言語研究における合意理論と葛藤理論

2019年12月11日(水)

言語研究における合意理論と葛藤理論

ひつじメール通信21-21に書きました文章です。タイトルはアップに際してつけたものです。

学会に行く楽しみの1つが他社の出版物を見ることですが、英語学会の際にはThe oxford handbook of language attritionという本が目に入りました。表紙のデザインも特別で、海辺に身体の真ん中がなく、向こう側が見える像(銅像でしょうか)があしらわれています。この人物は、ゴッホだということです。鞄を持っていて、その部分で構造的には上半身を支えているのでしょうが、見た目には身体が空洞に見えます。

language attritionということばを不勉強で知らなかったのですが、「言語喪失」と訳されるようです。母語喪失であるとか、ある言語が消滅することであるとかその地で話されている言語が別の言語に変わってしまうようなことをいうのでしょうか。これは、面白いテーマだと思いました。oxfordのカタログには、新刊の言語研究の書籍が載っていましたが、ウソの研究とか公共の場所での会話の歴史の研究であるとか、良い言語と劣っている言語とはなにか、であるとか、私にとってはかなり面白そうなテーマの研究書がありました。日本の言語系の学会ではあまり見受けないように思います。見つけられていないのかも知れないですが。

学会の楽しみのその2は、閑な時に自社の本を読むことです。言語学会では、今回は『相互行為におけるディスコーダンス』を読みました。刊行は1年半前で、少し前なのですが、改めて読みますと発見があります。企画は立てる時に関わっていますが、本にする実際のプロセスを他の編集担当が行いますと細かくは読んでいないこともあります。小山亘先生の論文で、社会科学には合意理論と葛藤理論があり、言語研究の主流派は、合意理論に依拠する。葛藤理論に基づく言語研究は少数派であると書かれていました。主流派の言語研究の前提が、合意が取れるのが普通あるいは理想ということだというのです。ネットで葛藤理論を調べると紛争理論と訳されることもあり、社会学では階級対立のような紛争をさすことが多いように見うけられますが、言語の場合なら、階級対立というよりも、調和的で理解可能なコミュニケーションという前提を疑い、理解できず、調和的ではないコミュニケーションを考えるということになるのではないかと推察します。

この指摘はとても重要な気がします。合意を疑う言語研究というものが、もう少し行われる方が良いのではないか。記述文法研究の暗黙の前提にも合意というものがありそうに思います。合意が前提であれば、分かっていない人は啓蒙することが必要といいがちになりそうですが、合意が前提でなければ、啓蒙はどういう位置づけになるのでしょう。言語問題ということを考える際にも、重要な視点だと思います。

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