ボケとつっこみの言語学|第3回 大阪と笑いについて|ヴォーゲ・ヨーラン

大阪人の会話を聞いていると、必ずといっていいほど、誰かがボケ、それに対して「なんでやねん」と誰かがツッコむというルールが守られている。大阪人にとって「笑い」のない会話は「粋じゃない」のだ。

(『けったいなこだわりてんこもり!関西人の「あるある」図鑑』より、関西ルール研究会2012、p.107)

大阪弁は、ことばそのものにおかしみがある。大阪人が二人寄ったら漫才になる、などと言われることがある。たしかに、大阪のことばで話すと笑いがふくらむし、大阪の人の会話には笑いが絶えない。

(『大阪ことば学』より、尾上圭介1999、p.170)

まるで漫才やコントのようだ。これは、関西人同士の会話を比喩する際によく用いられる言葉です。確かに、関西の街を歩いていると、そこかしこで交わされている会話は面白い。

(『かんさい絵ことば辞典』より、ニシワキタダシ・早川卓馬2011、p.37)

1 大阪人のイメージについて

 冒頭の引用から明らかになるように、大阪人または関西人が相対的に笑いにこだわり、よくボケとつっこみ形式で会話をし、そして話が面白いというイメージを持つ人が多い。果たして、科学的な根拠を示し、本当にこのような主張が出来るのだろうか。そして、もし本当に大阪人は笑いに関して特殊な能力を持つのであれば、どのようにしてそれを発展させてきたのだろうか。様々な疑問が湧く。

 今回の連載では、まず笑いの観点からみた大阪人のイメージを分析する。そこでこのイメージには根拠があるのか、それとも単なる偏見にすぎないかを検討していく。今までの連載を読んだ人はお分かりだと思うが、本連載ではこれまで「何かあるに違いない」という立場を取ってきた。記事の最後に大阪人と笑いの関係について歴史的な経路を含めて自分なりの仮説を提案したい。ちなみに次回(第4回)は今回のテーマと関連を持たせ、自分自身が行ったアンケート調査による関西と関東の違いについてのデータを提示しようと思う。

 様々な文献を読んでみると、「大阪人」と「関西人」は互換的に用いられることが分かる。いうまでもなく大阪人に当てはまる性質は「神戸人」や「京都人」などの「関西人」にも該当するかもしれない。ちなみに、方言学の世界では大阪府、和歌山県、奈良県、滋賀県、北部を除いた兵庫県と京都府、西部を除いた三重県の言葉は「関西弁」または「近畿方言・関西方言」という一括りにされること多い。しかし、都会と地方の文化は異なるだろうし、関西の独特な笑い文化はどこまで続くかは実に難しい問題で、稿をあらためて論じる必要がある。

 加えて、「大阪人」及び「関西人」は文脈によって、それぞれ「東京人」と「関東人」との対比を成すことがある。つまり、「東京人」との対立を強調するなら、「大阪人」も使われるだろうし、「関西」と「関東」が比較の対象であれば、「関西人」が使用される傾向が見られる(この対照について詳しくは4回目の連載を参照)。少なくとも笑い及び現代娯楽の領域においては大阪人が関西人のプロトタイプだと言える。プロトタイプとは原型や手本という意味だが、関西人の中で大阪人は最も関西人らしいというわけである。そのため、以下で「大阪人」を使うことにする。 

2 「大阪学」について

 さて、笑いは大阪人のアイデンティティや文化の中で、どれぐらいの割合を占めるのだろう。「大阪」は学問として色々な場所で教えられてきた。ネットでかんたんに見たところでは、大阪公立大学の前身である大阪市立大学では合併前まで「大阪学」の授業があったことが分かり(osaka-cu.ac.jp)、大阪教育大学でも同じ科目名の授業が23年度にも開講されているようである(osaka-kyoiku.ac.jp)。

 私が留学生として、当時の大阪外国語大学留学生教育センターで勉強していたころも留学生向けの大阪科目があった。この記事の執筆にあたって使っていたオリジナルテキスト『留学生のための大阪読本』(嶋本2004)を改めて読み返すととても懐かしい気持ちになる。先生の引率で大阪までフィールドワークをしに行って、ミナミで「ゲテモン」をおごってもらったのは大学の時代のとてもいい思い出である。昼なのにもかかわらず、「先生、ビールを飲んでもいいですか」と尋ねると「ええよ」と先生が言ってくれた。いい時代だったように思う。

 大阪学の教育において最も足跡を残してきたのは何と言っても大谷晃一(1923年~2014年)だろう。代表作『大阪学』(1994)の前書きでは大阪学の授業を帝塚山学院大学で始めたのは1988年だったという(p.3)。この本の内容は授業に基づいていると思われ、その後大谷は『大阪学 続』(1994)、『大阪学 世相編』(1998)、『大阪学 阪神タイガース編』(1999)、『大阪学 文学編』(1999)まで執筆した。

