでて、火星に向かおうというところで、地上に戻っていってしまったというところだろうか。次のステップでもいっしょに仕事をしてほしいというのが願いであったのだが、それはかなわない望みということだ。
今は、個別の記憶にふれたくないので、状況的なことを述べることにとどめたい。この3年間、ひつじを支えてくれたことに感謝するばかりである。彼女自身の今後の活躍を祈るばかりである。
「本の出し方」・「学術書の刊行の仕方」・スタッフ募集について・日誌の目次