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先月のことだが、やっとのことで、『日本語方言一型アクセントの研究』刊行。予定よりも、だいぶ遅くなってしまったが、大きな山が一つやっと片づいた。山口先生には、前の会社にいたことから、本にされてはいかがですか? ということを申し上げていたから、10年以上の年月になる。本を企画して、出すということの月日の長さよ、驚くべきことである。研究者の方、読者の方、どう思われるだろうか。
ある意味で研究者の人生の結晶と言っても大げさではないだろう。そしてまた、出版人にとっても、同じことが言えるだろう。貴重な結晶だ。出版人は、ひたすら待っているということに過ぎないとも言えるだろう。しかし、待ち続けること、このことにもそれなりの能力が要る、と思いませんか。
内容については、一つの研究であると同時に日本語のアクセント研究批判になっている。日本語のアクセント研究が、なぜか、単語レベルのものにとどまってしまっていたということへの批判だ。また、方言資料として上げられている談話もなかなか面白いものだといえるだろう。何しろ、税金を納める相談の談話史料なのであるから。若い頃の山口先生が、既存の言語研究と違う資料を集めようとしていたことが、分かる。他には存在しない貴重な話し言葉の資料だと言えるだろう。
1000以上の書籍の目録を作っている。私一人では、できないので古くからの友人に助力を頼み、作業している。データベースにいれ、項目の間にタグを自動発生させて、それを吐き出し、さらにそれをページメーカーに項目の設定ごと読み込んで、レイアウトをいじる、という作業だ。
一応、出版社の指定した順番で並べてみて、うまく行かないようであれば、手を入れるということになる。さてさて、そこまでが、まず第一関門なのだが、どうにかようやくできたかな、というところ。
この目録ができれば、言語学関係の出版物がほぼ一覧できるようになる。必要な研究書を揃えておくことができるようになる。これは、出版社にとってのメリットばかりではない、研究書がきちんと売れていけば、研究者の方々も本を出すことが容易になる。研究成果を公開できて、共有できるということになる。いってみれば、目録作りは、言語学会に多大な利益をもたらすことになるだろう。ひつじの仕事が多少犠牲になっているかもしれないが、許していただけると思う。
98年日経優秀製品・サービス賞優秀賞の授賞式とのことで、ボイジャーの関係者ということで、参加させていただいた。私は、ニューオータニとホテルオークラと間違えて、到着に余分に時間がかかってしまったが、時間には遅れずに到着した。
新聞で良く見る松下の社長とか、スズキの社長とか、肉眼で見たのが、面白かった。やはり、この二人は受賞者代表と言うこととパーティの発声人ということで少し話しをしたが、やはり、何かのパワーがある感じがした。引っ張っていくという力もあるのだろう。逆に、そういう人物の下で働いていて、それを超える人物というのはなかなか難しいのかも知れないと思った。ところで、本題は、T-Timeの受賞だったわけだ。我らが、T-Timeは、どうやら、産業界としてはなかなかすごい賞を受賞したということが、ちょっと実感できた。
賞を取ったのは、すごいことだが、それが実際の売れ行きにつながるか、つなげる力というものが、問われるのだろう。認知度と、販売力、その連動がなかなか難しい。認知度は上げなければならないが、それは実売にはつながらない。ひつじも、認知度を上げる努力をここのところ時間と労力と若干の出費で行っているけれども、それを実際の販売=生き残ること、成長することにつなげていくことも次の課題ということになるだろう。
一方、認知度を上げる努力を全て、本作りと営業に回せば、短期的には、むしろ経済的にも健全化するだろう。事務的な処理も不手際が無くなるだろう。でも、本業である本作りが、大きな変革期を迎えようとしている今、それだけでは、先行き、行き詰まるだろうと私は判断している。
余力がない今であっても、いろいろやり続けるべきなのだ。
3月のはじめに、出版セミナーで話しをさせてもらうということもあり、来てくれた人に何か有意義なことを話さないと思いながら、このところ、布団に入ることが多い。
