レベルは一定していませんが、順不同でリスト化します
→朝日新聞アゴラに「図書館とIT」について投稿
→『進化する図書館』刊行
→図書館研究会シンポジウムパネラーとして出席
→ITビジネス図書館協議会スタート
→出版業界紙と図書館業界紙でも問題提起する
→コンテンツIDフォーラムの中で
→ViVa!でNPO支援の投げ銭システムの実用化
遅れている『日本近代語研究3』を刊行します。その後に予定されているものは、『たの言語学』と『認知言語学論考I』を年度内に刊行します。申し訳ないですが、青木三郎先生を拉致して、『エクササイズ言語学』を何としてでも春の内に本にしたいものです。
出したい本の原稿がいただけないということは、非常につらいことです。大学とくに国立大学は、優秀な方の時間と労力を奪いつつあります。まとまった時間がとれない中で、たとえば、岩波書店の講座モノは、研究者の細切れ時間をどんどん奪っていきます。このまま、座視していたら、本ができず、ひつじの経営がなりたたないだけではなく、研究が枯渇してしまうでしょう。大学の先生方は、研究が枯渇しても、日々の委員会や雑務などが忙しくても、研究をしなくても、あるいはアウトプットを行わなくても、給料は大学からもらっているのですから、まだ、数年は生きていけるかも知れませんが、本が出なければ、我々は即死です。本を売って生きているのですから!
今まで、印税を満足に払えないということもあって、原稿催促も控えてきましたが、2001年はどんどん行きます。大学で、教授会で消耗しているよりも、研究の成果を世に問える本を造ること、多少、強引であっても、それは結局、研究者の方々と研究にとって意味のあることだと思いますので、激しく催促、提案して本を作っていきます。そうでなければ、これから10年間の大学の激動の時期は、研究が全然進まなかったブラックホールになるでしょう。くりかえしますが、本がでなければ、我々は餓死します。
研究者の方々の生産力がどんどん落ちているように思います。その一方で、大学院生が本をきちんと買うという力(購買力ときちんと勉強しようと言う決意)は、低下しているように感じます。10年前に、学会でお会いして、期待していた中堅・若手の人々が、育ってどんどん本を書いているかというと、そうではなく、パワーが落ちてきているように思います。10年たっても本を書けないのなら、普通なら首になるでしょう。この状況は、まずいのではないでしょうか? 本を書こうという気持ちが無くなっているとしたら、研究者のレーゾンデイトルにかかわると思うのですが、どうなんでしょうか?私が関わっている「知のエコシステム」の再構築にしろ、書き手の人々が疲弊してしまったら、ほとんど意味がありません。
私は、覚悟ができました。
出版は、21世紀にまったく姿を変えてしまうだろうと思う。大学も図書館もそうだろう。このことは、実際に一冊ずつ本を出していくと無縁なことではない。もちろん、ほとんどの出版社、大学人、図書館人、書店人、市民は気が付いていないことである。だから、ひつじは何をやってんだ? というのが、普通の感想であろう。でも、それはどうでもいいこと。21世紀を模索することと、本を出していくことを連動して進めていくことに、これからの10年を使うことにしようと覚悟を決めたのだから。また、大学人以外でものを書くこと、書ける人を探して、本を作るということも重要なテーマだろう。(私は、一応、商売人なので、ダメと分かれば撤退します。でも、その時は出版から足を洗って別のことをはじめるだろう。)
公正取引委員会へ送ったパブリックコメント(日本全国どこでも誰でも同じ値段ということが、再販制の意味ならそれは、大きな出版社か、20年前以上にできた古い出版社の利益にしかなりませんので、不要です。)