日本語研究叢書の刊行状況について書くのが、毎年、恒例のようになってしまっているが、昨年度は、城田俊先生の『日本語形態論』を1冊刊行できた。前回の「房主より」の時は、1冊も刊行できていなかったことを考えるとまだましだといえる。一方、7年越しで催促している本も、ないこともないということは、正直なかなかきついものがある。なぜなら日本語研究叢書は、名目だけでなく、経済的にもひつじ書房の基盤となっているからだ。400人を越える予約者の方がいてくださり、日本語研究叢書は、出した段階で、きちんと本が売れてくれるため、印刷所への支払いの資金繰りの心配も無く、精神的にも本当に楽なのだ。(著者の方々、予約してくださっている方々に心よりお礼を申し上げたい。あなた方のおかげで、我々は本を出せているのです。)全巻セットの場合は、基本的に現代語の研究者の方でも、古代語の巻も含めて予約していただいている。こちらがわの論理かもしれないが、日本語あるいは言語の問題を考える時、歴史的な言語の研究を知ることはけっして意味のないことではないと信じている。おかげで、古代語の研究書にしては、比較的安価な値段に設定できているのではないだろうか。(ちなみに遅れているが、鈴木泰先生の『古代日本語のテンス・アスペクト』は、6月頃、重版刊行する予定。これは、大幅な改定が行われているので、2版となる)
屋台骨となるべき、日本語研究叢書の刊行スケジュールが、不安定であることから、1昨年から、ひつじ書房では、リストラを行った。リストラというと人員整理だったり、配置転換だったり、というイメージがあるが、ひつじ書房に余分な人手や部署があるわけではない。リストラの意味は、今まで印刷所に発注していた本作りの組版の部分を、100パーセント近く、自前で作るようにしたということである。今まで編集部にいた人が、活字の文選・植字工も兼ねるようになったともいえるから、一種のリストラといってもいいだろう。昨年、事務所を広くしたのも、儲かっているからではなくて、「本作り工房」として、スタッフが仕事をしやすいようにという理由からだった。そのために、事務所内は、お互いのコンピュータでデータがやりとりできるように、ネットワークが引いてあり、インターネットにもつながっている。編集部というより、まさに工房である。いずれは製本までやりたいとさえ思っている。また、長崎県の五島列島に住む義姉のところに、マックとプリンターと通信用のモデムを送って、DTPの仕事をしてもらっている。レイアウトしてもらったデータをメールに添付して送ってもらうこともある。義姉だけではなく、姉の友人も巻き込んだ。こんなことができるのは、パソコンとインターネットのおかげだ。こうして外注費を減らすことはできるが、これはいいことばかりではない。手間が余分にかかる分、刊行点数は、減っていかざるを得ない。刊行点数を絞らざるを得ないことと、外注費の削減は、難しいバランスの上に立っている。これらが、バランスよく行けば、会社の経営が安定に向かう。出版社のあり方を変えるリストラは、まだはじめたばかりなのである。
そもそも、日本語研究叢書に頼りすぎているのが、問題だったのかもしれない。そろそろ、経営的にリスクは分散させるべきだ。これが、うまく行くかそうでないかは、危険を伴うことではあるのだけれども。ひつじ書房では、ここ数年、紙から電子へという中での出版活動の生き残りをかけて、インターネットで発信したり、独自のWEBサーバーを持ったり、電子紀要の提唱など、先駆けて実験を行ってきた。人文科学の世界であっても、メディアの興亡・移り変わりの影響から、逃れられるものではないからである。このメディアの変化は、出版社のあり方をも変え、研究書の刊行に多大な影響を与える。だから、そのことを考えること自体、重要なことなのだ。ここで考えるだけでなく、この試行錯誤を、本の企画自体に生かそうと考えた。一つは、新しい時代の「読み書き」を考えるメディアコミュニケーションを検討するもの。6月末に刊行予定の家辺勝文著『デジタルテキストの技法』から、スタートする。電子の時代になって、書き方というものは、変化するのだろうか?