SOHOと出版ということについて、話すことになりそうだが、断続的に、このことについて、しばらく考えてみることにする。
不定期に、内山節さんの本を読むのだが、『存在からの哲学』と『労働の哲学』を久しぶりに読んだが、キーワードは、工程の剥奪と労働者の疎外ということだ。労働者は、資本制の生産制度の中では、物を作る道具と機械を資本家に所有され、作った物は自分の物にならなくなってしまう。しかしながら、資本主義の始まったころは、物を作る過程は、労働者や労働者たちが把握していて、労働を媒介にした労働者のつながりが、あった。ところが、テーラー・フォードシステムの成立と共に、工程も資本家に奪われてしまう、と言う。物を作る過程は、労働者側の主体にあるのではなく、生産計画を作る管理者の側に移ってしまった。
工程までも、管理者に移ってしまったことで、物を作るときの労働の充実感、主体感は失われてしまった。しかし、一方、このような現代的な生産工程は、生産性を向上させ、働く人々の給与、職場の清潔さ、職人的な人間関係からの解放をもたらした。労働の主体性が奪われている状態の方が、経済的に高度な消費生活を味わえるという状態を作り出した。
1970年代に、農村の人口と都市の人口が逆転するが、農村の生活・生産・労働は、小規模ながら、自前のものであったはずだ。しかし、日本の半数以上の人々は、それよりも工程が管理されてはいるものの、経済的に豊かな生活を優先することを、無意識の内に、あるいは意識的に選んだのだ。このことは、意味の剥奪を行ったことになる。あるいは、経済的な意味を一番優先するという決定を日本人の大半が行ったということである。
ここでは、知的な意味は、経済的な意味によって判断されることになった。
一方、仕事は経済的な意味が優先されたことの裏返しとして、労働以外の時間、生活の時間は、仕事でのストレスを解消する時間になった。それ自体で、楽しいということではなく、好きでもない仕事を行っていることを忘れさせてくれるものを優先することになってしまった。あるいは、仕事と生活の乖離ということ。このあたりは、まだ、うまく説明できないが、農村社会では、娯楽は、祭りや祝うということを連動していて、仕事・生業と乖離していたわけではないだろう。
うまく説明できないが、サブカルチャーの基盤は、ここにあるような気がする。なぜ、アメリカ文化が、サブカルチャーの中で大きな比重を占めているか、ということの理由の一つが、労働から乖離した娯楽、ということにあるような気がする。このようなサブカルチャーである場合、知的な営みを持つ芸術を志向しようと言うことは不可能になる。批判的な娯楽・芸術は、そもそも娯楽の時間を可能にした労働の疎外をあらわなものにしてしまうことで、ストレス解消に役立たないからだ。自分が、労働を疎外されていることを無意識にしろ肯定していることを明らかにしてしまうと自己否定が生まれてしまうからだ。娯楽はあくまで肯定的でなければならない。
これらの基盤にはすべて会社主義がある。
子どもたちは、この欺瞞。意味よりも経済を優先したこの方法の空虚に、無意識に反応しているのではないか?(これもうまく説明できない)
SOHOは、仕事の工程を自分で決めて、仕事と生活を別離させないで、融合させて行うということだ。この理屈で言うと、DTPはワークフローだという言い方には問題がある。せっかく、工程を取り戻そうとしているのに、単なる生産性の原理を優先させるのは、そもそも、会社主義から脱してSOHOに向かった意味がない。
SOHOは
1 地続きの仕事と生活
2 生産者・販売者と消費者・購買者の非分割
3 仕事の仕方を自分で決める
4 仕事と生活の中でのネットワーク
5 生活・労働の再生産=子どもの「教育」と生活・労働の非分割
6 教育の場と仕事・生活の場の非分割
7 思想と生活・労働の非分割
といった性格があり、これは会社主義の反対像になっている。