 大阪学のカリキュラムはどのように構成されているのだろうか。以下の表は大谷(1994)の『大阪学』の章のタイトルとそのキーワードをまとめたものである。

タイトルコメント
1不法駐車-街へ出よう観察:エスカレートの立ち位置など
2お笑い-吉本興業 
3きつねうどん-食い倒れ 
4スーパー-ダイエーと阪急金銭感覚など
5好っきやねん-大阪弁 
6古代ベイエリア-大阪の位置 
7中世の近代人-楠木正成 
8都市の誕生-蓮如、信長、秀吉 
9大阪人写実-西鶴と秋成性、お金など
10実証と自由と-町人の学問 
11東京が何んや-近代文学の系譜対比
12キタとミナミ-二つの大阪梅田の周辺と難波の周辺

 出版から30年近く経つのだが、上のリストを読めば今の日本においても何となく大阪人のイメージが浮かんでくるだろう。12章のうちの第2で取り上げられている笑いはもちろん、その他にも大阪弁の章、そして大阪人と東京人との対比を扱う章もあることが分かる。成り立ちに関して、大谷(1994)は「なぜ大阪人はこうなったのか」についての起因には次のように述べている。

大きくいえば、二つある。一つは大阪の風土である。その位置や地勢や気候の移り変わりなどが、土地や人間を作る。もう一つは歴史である。それも、政治、経済、文化、芸術、文学などあらゆる歴史がかかわる。先人たちが長い間に培い育てた歴史によって、そこに住む人びとの意識や行動ができて来る。

(p.27)

 私の理解はまだまだ浅いかもしれないが、大谷は何冊かの本を通じてこの二つの可能性を追求してきたと思っている。ちなみの笑いの章のでは「漫才は大阪では生まれた」「大阪の漫才は日本中に知り渡る」「阿保になる芸風」「自分の恥をネタにして(次回第4回の連載記事を参照)」という小見出しがある。

 もう少し新しい大阪学に権威のあるものには、「なにわなんでも大阪検定」とその教材がある。外国人の私から見ると、日本にはびっくりするほど検定や資格が多い。「ご当地検定」とネットで検索してみたら少なくとも50以上あることが分かる。そのうちの一つが前述の大阪検定だったのだが、この記事のために下調べしようとしたら、なんと、公式ホームページによると、当検定は「2022年度をもって終了いたしました」という(osaka-kentei.jp/)。理由は不明だが、2009年に始まった検定は第13回で幕を閉じたわけである。

 さらに、ホームページで知って驚いたのは、毎年のテーマが異なり、最終回のテーマはなんと「大阪の笑い」であった。公式ポスターの一枚は、冒頭の引用にも似た文章があったように「『大阪人がふたり寄れば~』と言われています。空白に入るのは?①万歳②漫才③天才④拍手喝采」となったほどである。やはり笑いは大阪の文化の一部だとは否定できない。ちなみに、上記の言い伝えは様々な文献に現れるが、いずれも出典がなく、誰がいつから言われるようになったのか私は突き止められていない。

 なにわなんでも大阪検定の内容に関しては公式テキストがあって、ここで簡単に構成を紹介しておこう。タイトルは『大阪の教科書』(橋爪2012)であり、小学校の時間割をコンセプトとして、主に以下の5つの章から成り立っている。

時間割科目タイトル
1限目国語大阪ことばを学ぶ
2限目社会水都、商都、民都、さまざまな貌
3限目体育本拠地があったころ
4限目芸術・娯楽道頓堀カルチャーと中之島カルチャー
5限目生活大阪人の暮らし

 第1章には主に語彙、文法、文学が取り上げられているが、言葉と漫才が結びつけられているところもある。第4章の82ページ中、6ページが漫才、8ページが上方落語を扱うといった具合である。

3 大阪人のステレオタイプと現実

 どの検定でもそうだろうが、ある程度事実に基づかないと成り立たない。もしかしたら、大阪人のキャラの核心に近づくためにむしろステレオタイプ、すなわち偏見を分析するのは面白いかもしれない。そこで、前回少しだけ登場した、漫画などでよく使われている役割語を追求してきた金水敏の研究を紹介したい。役割語の研究の中で最も影響をもたらしてきたのは『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』(2003)だと思われるが、その中に漫画を始め、ポップカルチャーにおいて大阪人のステレオタイプ、そして大阪人のキャラクターの変遷について詳しく書かれている。