また、メディアとはなにかをとらえ直す視座もこの中にはふくまれている。加えて、認知科学関連のシリーズを発刊させる予定である。論文の原稿を書くと言う行為自体も社会的な意味も、メディアに関わっている。コミュニケーションという意味では、言語学はそもそもフルに関わっている。言語学をはじめ、人文科学の領域を研究する人には、ぜひとも読んでいただきたいと思っている。
言語学だけなら、比較的得意なフィールドであるが、人文科学全般に関わるような本というのは、マーケットは大きいが、不確定な要素が多くなる。専門的な本であれば、読者も定まっているし、どこに情報を流せばいいのか、案内をどうおくればいいのか、具体的にわかる。情報を伝える行為も、的確に行うことができる。そうではない本を出す場合、リスクは、高まってしまう。
昨年の秋から、トーハンと日販という日本での2大取次と取引を始めることができた。全国津々浦々まで、とりあえず流通を確保することと、どの書店から注文が来ているか、知りたい(地方小出版流通センターで本を送っていた時代は、判明しようがなかった)という営業的な意味から、口座を開いたのであるが、注文品であっても、入金は30パーセントは7カ月後まで伸ばされるので、結果としてよかったのかは、分からない。新刊委託も、全国に配本できるのはよい点だが、8割強戻ってくるし、定価の5パーセントの手数料が、即座に請求されてしまう。売れても、支払いは7カ月後であるにもかかわらずである。おまけに返本された本は最悪の状態で戻ってくる。はっきりいって、流通を独占している企業による最悪な条件の押しつけである。専務は、「トーハンと日販との取引を止めて地方小に注文だけ出荷していたやり方に戻せ!」と時々叫んでいる。それはともかく、新しい分野の本を刊行することと広い流通に流せることが、相乗効果を上げてくれるようにしていかなければならない。これは大きな課題と言えよう。私は、現在、起きている「情報のデジタル化」の流れは、基本的に正当な流れだと思っている。であるならば、この方向に適した、あるいは方向をより良い方向に向けて、力を発揮できるような出版活動は、必要であり、そのためにこの劣悪な流通をも利用して、ひつじ書房の存在を知ってもらいたいと考えている。(書店で配布されている『これからでる本』に情報を掲載してもらうために、書協という出版社の団体に加盟もした。)また、ひつじ書房では、専門書の書評で知られるNewYork
Times Bookreviewの日本でのオンライン版をめざして書評ホームページ(http://www.shohyo.co.jp/)を試運転している。これは、専門書の情報が流れ、流通も促進したいという願いの実現のためのひとつの試みである。交渉中だが、オンライン書店などと組んで、書評ホームページの書評に載った書籍は、オンラインでそのまま注文できるようにしようともしている。
言語学の出版を、今以上に多くの読書人に知ってもらうため、1社でできることには、限りがある。私が、大手取次と口座を開いたあとで、山形大学の国語学会にむけて、福島・仙台と出張して驚いた。書店に言語学のコーナーがないのである。去年、島根県米子の今井書店の「本の学校」にもなかったのにショックをうけていたのに。つまり、東京や名古屋、関西の主要都市を除いて、本屋さんには言語学のコーナーがない!ということなのだ。この状況を、どうにか打ち破りたいと、大修館書店やくろしお出版などと共同で宣伝、営業活動を行う言語学出版社フォーラムを、結成準備中である。
私が述べたことなど、詳細はひつじ書房のホームページ(http://www.hituzi.co.jp/hituzi/index.html)で記している。関心のある方は、ぜひご覧いただきたい。
最後に、今年も、伊坂淳一さん、和田敦彦さんに巻頭のエッセイをお願いした。あつく御礼申し上げる。いつも広告を載せて下さっているパスカルさんにもお礼を述べたい。今年は、経営上の問題から、秋に決算期を移動する。それにともなって(?)、未発をもう一号秋に刊行する予定である。いつもながら、多くの方のご支援とご批判をお願い申しあげる。
松本 功(房主)・松本久美子(専務)
スタッフ 但野真理・桑原祥子・岡本尚央子・松本 実(春日部)・入口三津子(福江)