夜の時間が大切だということを嘗ては口癖にしていたにも拘らず、余以外 の他人に彼の部屋で接している間は、無理に引き止めては、而もわざとらし 気に愛嬌などを振りまいているのだ。一体彼は、他人に対しては或る程度ま では万遍のない男なのだが、この頃のは極端だ、第一、誰が来ても必ずあの 書斎に引き入れるのからして常とは違う。
余などは顔も知らなかった見るからに芸術家らしい若い男と、睦まじげに 語り合っていることもあった。何を語り合っているのか知らないが、おそら く芸術談に花を咲かせているのだろう。朗らかな態度で、滝の方が余計に口 を動かしている。若者は、時々紙片を手にして、何かを朗読した。滝は神妙 に首をかしげていた。到頭彼等は、珈琲をすすりながら、殆ど口を休めるこ となく語らって夜を明した。 夜の時間が大切だということを嘗ては口癖に していたにも拘らず、余以外の他人に彼の部屋で接している間は、無理に引 き止めては、而もわざとらし気に愛嬌などを振りまいているのだ。一体彼は、 他人に対しては或る程度までは万遍のない男なのだが、この頃のは極端だ、 第一、誰が来ても必ずあの書斎に引き入れるのからして常とは違う。
街の活動写真館の楽手を師匠にしてラッパの練習に余念のない晩もあった。 ラッパの音は、ここまで聞こえて来る。それでも彼は、朝になって余には相 変らずのことしか云わない。余も、平気で彼の云う創作の枚数を指折ってい る。
母親と彼とが、二人限りで行儀よく向い合っていた晩もあった。何か彼が 意見されているらしい様子だった。彼は折々横を向いて硝子戸に顔を映した。 セセラ嗤うような表情もした。今にも泣き出しそうに口を歪めもした。母の 方に向き直ると、屹として背骨を伸ばした。母の姿が消えると同時に、彼は 卒倒したのかと思われるばかりに寝台に打ち倒れる−−たしかに、あれは泣 きくずれた動作だった。そのまま、ここに出かけるまでは起きあがらなかっ た。
そうかと思うと彼が細君にダンスの指導をしていることもあった。細君は、 初めて習うのらしい。滝は異人に付き合いがあって、それは、家族の他では 余だけしか知らないのだが、中学の時分にあんなことを覚えさせられた筈だ。 その頃、偶然のことで余に見つかると彼は、火のように赤くなって、踊りの 最中、相手を振りもぎるやいなや湯殿の中にかくれて、どうしても顔を現さ なかったことがあった。それ以来彼は、どこで遇っても余の眼を避けるよう な態度を続けていた、余も、決して口には出さなかったが、直ぐに忘れてし まった。
滝は、何となくテレ臭がっているらしい細君をとらえて、むきになって鞭 撻していた。彼のテーブルの上では、殆ど見かけたことのない古風なラッパ のついた蓄音器が廻っていた。−−尤も、これはたった一晩だけの光景だっ た、細君も調子を覚えて、終いには中々愉快そうに、夜更けまで繰り返して いたので、屹度幾晩も続けるだろうと思ったが。
いろいろな人が夜毎に現れては去りしていたが、滝だけはどんな場合でも 決してそこから立ち去ることはしなかった。つまり余の眼界から消えること をしなかった。相手のない時は、居眠りをしているか、全くの無考えらしい 表情で、無暗に煙草を喫している。電灯を消したことさえ無い。それも以前 から見ると、余程大きなのを用いているらしく、煌々たる光りが三方の硝子 戸を透してあたりの闇を圧しのけている。雨戸であった頃には、障子の明る さが、そしてここから見るとそこの恰好も行燈に違いなかった。日が暮れて からは、余等が通りさえしなければ全く人通りの無い所だから好いが、万一 通るものがあれば滝の模様は梟の眼にも隈なく映ずるであろう。
あれでは、独りの時は、余以上に退屈なのも無理もない。相手を欲しがっ ているのはその証拠だろう。余の知らなかった頃の夜の滝が、矢張りああだ ったのかと思うとそぞろに憐れみの感さえ涌く。凧の製作に熱中でもするよ り他に思案の尽きたのも道理だ。なぜ彼は、余技的な気持で文章が書けない のだろうか、凧の製作の場合だって彼は、いざそれに取りかかったとなると あんな風に全生命を傾けてしまうのだ。彼には、どんな種類の仕事でも厭々 ながら従事するということが出来ない質らしい。気紛れや我儘で放擲するの ではなくて、激情に逆に圧迫されてしまうのだ。彼は、二度ばかり勤めに出 たこともあったが、失敗の原因は怠慢ではなかった。結局彼は、気持ばかり が積極的に切羽詰って、傍目には又とないナマケモノの月日を繰り返してい るのだ。
