2004年2月12日(木)
本木昌造展
印刷博物館で開催されている本木昌造展に行ってきた。私は、電胎法という活字を作る技術を知ることができたので大満足であったが、活字というもの自体を分かっていない人がみて、内容がわかる企画展示であったかというとこころもとない。活字というものは何なのだろう。なぜ、本木が電胎法を使って、漢字の活字を作ったのか。というものの、私は杉本つとむ先生にすすめられて、『光をかかぐる人々』(徳永直)を読んでいたから、そう思うのかもしれない。ちなみに徳永直は、プロレタリア文学「太陽のない街」の作者である。太陽のない街は共同印刷の争議をあつかったもので、それは本人が印刷工であった体験による。印刷→作家→本木の研究、といのは一連の流れがあり、それが本木の活字の意義について肉薄している理由かもしれない。
また、常設展でライノタイプが動いているビデオを見ることができたのも収穫であった。ポストスクリプトとイラストレイターとページメーカーは、活字の正当な後継者である。活字こそが、デジタルのはじまりであり、そこから近代ははじまったのだろう。それは明治の元勲たちがパイオニアであったから、長崎通詞が近代化を進めた偉大な先人であったということだけが理由であるわけではない。
しかし、そこに印刷関係の本が並んでおり『本ができるまで』(岩波ジュニア新書)を買ってきたが、読んでみるとウソが多いのでとても驚いた。杉田玄白らが訳したターヘル・アナトミアによって、日本人が人体の内部を知ったかのように書いているが、これはウソである。漢方医の山脇東洋がすでにその前に解剖している。岩波はやっぱり西洋崇拝の気が抜けないのだろうか?
杉本先生によると山脇東洋は、自分で腑分けを行ったが、玄白たちは、犯罪人を扱うものに解剖させたということである。また、東洋はその解剖した死刑囚を弔っているそうだ。玄白の偉業をおとしめる必要はないが、漢方医でそのようなことを行っている人がいることは顕彰すべきだろう。
山脇東洋の碑
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