刊行! 『中島敦 意識のゆらぎから複数の世界へ』
文学や小説をあまり読まない人でも、中島敦「山月記」は国語の教科書に載っているから読んだことがある、という方は多いのではないかと思います。
その中島敦ですが、「山月記」の他にも「李陵・司馬遷」「名人伝」など、有名な作品は中国古典をもとにしたものが多いので、「中島敦といえば漢文学」といったイメージがある方も多いのではないでしょうか。
その一方で、中島敦は英文学についても非常に関心があり、英文学者オルダス・ハックスレイ(ハクスリー)の文章を翻訳していました。また、英文学を通じて西洋科学についても積極的に受容していましたが、漢文学の受容に比べるとあまり注目されてきませんでした。
今月刊行した新刊、石井要著『中島敦 意識のゆらぎから複数の世界へ』はこのような観点から、中島敦文学を捉え直す画期的な一冊です。
本書では中島敦の英文学・西洋科学受容がどのようなものであったかを仔細に明らかにし、中でも中島敦が生物学者ユクスキュルの唱えた「環世界論」を受容していた事実に特に注目します。
ユクスキュルの「環世界論」とは「生物は種ごとに感覚器官が異なるので、普遍的な世界もそれぞれ独自の時間・空間として知覚して、種ごとに特有の知覚世界を生きている」という説です。この説はハイデガーなどの哲学者にも影響を与えたと言われています。
なぜこの「環世界論」が重要になってくるかというと、「山月記」で李徴の意識が徐々に虎に変化していく様を描いているように、中島敦の作品には、人間の意識のゆらぎをモチーフにした作品が多数あるからです。それは「人間」という存在を相対化する文学だとも言えます。
ここで重要になってくるのは、中島敦が小説家として活動した昭和戦前・戦中期は、「人間性(ヒューマニズム)」が盛んに叫ばれ、それが戦争を肯定する言説にも結びついた時期だったことです。そのような時代に「人間性」を相対化するような中島敦の作品はどのような位置にあったのか、本書は多くの中島敦の作品を取り上げながら検証しています。
また、近年「ポスト・ヒューマン」という語がよく聞かれるようになり、文学研究のテーマとしても目にするようになりましたが、本書はそうした研究にも示唆を与えるようなものになっていると思います。
まったく新しい中島敦文学の読み方が提示されているので、中島敦の作品に親しんできた方は作品を読み直したくなると思いますし、今まで中島敦文学に触れてこなかった方も読んでみたくなる一冊だと思います。ぜひ近代文学研究者だけでなく多くの方に手に取っていただけますと幸いです。
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