十年一日ということはないのだから、ささやかでも進んでいくことにしよう。

2008年7月25日(金)

十年一日ということはないのだから、ささやかでも進んでいくことにしよう。

春に入った新人が2人いて、彼女たちがそれぞれ別の著者の認知言語学の研究書を1冊ずつ担当している。認知言語学というとたとえば、ビリアードモデルのように図形を使った説明がとても多いが、それらを作るということが思っていたよりも大変であることに驚いている。生成文法のツリーも、作るのはたやすいことではないのだけれど、それに比してもいろいろと試行錯誤が必要であった。

編集長として、起こりうる事態を予測して、どのくらいたいへんなのか、どういうところに困難があって、どういうところで時間が掛かるのかをしっかりと把握した上で、仕事は割り振らないと行けないわけだが、目測がうまくいかなかったと言わざるを得ない。目測ができて、はじめて編集長と言えるのだが。編集長失格といった方がいいか。

研究論文と1冊の書籍では、違うのだ。論文の場合、ページが少ないから、最初から図版は作ってしまおうと考える。書籍の場合は、これまでの研究を引用して、それを批判的に乗り越えていくわけだが、となるとこれまでの研究での図版というものが登場してくる。認知言語学は、図式を使った思考の実験という要素があって、引用元の著者たちはそれぞれ自分の思考を図案化している。その際に、違った研究者たちが作った複数の図版を引用していくと微妙なところでニュアンスが違っていたりするように見える。書籍の場合、複数の引用があるから、それぞれのニュアンスが気になり始めてしまう。

また、引用されるようなもともとの図版が活版時代に作られたのか、手書きをトレースしたりしていて、味があるのはよいのだけれど、類似した図版が微妙に違うということがある。パーツになっている円の太さであるとか、矢印であるとか。それはほぼ同じようなかたちであるが、どうも微妙に違っているらしい。違っていないのかも知れない。手書きで活版時代の凸版であれば、アナログ的なので全体のイメージがつかめればよいのかも知れないが、デジタル的なツールのイラストレーターのようなソフトを使うと図案がくっきり見えるから、アナログのように曖昧な感じが難しい。ニュアンスが、強調されすぎてしまうことが起こる。

図版を一から作り直して、どうでしょうかとお聞きするべきところであったのだろうが、できるだけ流用できる図版は使いたいと思い、決断に時間がかかってしまったりしたのも、余分に時間がかかっていることの原因の一つかもしれない。

そもそも、図版を作るというのはたいへんで、私が出版の世界に入ったころの時代であれば、トレース屋さんという専門の仕事の人々がいて、図版をひとつひとつ指示を出して作ってもらった。ひとつ数千円ということだったと思う。イラストレーターなどの図版を作るソフトが使われるようになって、簡単に作れると思うかも知れないけれども。図版を作ってもらうということ、作ると言うことも、どの程度の精度ということも分かっているとはいいにくいので、簡単ではない。文字だけで説明が可能なタイプの言語学であれば、こんなに悩んだりする必要もないのかもしれないのだが。認知言語学の根本となる説明の道具なのだから、もう少しかたちを共通にしたフォーマットがあってもよいのではないだろうか。そんなことを考えるのも、予想以上に労力が掛かることに気がついたからだ。

私は楽観的だから、事前にあまり大変さを認識しないがゆえに新しい事態に挑戦できるということでもあるが、新人にとってなかなかたいへんな仕事を割り振ってしまったということもなるだろう。新人にとっても、経験であるが、編集長であるベテランであるはずの私にとっても、新しい経験だ。十年一日ということはないのだから、ささやかでも進んでいくことにしよう。


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