国語教師の“単独性”はどこにあるのか

  1. 国語教師の“単独性”はどこにあるのか|第4回 「賭け」としての教育|千田洋幸

     十数年ほど前であろうか、出身大学のOB達と飲んでいたとき、メンバーの1人(A氏としておこう)が勤務している重症心身障害児支援施設での出来事が話題となった。A…

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  2. 国語教師の“単独性”はどこにあるのか|第3回 戦争文学教材から“戦争”へ|千田洋幸

     先日、初年次教育の授業でリテラシーの問題を扱った際、試みにナイラ証言のエピソードを紹介した。ナイラ証言とは、イラクがクウェートに侵攻して約2か月後、「ナイラ…

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  3. 国語教師の“単独性”はどこにあるのか|第2回 教材を「研究」する意義について、あるいは国語科教育研究…

     前回は、学校教育・教科教育の場に蔓延する子ども中心主義こそ、棄却されるべきイデオロギーであることについて語った。このことは、「子ども好き」であることが、教師…

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  4. 国語教師の“単独性”はどこにあるのか|第1回 子ども中心主義を棄てる|千田洋幸

     私が国語教育の研究に足を踏み入れた1990年代、子ども中心主義の理念はすでに自明の前提とされていた。ほぼ1980年代以降、教師が権力をもって学習者に知識を注…

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  1. 英語とともに日本語を考える| 第5回 過去の話なのに現在形? :〈た〉形と〈る〉…
  2. 村上春樹をさがして|第8回 パリ祭の日に最後の芝生を刈ること|重里徹也
  3. 並行世界への招待:現代日本文学の一断面|第11章 村上春樹『1Q84』──ここに…
  4. 第53回 「日本語教育とは何か」を問われている二つの会議|田尻英三
  5. 古代エジプト語のヒエログリフ入門:ロゼッタストーン読解|第6回 ヒエログリフの表…
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