21世紀における市民社会の情報環境 2006年7月28日(土)
2006年7月28日(土)

21世紀における市民社会の情報環境

出版ということを考える際に21世紀のおける市民社会の情報環境が、どうあるのがよいのか、ということが重要だ。重要ではあるが、結論があるわけではなく、いろいろな提案があるということが大切なことなのではないだろうか。

21世紀における市民社会の情報環境が重要だとしよう、と誰かが言ってくれたとする。それは了解できる。でも、その中に出版というものが関係あるとは思えない、ということを言われたとして、われわれはそれに対して反論できるのだろうか。反論でなくても、こう考えてみてはどうだろうか、と提案したり、提示することができるだろうか。

私はできると考えているが、その時に少し戸惑うだろうと思う。出版というものが関係ないと思っているとしたら、その前提は何なのだろう。実際に本を読んでいる人であるとすると、本を読んではいてもそれがコミックや小説のようなものであって、素直に情報といえるものについては関心がないか、本からは情報を入手していない場合。もう一つの場合は、現時点で本から情報を得ている。そうではあるが、それは本という媒体である必要はなくて、ネットででもよいのであって、出版というものにこだわりがない人ということになるだろうか。

前者の考えである場合、本はエンターテインメントとして考えていて、楽しさが得られれば、かまわないという考えである。楽しみのための小説などが対象となっている。さらに付け加えると教養のようなものもこちらに入る。本はできあがったものであり、それを享受するという考え方。こちらの本は、比較的マスなものである。文庫とか新書や46版の比較的軽めのものとなるだろう。この軽いといういい方は誤解を招くだろう。アリストテレスの哲学書の文庫も入れてしまうから。もっと他に良いいい方はないだろうか。

後者の場合、21世紀の市民社会における情報源自体のあり方をどう考えるかという議論になるだろう。

ここで話しを違う視点に持って行きたい。出版というものについて考えているわけだが、出版というものを漠然と一般的に考えてもよく分からないので、4つの局面に分けて考えたい。出版という機能を企画・編集という機能と共有・アクセス可能性という機能の2つに分けて考えたい。この2つの機能を表現する書籍という器(うつわ)ともう一つは商品であることである。

分けて考えることで、たとえば、紙の書籍という器ではなくても、電子的な媒体であってもかまわないが、企画・編集という機能は重要であるという考えをいうことができるし、電子的な媒体よりも紙の書籍の方が、図書館というメディアを使うことでより安定的に蓄積しやすいということもできるし、電子的な媒体であることによって、検索することを容易にし、アクセスしやすくなるということができる。電子的な媒体でも紙の書籍でもかまわないのだが、商品として扱う場合に、紙の方が容易であるということもできる。あるいは、それは単に決済の問題であって、決済が容易になれば、電子的な媒体の方が便利であるということもできる。

私の今の考えは、一番重要であるのは、企画・編集の機能であると思っている。21世紀の初頭の段階で、現実的に考えた際に、紙の書籍であることによって商品として成り立ちやすくなり、結果的に企画・編集の機能を充実させ、高めることになるというのが私の考えである。

先程の「21世紀の市民社会における情報源自体のあり方をどう考えるか」という議論にかえると究極の問いは「企画・編集の機能」が社会的に必要なものであるのか、ということになる。

では、「企画・編集の機能」とは何だろうか。


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