橋本治の「江戸にフランス革命を!」ではないが、文学部に経営学科を作ろう。これは英文学科を実務英語を教える場所にするのとは、全く逆の発想である。文学や言語に中途半端な、実務的な色合いをつけて、世間から役に立たないといわれている学科を何とか、世の中に役に立つものにするというのとは逆だ。
文化的な営みは、その営み自体で社会に必要なものなのだ。それは、社会を改革する源になる。今回は、その説明はしない。優れた文化的な営みは、社会改革に必要なものであるということを前提としてしよう。(これについては、企画が進行中。)そうであるならば、問題はそれを社会にどう位置づけるかだ。それは<マネジメント>ということだろう。文化的な営みは、シンプルには役に立たないから、こんなことに役に立ちますよねと簡単に腑に落ちない。だから、説明は非常に高度な論理が必要である。残念ながら、それは今までなかった。世間知らずであることを誇りにしていた、というところもあるだろう。某文学学会が、学会事務センターの倒産に伴って、1500万円も失ってしまったそうだ。しかし、逆ではないのだろうか。社会に認められにくいものであれば、よりいっそう経営センスが必要であり、説得力とレトリックは重要になるのではないだろうか?
であるならば、文学部にこそ経営学科が必要だ。文学部に経営が必要であり、儲からない美術館、博物館、図書館をこそ切り盛りする能力を文学部は提案できなければならない。(平田オリザ氏のいる桜美林大学のアートマネジメント科はそういう意味があるだろう。)努力しないでも(そんな商売はないか?)儲かる商売なら、経営は不要だ。儲からないからそこ、アイディアが必要であり、経営が必要なのだ。
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