「委員会の論理」と評議会の論理

2019年5月9日(木)

「委員会の論理」と評議会の論理

 中井正一の「委員会の論理」は、『増補 中井正一』(木下長宏 平凡社)によれば、久野収の問いに対して「人民委員会の論理」と中井が言ったとしている。中井正一全集1巻の久野の文章は、次のとおり。

彼は、彼の立場が個人主義のアトミズムに帰るに委員会のアトミズムを持ってする結果にならないかという私の稚拙な疑問に答えて、『委員会の論理』は、そう公言すると弾圧に見舞われるが、実は『五カ年計画』の民主性を支える『人民委員会の論理』なのだから、決してそうならないと何回も駄目をおした。ソヴェト革命の裏切り過程が、『労農評議会(ソヴェト)』の解体と革命後の各方面の『人民委員会』の極端な国家官僚化、党官僚化によってもたらされた事情が明白になった今日、彼の着眼点の鋭さは改めて指摘するまでもない。

『労兵、労農評議会』の壊滅過程の意味は、埴谷雄高をはじめ、多くの思想家たちによって究明されてきたが、もう一方の『人民委員会』の官僚化の意味は、まだそれほど充分に究明されたとはいえない。したがって『人民委員会の論理』の重大さも、少しも減ってはいないのである。(久野収 「解題」『中井正一全集』1)

 中井は「人民委員会の論理」ということで考えたということになる。「評議会(ソヴェト)」と「人民委員会」のあり方を区別しないで、集団が何かを相談して決める論理として、一括して考えておく(大きな誤解かもしれない)。戦前の左翼的な人間が、ソ連を理想的な社会と考えていたとすると社会主義という経済のあり方、階級がない、貧困がない、搾取されていないというあり方とともに、王様や貴族や大企業経営者が、社会を決めるのではなく、社会を構成する人々(人民?プロレタリア?)が差別なく、支配や支配されることなく、社会を決定することができるということであったろう。社会の決定を相談して、決める権利を人々が持っているということ。ソビエトということば自体が評議会のロシア語である。Wikiによれば、「ソビエト(ロシア語:Совет サヴィェート)とは、ロシア革命時において、社会主義者の働きかけもありながらも主として自然発生的に形成された労働者・農民・兵士の評議会(理事会)。」となる。労働者・農民・兵士が、自主的に自分たちで決めることができるということは、理想的なことであるといえる。社会主義という経済体制とソビエトという人々に主権がある決定機関があるということは、理想的なことであっただろう。疑問。そのソビエトは、民主主義の決定機関とは違うのだろうか。労働者・農民・兵士ということからすると職業集団、共通する何かを作る共同体をベースにした集団だろうか。1つの職場、1つの業種を超えて、労働者として、農民として、兵士として集団になるということだろうか。ロシア語では、ソビエトというが、ドイツでは、同様のものをレーテというらしい。民主主義とは違うのか。東欧では、自主管理という考えがあって、労働者が経営者に支配されるということではなく、労働者自体が、企業の経営も行うという試みがあって、結局、失敗したと言われているが、それもソビエトと同じことを目指していたのか。ソ連が、スターリンの収容所であるとか、人々の人権を抑圧したことから、民主主義ではない「圧政」の政体と認識されるようになったこと、自由がなかったために経済的な革新と科学技術の革新が上手くいかず、資本主義の西側諸国に対向できなくなったことが、シンパシーを感じていた人々からも、社会主義への憧れを失わせしまっただろう。経済的な失敗と自由がなく、抑圧的専制的な政治であったこと。資本主義に対抗できない、どうあがいても資本主義の中にいるしかない、と諦めてしまうと、市場経済を否定できないことになる。市場の暴走は、理念的に批判されるが、結局、市場経済以外のものを想定できないからどこにもいけないことになる。しかし、もう一つのことがあるのでないか、民衆レベルで経営し、運営し、決めていくということの理想的な考えが、実現不可能と多くの人々が思うようになったことが、アンチ資本主義である社会主義の思想へのシンパシーをさらに失わせたのではないだろうか。経済的なことに加えて、経済・経営を含めた社会のことを人の知と人の協議で決めていくことは不可能であろうと多くの人が思っていること。政治体制が民主主義に基づく議会民主主義と企業の自由な経営を基本とする資本主義社会のエリートによって決められることが、現実になっている社会。現実の社会は、民衆が経営し、運営し、決めることができずに、株式の数による多数決に基づき、少数の経済人が経営するという一定のオープンさをもった社会運営がなされている。

