3月末にiBookを落として、ハードディスクを認識しなくなった時には、身体の半分がもげたような喪失感をあじわった。落としたのは一瞬だが、結果は最悪。3ヶ月間の記憶が一瞬にしてパー。自業自得である。一瞬の不注意が、それまでの記録を喪失させる。単にメモリーが失われるということだけではなく、直前までの過去の自分の思考自体がもぎ取られた感じ。パソコンで、電脳的な書斎ができるという人がいるが、自宅が狭くても書斎がもてて幸せというのだが、書斎であるばかりではなく自分の頭脳でもある。これは恐ろしいことだ。パソコンが壊れると言うことは、書斎と頭脳をいっしょに失うことになる。パソコンの中にすべてのデータを入れて、パソコンだけで仕事をしようとしてしまうと、ハードディスクが失われてしまうとすべてのものを失ってしまうということになる。
メールには過去のやりとりが残されている。編集者の仕事として、5年前に立てた企画とか、4年前に依頼した原稿の久方ぶりの催促とか、あるいは思いもかけず、ほとんど忘れかけているときに原稿が届くとか、かなり長いスパンで行っている仕事も多い。それは、人間関係とも言うべきものだろう。それとつながっている糸が、失われてしまうということ。
データのバックアップを取ろう。それはそうなのだが、データのおいておく位置関係まではバックアップされない。机の引き出しの整理の上手な人はそうではないのだろうか。データは残ったかもしれないが、どのデータの隣にそのデータがあったのかということは失われる。デスクトップ上の位置関係も大事なのだ。つまり、本棚の位置関係や、背表紙の色やくたびれ具合なども記憶するには重要な要素であるのと同じく、パソコンのどの場所においてあるかが記憶を呼び起こすために重要な要素なのだ。(これはマックを使う人だけの習性か?)ただ、コピーするだけでは、その位置関係までの記憶は残らない。
また、実際の問題としてどんどんバックアップを取ったとしても、どれをどのように取ったのか、取り損ねはないのか、上書きしてもよいものなのか…については自信がもてない。もてないと同じもの、あるいは少しのバージョン違いのものをたくさんあちこちに保存することになり。検索しようにもどういう名前であったかも忘れてしまうと探せない。ファイルは増えるし、探せないし…(ただ、整理整頓ができないだけ?あるいはキャパを越えて仕事をしすぎ?そんなに能力はないって?)
ハードディスクが壊れたのに懲りて、メールはwindowsマシンのジャストシステムのメールソフトの手裏剣でも読んでいる。しかし、こちらは受信だけだから、発信した方は保存されないのだ。元のパソコンが壊れてしまうと発信した方の内容の記録はなくなってしまう。全く同じ設定のパソコンに同期しておくということか。とりあえず、受けた方も出した方も重要なことは紙に打ち出して、プロジェクトごとに紙のファイルに入れてとっておくということか。
マックのOS 9の時はurtra findという優れものがあって、作った日にち、作ったアプリケーション名、ひいてはファイルの中の文字列でさえも検索できた。私のデスクトップは、パソコンのデスクトップではなく、urtra findがそうだった。それが、OS Xではうまく使えなくなってしまった。OS Xの次のTigerでは、spotlightというソフトが同じようなことをできるようにするようだ。これに期待して、バージョンアップすべきかもしれない。どれだけ使えるのだろう?
このような問題は、すでに多くの人にとって解決済みの問題なのかもしれない。それであれば、ご馳走しますのでどうかお教え下さい。
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