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2001.12.1
日本出版学会秋季大会
会場 学芸出版社
松本 功

出版(編集)教育の可能性
「複製する権力」から「ナレッジマネジジャー」へ


編集者になるということの魅力というものがあるのだろうか


■1 「複製する権力」の喪失
私自身の成り立ちを考えてみると、手書きの原稿を割り付けして、それがきれいな活 
字になって、ゲラになって手元にくるという経験に不可分にその魅力はつきまとって 
いるような気がする。

さらに、はじめてマッキントッシュでDTPを行った時にも、ポストスクリプトプリン 
ターから、でてきた文字の鮮明さに驚いたことにDTPの可能性を感じたという経験が 
ある。

このような驚きの体験は、肉体化された編集の驚きであるのだが、そのことのリアリ 
ティは、現在はないと言ってもいいかもしれない。

DTPというまでもなく、書院などのワープロが、奇麗な印刷ができるようになってこ 
のかた、印刷所で組んでもらうことの感激は薄れている。安価なパソコンとプリンタ 
ーで、たいていのことはできるようになった。さらに、コピー機の普及によって、複 
製することも、当たり前にできることになった。

活字で刷られただけで、魅力的なものであった。今では、自分で何かを発信しようと 
しても、ホームページがあり、メールマガジンがあり、コピーによる簡易製本がある 
中で、わずかな部数であれば、組み版、校正、印刷という手順を踏まなくとも、経済 
的な見返りを期待しない限り、出版というメディアは特権的なものではない。出版流 
通のさまざまな問題がある中では、むしろ、通常のルートでの出版には、コストに見 
合う面白さはないといってもいいくらいだ。

出版が特権的に持っていた奇麗な文字と多数の複製という昨日の魅力が薄れた。

■2 デザイン・ナレッジマネジメント
情報デザインということばが、盛んに言われ、まだデザインということは魅力的であ 
り続けているかのようである。

地元に東京都立工芸高校という高校があるが、レタリングやデザインについては、専門的 
な教育がなされている。多くの美術系の大学では、デザインの授業はある。編集につ 
いて専門的に教えてくれる機関はない。エディタースクールは、校正と割付について 
は教えてくれるようだが、それらは編集全般ではないように感じる。

メディアプロデューサーの福富さんによるとウェブへ原稿を書いても、奇麗にレイア 
ウトしてくれるデザイナーはいるものの、内容に的確なコメントをくれるような編集 
者は不在で、内容について関わるスタッフがいないことがおおいという。レイアウト 
はあっても、エディットというものがない現状。

編集者という立場から考えると、編集という仕事は、本や情報というプロダクトを作 
るにあたって、もっともコアな存在であると思うのだけれども、現実的には、デザイ 
ンについては、基本的な教育もあるのに関わらず、編集とは何かと言うことはほとん 
ど、研究もされていないし、教えられてもいない。

また、隣接するデザインやナレッジマネジメントといったジャンルとも意見交換すら 
行われていない。

■3 編集とは何なのだろうか?

この問いかけが、無くて、出版というものを考えることができるのだろうか?
出版教育・編集教育の現状
●エディタースクールの中にある出版教育研究会の中身は、組版と文字の話が中心
●川添裕さん(元平凡社)のカリキュラムの中にも見出しの付け方などが中心
●編集必携も発注の業務が中心
●別冊宝島「新・メディアの作り方」「編集入門」もレイアウトが中心
印刷の発注の仕方、見出しの付け方が、出版技術なのだろうか?
編集ということが、根本的には考察されていない。

■4 東京大学社会情報研究所「出版論」の報告

さて、ここで、私が、半年の間、東京大学の社会情報研究所で、出版論という名前の 
授業を行った経験とそこで見いだした課題について述べながら、編集という仕事を自 
覚的に、方法論をもって教えると言うことの必要性について述べていく。

そして、結論を先回りして言うならば、市民が、情報社会の中で仕事をしていくのに 
とって、編集という機能は、重要であり、編集というモノは何かという原理の究明 
と、それを方法をもって教えていく、コト上げしていく必要性を提唱するものであ 
る。

■5 「出版論」より「出版社の作り方」

東大の授業を行っていた段階では、上記のような問題意識に至っていなかったため 
に、授業自体は不完全なものになったが、そこで考えたことを共有化することは、こ 
の議題を考えていくにあたって、有効であると信じている。