 人々は、自分たちで何かを決めていくことができるのか。たとえば、勤めている人が、全ての経営を話し合って決めていくということが可能なのか。町の中学校があって、その中学校の予算、人員、設備、授業、クラス割りをその中学校の評議会が決めることはできるのか。町の中学校だとして、自分のこどもが通っているわけでもない学校の評議会に参加して、意見をいうことはできるのか。逆に自分のこどもが通っているからといって、その学校に関する評議会に参加して、決めごとをして、決まったことを担って下さいといわれることがあるとして、サボらずに評議会に参加できるのか。実感としてかなり、むつかしいように思う。住んでいる地域の問題に参加できない(参加できないと決めつけてはいけないが)のに、社会的な問題に評議決定に参加できるのか。時間の問題、知識の問題、意欲の問題、経済的な問題で、参加できないということもある。全ての評議に参加しないと行けないのかということも考えるべき1つの課題だろう。「委員会の論理」というのは、かなり重要な問題だということが分かるのではないだろうか。全ての評議に参加するのは不可能なのに、民主主義とは全てのことに全ての人が関与することであるとシンプルに決めてしまうと、現実性のない論になってしまう。誤解されないように言っておくと誰かが勝手に決めていいといっているのではない。参加もしなくていい、と主張しているわけでもない。どこが現実性のある落としどころになるのだろうか。「委員会の論理」と評議会ソビエトの関係、「現実的」な民主的決定のあり方についての総合的な議論というのはないだろうか。ソ連を理想の国と戦前の左翼は思っていたと書いたが、スターリンほどは酷くはないと思われているレーニンが、そもそも、労農ソビエトを弾圧したという研究もあり、ソ連のソビエトが、弾圧される以前に政治的な主体になることができていたというのも、怪しいかもしれない。実際は、ソビエトという名前を使いながら、レーニンたちが、決定権を奪っていたということだろう。ソビエトが、労働者と農民の意向をまとめて民主的に決めていくことができたということが、そもそも、ほとんどありえないことなのかもしれない。

 

 そもそも、機能していたと言えるのか、ということ、理想あるいは理念として考えることが可能な実態があったのか、疑問はつきない。研究書を探しているところです。ご存じな方がいらっしゃいましたら、教えて下さい。とはいうものの、民主主義的な政体を目指すのであるのなら、「委員会の論理」を言語的に考えることは、テーマとして重要であるといっておきたい。そもそも、民主主義としての「委員会の論理」は、なりたたないということが結論になるかもしれない。ここで、話しは飛躍するが、連句の式目(決まりごと)が、あって、最初の部分では、宗教や戦争や述懐(個人的な強い感情)を出してはいけないとか、季節に関する句を読まないといけないとかここでは季節に関わる句を読んではいけないとか。美濃派では、自他場と言い自分の感情を何句も続けて出してはいけないとか、もろもろうるさいが、それは連句という共同表現を成り立たせるための「委員会の論理」ということもできるのではないか。みながおおむね同意できるような話すことの論理(話すことの論理の不可能)を提案すること、提案できるのか自体を考えることが、言語研究なのではないか。

 かなり、中途半端な段階で、この文章をアップしてしまうことは、無責任なのではないかという批判もあることと思うけれども、えいやっと思い切ってアップしてみました。

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