多くの方のおかげで、1年を待たずして1万アクセスをこえることができた。感慨深いものがある。経済的に厳しいものがあるが、こういうことは心の支えの一つになり得る。
さて、現在、新しいことを考えている。ここでそのタイトルだけ公開しておこう。マイナー批評に対応した大々的な書評のホームページを作る。次に報告書・紀要などの学術情報を公開する事業をおこす。この2つを今年はスタートさせる。両方とも21世紀に出版社が存在するためにどうしても欠かせないプロジェクトだと思っている。
普通、編集者は表に出ないものとされている。一般的には、それが編集者の美学ということになっている。まあ、私の場合、こんな日誌を公開したり、出版業界的な標準から相当ずれているわけだが。
しかしながら、出した本が自然に売れていくルートを持っている会社、本人が出張らなくても、誰かに替わりに紹介記事なりを書いてもらえるコネのある人は、いいとして、既存のそういったルートのないものにとっては、違うのではないか。
それに本というものがこういうものであると割り切っている時代や世間的なイメージにはずれない普通の本の場合は、説明を要しないだろう。しかしながら、研究書や新しすぎる本の場合、そういう既存のイメージに合致しないわけで説明がなければ本として認識してももらえないということさえありえるわけである。
ここ数年から10年くらいの間、既存の本が崩れ、新しい本に入れ替わる時代となるだろう。だから、私は、説明が、言葉が必要だろうと思うのだ。黒子に徹するというが、黒子は見えないものという約束事がみなに知られていなければ、あんなに目立つ存在はないだろう。
97年度が、もうすぐ始まるが、たぶん、ひつじ書房は大幅に変わるということを予言しておこう。別にヌードの写真集を出すとかいうことではない。21世紀の学術専門出版社と、生き残る方策を探るために今までの出版とは違うことを始めるということである。本当にできるかな? 乞うご期待!具体的な内容は、近日の内に明らかになるであろう。ははは・・・・・。
あることがあって、手動写植屋さんと紙焼き屋さんを探したところ、昨年の末に廃業していた。これらの仕事は十年前には、出版の本づくりを支えてきた仕事であった。ところが、もうすでに出版社が多く並ぶ猿楽町・神保町でなくなってきているのである。紙焼きは本を作るときに写真を加工したりする時に必須の仕事であった。それがなくなってきているということは、たぶん画像データがデジタルに処理されることがおおくなって、実際にカメラを使って行うことが多くの場合必要なくなって来ているからだろう。本作りが、変わってきているということだが、旧来の方法による本作りは難しくなってくるだろう。たとえば、今後は、写真は入稿の時にデジタルでもううということが前提になってしまうかもしれない。
アップル社が提唱していたOPENDOCだが、今後は開発を進めないということらしい。NeXTに合流するのでそっちの方ですすめるということだろうが、残念なことだ。というかこのOPENDOCというものには新しい視点を与えられたので感謝しているから、恩人が消えていったようで寂しいのだ。OPENDOCとは、たとえば一太郎がワープロの様々な機能を持っているわけだ。ルビとか縦書きとか、印刷とか。それらの様々な機能を独立のソフトにして、使用者の好みによっていっしょに使ったり、別々に使ったりできるようにしようというものだった。それぞれの機能が独立していて、他のアプリケーションでも使えるのであれば、一太郎を普段は文字の入力だけの機能にして軽快に使い、必要なときに印刷の機能を呼び込んだり、一太郎ではないWORDのスペルチェックの方が気に入っているのなら、一太郎でWORDのスペルチェックを使うなどのことが可能になるのである。これは、アプリケーションを作る方は大変だが、使う人間にとっては非常に便利になる。
このことを理解するのに1年くらいかかったが、これが今後の文化全般に関わることだと気が付いたのはつい最近である。今まで本にしろ何にしろいろいろなものはパッケージで作られてきた。数百ページあって著者の様々な考えがあって、それが表紙あり、目次、索引などともに1冊の本になっている。100ページから150ページまでしか必要が無くても本1冊まるごと買うしかないのである。これはまた、本の一部だけ買うこともできないし、売る方も全ページ文で販売していたのである。しかし、実際には一部分だけコピーされたり、一部分だけ読まれたりと言うことはすでにあったことだ。一部分だけコピーすることに対しては怒りを感じていたが、もし一部分だけ売れるようになっていれば、そういう一部分だけ売れる形式があるのなら、それはあってもいいことなのかもしれない。
そういう一部分だけ売るという技術はすでに出来ているのである。アメリカでは実際に複数の本から、ページを抜き出して本にすることが可能になっている。大学の教科書がそうしたオンデマンド本になってきていて、売られているのである。本が電子的に作られていれば可能なのである。もうすぐリリースされるはずのアクロバットという技術は、そういうことも可能にしてくれるのだ。日本ではまだまだだろうが、そういうもの電子的に複数の本から合体できたり、1冊の本の一部を作れるようになった時、それはいままでの通年から言うと本ではなくて、抜き刷りのようなものだが、それも問題ないかもしれない。新しい本の形も夢ではなく、現実のものになろうとしている。
分散化した本の内容、つまりコンポーネンツにたいして読者はお金を払ってくれるだろうか? 払ってくれないのなら、本の退路の一つは閉ざされたことになるかもしれない。
といったことを考えさせてくれたOPENDOCに感謝のことばを送りたい。
というわけでアップできません。新刊だけ直しました。