本を読むという立場でこれまで人生を歩んできた学生に、出版とは何かということ 
を、ことばだけで話しても理解されないだろうと思っていた。

本を作ると言うことはどういうことなのか、ことばだけではなくて、もう少しリアル 
に感じてもらいたいと願っていた。そこで、出版の歴史などではなく、出版がどう経 
営されているのかをバーチャルにであっても感じてもらいたいと思った。

本を作るというだけでは、企画を立てて、そのあと本作りのまねごとをしておしまい 
ということでは、何か重要なことが抜け落ちてしまうのではないかと考えた。そこ 
で、本の作り方をさらに、経営的な問題まで、拡張しようと考え、出版社の作り方と 
いう授業にすることを計画した。

■6 本を壊す

実際に、本を渡し、その本ができるまでに一体いくらかかるのか、予測してもらった 
上で、実際の請求書を渡し、検証してもらい、コストの大筋を見てもらった上で、ど 
の程度の規模の事務所を借り、どの程度の冊数をどんな企画で乗り切っていくのかと 
いうプランを作ってもらった。

そのプランをクラスの他のメンバーの前でプレゼンテーションし、投資を行った。さ 
らに、そのプレゼンを、書店の方に来て、見てもらい、コメントと何冊くらい仕入れ 
るのかを言ってもらった。

そのような授業の感想をいくつか紹介する。

今回の授業では、いわゆる今までのやり方の出版社をつくる、ということが中心であ 
った。しかし、おそらくそういう出版社を起こすことは、魅力に乏しく、これからは 
最初から本というメディアだけでない多方面展開を考えた出版社を想定して起業する 
ことになるだろう。(T.M.)

垣間見た出版業界が、あまりに辛そうなものだったからである。
何よりもよくわかったのは、やはり自分で企画を立て、それに関わるコストなどと全 
て計算したことであろう。あの作業によって、出版というものが、楽に勤まるもので 
はないというのが、よくわかった。(S.A)

「あなたなら出版社をつくりますか」―これに対する答えはおそらく私の場合ノーで 
あろう。とても儲かる職とは言えない。計算をしてまず思うのは、総売上からあらゆ 
る費用を抜いて出版社に残るお金はわずかだということである。私のバーチャルな書 
店の場合、私一人とアルバイトで、働いて、年間10冊の本を出して年収は600万円で 
あった。実際には一人で仕事をすることは本当に大変だろうし、家賃ももっとかかる 
であろう。交通費もばかにならないし、設備投資にもお金がかかる。税金も納入しな 
ければならない。独立して新たな企業をつくるということは並大抵なことではない。 
サラリーマンとして、出版社に勤務している方がもしかしたら年収がいいかもしれな 
い。
 出版社の危機が叫ばれている時代に、「本がなくなるのはいやだ」などという感情 
論ではいられないことを実感した。それを支える出版社の苦労を思うと、私は感情的 
には応援したくても、自分がその出版界の一員になれるかは大いに疑問である。 
(N.N)

コストを知ってみると、本を作ることがいかに大変であるかが、良く理解してもらっ 
たと言えるだろう。

しかし、ここでさらに問題なのは、本を作ることが魅力的な仕事として語れるか?と 
いうことである。経済的な側面と同時に、社会的な意義・公共性があるのかどうかと 
いうこと。

はたして本を作ると言うことは魅力的なのだろうか。
ここで、はじめの問いに戻るが、編集というものが、どのような社会的な意義を持っ 
ているのかということを今まで十分に語ってこなかったのではないかという問題であ 
る。

大学には建築科というセクションがあり、それの専門家がいる。医者、弁護士、税理 
士・・・。社会的に必要な専門職には、それぞれの学科というものがある。編集とい 
う仕事は、そのようなもろもろの専門職の中で、たいした意味をもたないものなのだ 
ろうか?