SOHO社会へ、今後20年くらいをかけて移動していくだろうと思われるが、基盤とする価値観が大きく違うから、その間の変化は、小さくないだろう。一方、末期会社主義は、娯楽の拡大という要素があり、これが、(会社主義を前提にした)反会社主義という要素があるために、概念の混乱の様相を複雑にする。仕事の工程を奪われていて、仕事をすること自体には興味を持たないが、生産性の向上の中で、経済的には恵まれるから、娯楽にお金を使えるという世代(いわゆるフリーター)があったわけである。SOHOの場合は、仕事が好きで、仕事を自分の力で切り開くという要素があって、反会社主義ではあるが、フリーター的なあり方とは、向かう方向が逆なのである。
午後5時から、自分の時間、という生活の形態は、労働の高い生産性という前提に依存している。プライベイトということが、仕事抜きの時間のことを意味する場合、労働は公的というよりも、苦役というニュアンスである。また、苦役を、楽しい物に変えようという発想はなくて、ペイが良くて、定時に仕事が終われば良いというのは、実は会社主義の考えなのだ。会社主義には、会社の仕事がつまらなくても、会社に尽くすという前期会社主義と娯楽を重視するが会社の生産性に依存している後期会社主義があるということだ。これは、実は両方とも会社主義だと言うことができる。
私は、誇りを持って仕事をすべきだ、という考えだが、後期会社主義的な視点からは、「仕事に誇りを持つということ自体」が、アナクロの前期会社主義と誤解されることもある。与えられた仕事と作り出した仕事は違う。このことは、かなり重要だ。
(この項 続く)
今、修行中の賀内さんに姫野先生の『複合動詞』を、編集+DTPをしてもらっているが、最初から、ちょっと難しいのを担当させてしまったかな、と反省しているところ。
ほとんどの人が気が付いてくれないことだが、言語学関係の書籍は、通常の書籍の10倍以上の組版の手間が掛かる。たとえば、文学作品なら、見出しもなく、引用もないから、本文を流し込めば、それで終わりである。(校正での赤字は、ここでは考えない)近代文学の研究書は、見出しと引用の一字下げだけ。せいぜい、5種類の設定があって、1頁では3個程度のスタイルで済んでしまう。歴史書の場合は、旧字はあるが、設定は近代文学の研究書とさしてかわりはない。しかし、言語学の場合は、どうか。
例文にはいちいち設定を入れないと行けない。例文には、合わせるところにタグを入れていく必要がある。正確にやる場合は、例文番号と例文のそろえる部分の2カ所にタグが必要だ。例文が、もし、6個あればこれだけで例文設定を入れるから、3×6で、18個の操作が必要になる。見出しが、3種類あれば、これに加えて3つであり、21個と言うことになる。これはそんなに例外ではない。
言語学書の体裁を作るには手間が掛かるということだ。印刷されてしまえば、分からないことだが。
本文を整えていく上で、いろいろ気を付けなければならないこともあり、労力が、もともと普通の本よりもかかるわけで、力の配分というものがある。経済性が高ければ、長い時間をかけることも可能だが、そうではないから、労力の使い方があるわけだ。こういうことは、ある程度慣れが必要だ。そういう意味で、ちょっと難しい本をはじめての担当にしてしまったのではないか、と反省しているのである。私自身も、ばたばたとした時期であり、丁寧に教える余裕がないし。
しかし、この体裁のこつが分かれば、基本的なことはほとんどマスターできてしまうだろう。頑張って、なんとか仕上げて欲しいところである。期待しています。
日経BIZTechによれば、次のアクロバットは(アドビのフォントをインストールすれば)、英語版のOSを使っていても、日本語を表示できるとのことだ。ということは、日本でアクロバットで作ったものを欧米にもそのまま、頒布、販売できるということである。アクロバットにずっと長く期待していたことが、やっと実現するということだ。手段として、世界に向けた日本語出版が可能になったということである。これは、大きなことである。
実は、21日は私の誕生日であり、また、ひつじの創業の日なのであった。前にいた会社を、2月20日で辞めたので、その翌日が創業の日なのだ(登記したのは、6月の26日)。