寝ていることも、煙草を喫し続けることも、それぞれ熱中の挙句堪えられ なくなったと見えて、この頃彼は、独りの時間を様々な仕事に費しはじめた。 或る晩は、窓辺に近い椅子に凭って月を仰ぎながら、マンドリンの弾奏に余 念がなかった。余程指先に力を籠めたと見えて、余の部屋に来た時には手先 が震えていた。組み続けた脚も酷く痺れたらしく、杖をついて小径を上って 来た。或る晩は、机の上に実験用の硝子器具を整えて(見ると悉く余の所有 のものだ。いつの間に持ち込んだのだろう。油断のならない奴だ! と思っ た。それにしても余は彼の行動は細大洩さず観察しているわけなのだが、あ れらの器具を持ち出したことだけは気づかなかった。して見ると、余の眼の とどかない彼の時間の余裕がどこかにあるのかしら?)怖ろしく鹿爪らしい 顔つきをして頻りに何やらを調合している。あんな道具の用途を知っている のも、そして扱い方だけは中々巧みであることも不思議だ。額にセルロイド の光線避けなどを冠って、忙し気に手の先きを働かせてはいるが、験ってい ることは、至極単純なことらしかった。ただ徒らに物々しく器具や液体を弄 んでいるだけなのだ。真に無内容な悪戯に過ぎないのだ。ただ、若しあの様 子だけを写真に撮れば、正しく研究室に於ける厳かな科学者の姿だ。別の晩 には彼は、シャボン玉を吹いていた。若し内容があったにしても前の晩のこ とだけは余以外の者には解らない。また、あの晩の続きを験るのかと最初は 思ったが、シャボン玉の液はこの晩に新しく拵えたのであった。
彼は、様々な大きさのシャボン玉を無数に吹いた。彼の顔に多少の享楽の 色が現れたのはこの時だけだった。
又の晩は彼は、椅子の上に胡坐をかいて酒を飲んでいた。あんなに彼が酒 を飲めるのを余は初めて知った。次第に酔って来たかと思うと彼は、怪しげ な足どりで寝台の上に這いあがった。彼は、そこで「最初の舟酔い」の話と 全く同様な、苦悶を演じた。真実酒に酔っての上で苦悶をしているのかと思 っているうちに、次第に彼の動作はあの話に適合し出した。彼の様々な行動 を眺めていると、同乗の人々の姿までが余にもはっきりと描かれたのである。 小舟はグラグラと動揺した。 今まで一晩でも同じことを行ったことがなか ったが、もう何の思案も面倒になったと見えて彼は、あの話の繰り返しを始 めたのか?
彼は、静かに舟舷に這い寄ると胸を掻き毟って真に迫った真似で、嘔吐し た。そして一層細かな動作で、周囲の人々の姿を、見える彼と同じくまざま ざと余の眼前に髣髴させた。そのうちに話とは違って、アワヤと云う間に舟 は転覆した。彼は、酔いも消え失せたかの如く直ぐさま女達を舟に救いあげ た。最後に彼は、叔父さん体の幻と海中で大格闘を演じた。彼の方が泳ぎが 達者だった。あの男を余つ程滝は、憎んでいるらしい。どういう鳧をつける かと思って余は胸を躍らせて眺めていたのであるが、結局、弱ってしまった 相手を舟へ引きあげそうにしたところまで演りかけている途中で彼は、ほん とうに苦しくなって窓から首を出してゲロを吐いた。彼が殊の外丹念に部屋 の後片づけをしているうちに東の空が白んで来た。そしてここに来たのであ った。
「昨夜は何枚ぐらい進んだ?」
「二枚しかはかどらなかったよ。」
「それは近頃珍らしい不成績だね。だが、もう百枚近くなったじゃないか、 クライマックスはもう過ぎたのか?」
「僕の小説にはそんなものはないよ。」
「でも、もう結末に近いのか?」
余等は相変らず、顔を合せればまことしやかにこんな会話を取り交してい る。一時は希ったが、今では余は、彼の仕事が終った後のことを思うと、却 って寂しさが来るだろうという懸念が涌いている。滝自身もいつか余に向っ て、創作の仕事をしないと寂しいと云い、余はその空々しさに腹立ちを覚え たことを記したが、今では何となく彼の言葉に対して、云い様のない共鳴を 感じている。
(註。二人が枕を並べて寝に就き、鼾があがると間もなく、滝は独り眼を 醒すのであった。彼は真実一度眠りに陥ちるのであるが、必ず直ぐに神経的 に醒めるのであった。彼は起き上るとBの机上にある日録を開いて、その日 その日に増えている個所を原稿用紙に移し直しているのであった。彼が、毎 朝Bに云う枚数はそれのことだった。彼はこれをBに事更に秘しているわけ ではなかったが、Bが眼鏡で覗いていることを彼に云いそびれている心持と 同様だった。そして滝は、夜の自分の部屋に居る間は、Bに覗かれていると いうことを全く忘れるのであった。それは彼が一つの仕事のみに熱中する質 から見れば当然のことなのである。この実験用具は、Bの日録の続きが無い 時に、わけもなく一つ宛運んでいたのだ。この頃は続記の無い日には滝は、 Bの眼鏡を執って、朝陽の射し込んでいる何の人影もないガランとした自分 の部屋をじっと覗いているのが常だった。再び眠くなってBの隣に倒れるま での間を−−。)
ついこの間余が見た夢は何か連想がある気がして考えて見ると、それは余 が六七歳の頃初めて見た活動写真の記憶であった。大写しになって現れた二 人の男が西瓜を喰う光景なのだ。半月型の大西瓜を両掌で支えて男達は大口 をあけて貪り喰った。傍を向いてペッペッと種子を吐いては、熊のように首 を振りながら一心に西瓜を喰うのだ。二人とも余りに夢中で、どうかすると 自分の手の西瓜と隣の男のそれとを見損なって齧ったりする……。物を喰う 表情を端的に誇示する目的で写した写真なのだ。夢のことは一切日録には記 さないことを掟にしているのだが、馬鹿に明瞭に頭に残っているのが吾なが ら可笑しな気がした。余が日録の筆を執り初めたのは七歳の時からだから、 当時の日誌に、このことは誌してあるかも知れない。思えば、当時の写真は 悉く筋や意味のない単に写真が動くということだけを示した標本的のものば かりであった。「煙草を喫している人」とか、「笛を吹く人」とか、「駈け る馬」とか、「演説をしている人」とか、「黒板に画を描く人」とか−−。