2003年8月2日の日誌 ポストインダストリー時代の「産業」支援策

2003年8月3日(日)

インダストリー時代の「情報」観

情報とは何だろうか。まず、そのもの自体ではなく、そのものについてのテキスト、画像や絵である。富士山というものがあるわけだが、それ自体というものがあるわけではなく、そういう名前や言及する時のことばがあるということだ。その点ではまずは2次性がある。これらを何と呼ぶのだろうか<指示><ダイクシス>???。これらは、これらだけで意味を持つ場合もあるが、これら同士の参照によって意味を持つ。たとえば、「失恋」ということばは、それぞれの人の経験や、人の経験や読んだ小説や見たドラマ、との連関によって、相乗される。ことばのマトリックスやネットワークによって、情報は拡大する。この網の目をたぐり寄せるためのものがコンテクストということになり、リファーすることやレビューすることが意味を持ってくる。

というようなことは大前提であるはずなのだが、情報はバイト数で計れるという人がいる。情報の教科書にはなんと書いてあるのだろうか。コンテクスト、リファーやメタ情報についての言及はないのだろうか?

情報を考えるためには、情報のことだけを考えていてはだめで、情報が生み出すものについて考える必要がある、ということだろう。もし、コンテキストに理解のない間違った「情報観」が波及してしまうと、情報政策、情報教育、情報産業などにとっても大きな損失をおこしてしまうだろう。

どうもここでも日経の勉強会と同じで、プロダクトアウトの発想なのである。インダストリー時代の「情報」観であるということだろう。ただ、理解していない人を説得するためには、基礎的な文献を探して、読まないといけないだろう。この程度の議論は、情報学者の中で論争でもしておいてほしいレベルである。

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