金曜日は2週間ぶりにカプセルホテルに泊まったり、何かすべてがバタバタしていて、昨日は幕張に行って、MacExpoでボイジャーブースを(となりのBiglobeのブースのお姉さんたちにしばしば視線を奪われながら)ほんの少し手伝って、今度出す『茶の本』(仮題)と書評ホームページの打ち合わせを間に挟み、はじめて車で行ったのだが、(電車より圧倒的に快適だ!)開場前の朝の10時に着いて、それから終了の5時まで、エキスポ会場にいた。片づけは手伝わない(スミマセン)で、帰途についた。T-Timeの説明だったが、4分の一くらいが、知っていて、その他の人はまだ知らない人がいると言う感じ。まだまだ、普及しうるということだ。「インターネットの文章を読みやすくするソフトありますよ」(富田さんのデジコンでの呼び込み言葉を拝借)というと、結構、チラシを受け取ってくれたり、説明を聞いてくれたりした。すぐそばでデモをやっているから、くわしくはあっちで見てね、と言った。
ということで、バタバタ状態で、自分の誕生日も忘れていたが、起動したマックが、ハッピーバースディというので、気が付いた、寂しいやら。実は私の2歳の娘が、金曜日に食べたものを戻したので、家族全員、私の誕生日どころではなかったのだ。妻も、借りてきたビデオの「ピングの誕生日」で気が付いた次第。(本人に聞いたら、気が付いていたが、言わなかっただけとのこと)
ひつじ書房はというわけで、10年目に突入する。10年目というと、普通なら、それなりの屋台骨ができてということになるだろうが、なかなかそうは行っていない。基盤はできただろう。事務所も、自宅から、3.5坪、6.5坪、20坪と少しずつ大きくはなっている、が、しかし。
ひつじ書房は未だ、夫婦二人で、ひつじ書房をいっしょに担っていこうとしているスタッフは未だいない。(これは初めてこの4月から変わる!)事務的にも、編集も夫婦二人でやっている。編集は、ほぼ私一人。DTP実務や発送や出荷を手伝ってもらっているスタッフに助けてもらっているが、本を作るという点では、すべてをこなさなければならない。何冊同時にすすめているか、よくわからないくらいだ。たぶん、もう、4・5人でやっているか、10人くらいかと思われているのではないだろうか。なぜ、離陸できないのだろうか。
- 出版の構造が変わって、資本の蓄積ができなくなった。
- 屋台骨になる日本語研究叢書が、予定通り発行できなかった。
- 韓国での組織的な不法コピーが、売り上げを減少させている。(私は、売り上げの30パーセントと見ている。つまり、1500部つくっても、500部は不法コピーが買われてしまう。一番、経済的に支えてくれるはずの現代日本語関係を不法コピーされているので、非常にキツイ。)
このような中で、経済的な基盤が、期待したほどには強くなっていないということだ。借金も相変わらずだ。こんな余裕のない中で、将来への実験を行うべきか、という意見もあるかもしれないが、自滅をただ、まっているのは、私には出来ないことだ。
- 現状の出版の方法は、あと10年程度しか持たない。
- 電子出版と紙の出版のハイブリッド化がこの10年で主流になる。
- 文学部でも、電子的なメディアに対する研究が、大きな比重を占めるようになる。
- 電子的なリテラシー・編集能力のない出版は、早晩無くなる。
というような危機感があるからだ。どうだろうか? そんなこと、ひつじで背負わなくてもいいんじゃないの、という方もあるかも知れない。では、尋ねるが、先行して実験してくれている出版社が、実際にどこかにあるだろうか? そんなところはないのだ。出版界にそういうところはあるだろうか? 残念ながら、出版界には、何もない。
最近は、出版社じゃなくて、出版ベンチャーと名乗りたいと思っている。
先週・今週のトピックは何と言っても「絵日誌」のかたち・名称を変えての「復活」だろう。9月に止まっているから、5ヶ月近いブランクが開いたことになる。どうにか、陥没状態からの復活のめどが立ってきたというところか。
今回は、マル房は、少しそそのかしはしたけれども、でしゃばらず、KさんとAさんに自分の意志でやってもらった。待っていなかったというと嘘になるが、でも、自然に実って来てできた、と思っている。かならず毎日の更新とか、かっこのいいことは言わないで、できる範囲で追加していく、という感じだろうか。
できるだけ自然に無理のないように続けていってもらいたい。と思う。