 まずは大阪弁話者のステレオタイプだが、金水によるとポップカルチャーの作品において大阪人キャラクターに期待される性質は以下の通りである。

  1 冗談好き、笑わせ好き、おしゃべり好き

  2 けち、守銭奴、拝金主義者

  3 食通、食いしん坊

  4 派手好き

  5 好色、下品

  6 ど根性

  7 やくざ、暴力団、恐い

(pp.82-83)

 思われて嬉しい性質と嬉しくない性質はあると思うが、いかがだろうか。それぞれの性質を検証していくのは大変興味深いのではないだろうか。具体例としては、外食のコスパの基準や、ヒョウ柄の洋服の売り上げなど、枚挙にいとまがない。金水は、漫画からの数多くの例を用いて、ステレオタイプの成り立ちを探っているため、興味があれば参考にしてもらえればよいと思う。

 ステレオタイプは多少単純化された固定概念やイメージだと定義できるが、全体的に見れば本当に大阪人は東京人より人を笑わせるのが好きなのだろうか。このような疑問は多方面から検討してきたが、確答はもちろんない。ここで、データの例を一つだけ挙げたいと思う。2015年に全国放送でレギュラー番組を持つお笑い芸人の出身地を調べたことがある(Vaage 2019)。人数別の結果は以下の図で示されている。

 この図から、日頃テレビで日本の国民を笑わせているのは群を抜いて大阪出身の人が多いことが明らかになった。しかし、科学は難しいもので、これは大阪人の性質によるものだとは当然断言ができない。例えば、お笑い芸人を大勢養成してきている吉本興業の本拠地が大阪にあるということもその理由になり得るだろう。

 ここで少しだけ金水(前掲)に戻りたい。本の中では、笑いの歴史も詳しく述べられており、大阪との関連が全国的に定着したタイミングと理由について以下のように述べている。

〈標準語〉普及の推進力となったラジオは、一方で大阪弁、関西弁を全国に発信する装置ともなったが、そこから聞こえてくる関西弁とはすなわちエンタツ・アチャコを代表とする漫才であった。エンタツ・アチャコは映画にも進出して成功したが、この過程で、マスメディアにおける「関西弁=お笑い」という図式が固定化されていったと考えられる。

(p.92)

 ここで述べられているのは昭和初期のことだが、私が思うには、もっと昔から関西にボケとつっこみの積極的な使用を含める笑いの文化があったのではないだろうか。第1回の記事ではボケとつっこみの構造は600年前の狂言にも見られると述べたが、これは言うまでもなく江戸が出来る前である。欧米と違って日本にはボケとつっこみの文化が出来たわけだが、特に関西において能動的な能力が重視されてきている。他の地域にもボケとつっこみの知識は当然あるが、積極的にボケとつっこみのやり取りを行うよりは聞いて楽しむ人が多いのではないだろうか。次回はアンケート調査などからのデータを用いて、この仮説は検証していく。

 今回は大谷(1994)の『大阪学』のカバーに描かれているジョークでしめたいと思う。スーツ姿のサラリーマンが頭を下げて「てんまん六丁目(天満六丁目)ってどっちですか?教えてくれませんか」と尋ねる。イズミヤの袋を持ちやや恰好が汚い大阪のおじさんは手を伸ばして「ハイ、300万円」と答える。このやりとりは最近我が家でも無理やり流行らせて、私は「今度の土曜日の参観日に行くんだけど、2年1組の教室はどこだったっけ?教えてくれませんか?」などと仕込んでおくと、子供たちはちゃんと「ハイ、300万円」と返答してくれるように能動的な能力を身に付けた。小学校2、3年生と幼稚園の子供は半分「しつこいな、お父さん」と思いながらも、意外と喜んでくれる。このおやじギャグが好きな父の相手をしてくれるという幸せはいつまで続くのだろうかと心配になってしまう。

参考文献

橋爪紳也2012『大阪の教科書 増補改訂版-大阪検定公式テキスト』創元社

関西ルール研究会2012『けったいなこだわりてんこもり!関西人の「あるある」図鑑』PHP研究所

金水敏2003『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』岩波書店

ニシワキタダシ・早川卓馬2011『かんさい絵ことば辞典』ピエブックス

尾上圭介1999『大阪ことば学』創元社

大谷晃一1994『大阪学』新潮文庫

大谷晃一1994『大阪学 続』新潮文庫

大谷晃一1998『大阪学 世相編』新潮文庫

大谷晃一1999『大阪学 阪神タイガース編』新潮文庫

大谷晃一1999『大阪学 文学編』新潮文庫

嶋本隆光2004『留学生のための大阪読本』大阪外国語大学留学生日本語教育センター

Vaage, Goran 2019 Osaka Studies – Beyond the Myths. In Proceedings of the sixth International Conference Japan: Pre-Modern, Modern and Contemporary. Dimitrie Cantemir Christian University

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