情報を扱う専門職にはいろいろあるだろう。図書館司書という職があり、サーチャー 
という仕事もある。情報というのであれば、それぞれの情報生産者がいるわけで、大 
学の教授という立場は、そのようなものであろう。一方、作家や評論家という職業は 
あるわけである。

しかし、情報が多岐にわたり、混沌としている現状。いままでの学科では、現状にう 
まく対応できない。あちこちの成果を隣や、まったく異なった知見と合体させたり、 
競い合わせたり、ぶつからさせたり、情報のコーディネーターの役割はますます増加 
していくばかりである。

そのような新時代の知のリストラクチャリングを行う専門職というののが必要になっ 
てきているのではないだろうか。

情報デザイナーであり、情報プロデューサーであり、そんな編集者の機能を、きちん 
と考えて、その仕事の面白さをきちんと語れるように、再構築し直すべきなのではな 
いだろうか。

すべての人がプロの編集者になる必要はないにしろ、そのコアなスキルについては、 
きちんと教育したり、その才能がある人を伸ばしていくようなそういう原理を作るべ 
き時に来ているのだろうと思う。

レイアウトとか割付とか、校正とか、用紙の入れ方などのスキルだけでは、不十分で 
あろう。どのようにして、言論の公共性を作り出すのかとかとかと、根幹に立ち返っ 
た問題意識でとらえ直す必要があると考えている。

■7 編集者に必要な技能(順不同)

1 企画力
2 会議を招集する
3 会議のメンバーを見つけてくる・選ぶ
4 会議の資料を作る
5 会議中の議論を整理する
6 会議中の議論を文書化する
7 目的を設定する
8 自由な議論を促iする
9 元気づける
10 支える
11 資料を探して、提供する
12 コスト計算ができる
13 営業あるいは営業サポート
14 読者のリーダーである批評家を把握している
15 書店の核の人々に情報を提供する
16 マスコミに情報を流す
17 業界人・マスコミとつきあいがある
18 講演会・シンポジウム・サイン会を組織できる
19 研究会を組織する
20 研究会の活動を支援・運営する
21 自分の企画の価値を信じる
22 自分以外の判断を認める
23 景気の良いことを言う
24 気分を和ませる
25 スケジュールを立てる
26 スケジュールを守らせる
27 折に触れて、援助する
28 研究会に出席する
29 懇親会に出る
30 広告を作る
31 提供できる雑誌と関係を持つ
32 メールマガジンを発行できる
33 ホームページを作れる
34 本の力を信じる
35 本の力を疑う
36 講演会・学会で本を売る
37 著者と飲みに行く
38 連携する
39 人の知恵を利用する
40 反逆心
41 経営能力
42 レイアウト能力
43 デザイナーとの連携
44 ファイルメーカー程度でデータベースを作れる
45 linuxの基礎程度は分かる

情報のコーディネーターであり、ファシリテーターであり、情報発信者へのコーチで 
あり、読者へのナビゲーター、コミュニティに対しては、問題提起者である。それ 
が、編集という職能。

売れるものを作る(読者<消費者>の私的な欲望を予測して、プロダクトを作る)と 
いうことも、重要だが、もう一つ、読者<市民>の潜在的な必要を察知して、取り出 
し、喚起・提案して、新しい言論空間自体を作りだしていく。そのことによって、多 
文化共生・参加型市民社会を支えていくという仕事も重要。

後者は、経済的に短期的に報われるかどうかは、不確定。公共性のある仕事であるの 
なら、医者程度の公的援助はあってもよいのではないか。研修可能な場所。たとえ 
ば、大学。採算を高める援助策。たとえば、保険制度。

編集は、販売に依存している。読者によって受け入れられなければ、コストが回収で 
きず、持続する原資が生まれない。販売を書店に依存することは可能だろうか。現状 
の書店にそのような機能がない。

■8 関連する研究と連携する

アートマネジメント
「総合文化学科演劇コースの目玉に、実技だけではなくアートマネジメントが学べる 
という点がある以上、予算をかけ、観客から対価を取り、また補助金申請などをして 
しかるべき収入を得ることは、もっとも有意義な実践になる。逆にいうと、有料でな 
ければ、制作担当者の学生はチケットを売るためにどうすればいいか智恵をめぐらせ 
ることをしない。補助金漬けになってしまうと劇団の制作能力が落ちるのと同じだ。
本書では、一貫して、芸術の公共性の方に重きをおいて論を立ててきたが、これはあ 
くまで芸術が市場経済に関わっていくことを前提としての議論である。社会主義
の国家ならばこんな議論自体が必要ないのだ。アートマネジメントとは、芸術が
市場 
経済に関わる中で、どこまで、どんな割合で、その公共性を主張し、公的な支援を社 
会から引き出すかが問われる学問なのだ。」
(平田オリザ「文化行政の未来」『芸術立国論』集英社新書)