「リフレクティブな共在の仕方」(社会言語科学会)への勝手なお誘い
2021年9月8日(水)

「リフレクティブな共在の仕方」(社会言語科学会)への勝手なお誘い

(9月7日にメール通信で配信した内容がもとになっています。)

前回に引き続いて、社会言語科学会のシンポジウムについて書きます。言語教育の研究、その基礎を作る言語研究として重要なシンポジウムではないかという勝手な声援を送る応援みたいな内容になっています。

概要の前半に以下のように書かれています。

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人々が対面的状況に身を置き、互いの存在を直に確認しながら空間的に「共在」することは、教育や学習、看護やケア、余暇やレクリエーションなど、社会生活のあらゆる場面での実践のための最も原初的な基盤である.近年では、社会におけるさまざまな共在の場に出向いてのフィールド調査やビデオを用いた微視的分析も盛んになってきた.しかし、これらの分析は、共在の場の当事者たちがどういったスタンスでその場に臨み、何を気にかけながら実践を行っているかという観点とはまだ十分に結び付けられていないことも多い.
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「人々が対面的状況に身を置き、互いの存在を直に確認しながら空間的に「共在」することは、教育や学習、看護やケア、余暇やレクリエーションなど、社会生活のあらゆる場面での実践のための最も原初的な基盤である.」

私のことばで、このことの意義を拡張するとこの「共在」を支えるものが、社会的なコミュニケーションであり、もし国語教育が、これから育って「共在」する人々のためであるのなら、その「共在」を支える「国語」「言語」というものになるのではないだろうか。社会的なコミュニケーションの広い意味での言語ということにもなるのではないだろうか。とするとここであつかっているのは、言語問題ということになるのではないだろうか。

この後半、「近年では、社会におけるさまざまな共在の場に出向いてのフィールド調査やビデオを用いた微視的分析も盛んになってきた.しかし、これらの分析は、共在の場の当事者たちがどういったスタンスでその場に臨み、何を気にかけながら実践を行っているかという観点とはまだ十分に結び付けられていないことも多い.」と述べられます。これは、現状では充分に研究としては行われていないということであり、言語教育研究、言語研究としても不十分な段階に留まっているという認識と思います。前回のメール通信でも申しましたが、言語ということばは使われていません。教育という言葉は使われていますが。

ここまで紹介しましたのは、問題設定と現状の認識でではどうしようか、ということで、概要の後半は、今回のシンポジウムでどう扱うかという「宣言」あるいは「提案」になっています。引用はしませんが、ぜひ、ご覧下さい。

私は、勝手に応援をしているわけなのですが、言語教育研究者、国語教育の方にはぜひシンポジウムを聞いてほしいと思っています。英語教育、日本語教育、そして日本語学、英語学、さまざまな諸言語の研究者の方々も。シンポジウムは、無料で聴講できます。申し込みが、水曜日の夜までなので、ぜひとも、早めに申し込まれて下さい。知り合いの方でこのシンポジウムのことを知らない方には伝えて上げて下さい。締め切りが迫っていますので、聞いてみたいと思われた方は、どうぞ早めにお申し込み下さい。これはとても重要なチャンスだと思います。

申し込みの方法などは以下のページに掲示されています。ちょっとページを開くのに時間が掛かるかも知れません。また、申し込み期限が、今日(8日)の夜までなので早めにお申し込み下さい。

http://www.jass.ne.jp/?page_id=1103

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執筆要綱・執筆要項こちらをご覧下さい。



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