ボケとつっこみの言語学|第2回 ボケとつっこみについて|ヴォーゲ・ヨーラン

「この度は、女風呂をのぞいてしまって申し訳有馬温泉!」

1 つっこみどころ

 前回の記事が少し硬いというコメントがあったので、今回はかなりふざけたものを冒頭に持ってきた。このギャグは筆者が考えて、たまに披露するローカルギャグである。

 ギャグのため、つっこみは普通求められないが、これに対してつっこむとしたら、何を言えばいいのだろうか。「番台さん、そんなことしたらあかんやん!気持ちは分かるけど。」または、「何が有馬温泉やねん!町のイメージダウンにつながるやないか!」というように、つっこみどころは主に二つがあるのではないかと思う。一つ目のつっこみどころは女風呂をのぞくことで、その行動自体が不適切である。二つ目のつっこみどころは「申し訳有馬温泉!」の言葉遊びである。説明するまでもなく「ありません」と「ありまおんせん」の言葉をかけてギャグとしている。ちなみに、このギャグは筆者が考えたと述べたが、実は本稿の執筆にあたって、改めて「申し訳有馬温泉」をネットで検索したら、すでに多くの記載があった。次々に新しいネタを考えないといけないお笑い芸人はさすがだなと改めて思った。

2 ボケとつっこみの定義

 というわけで、今回はボケとつっこみそのものを詳しくみていきたいと思う。まずはボケとつっこみの定義に近づいてみよう。前回述べたように、ボケとつっこみという用語が漫才の文脈で使われるようになったのは50年ほど前だが、言うまでもなくボケとつっこみの役割はおそらく漫才よりも古く、単語としてのボケとつっこみ、または動詞の「ボケる」と「つっこむ」は日本語においても長い歴史をもつと言えるだろう。

 このように、笑いにおける「ボケ」と「つっこみ」と言っても、二つの少し異なった概念を表すことが分かる。一つ目は役割としてのボケとつっこみで、二つ目はこれらの役割に伴うセリフである。しゃべくり漫才においては、役割もセリフもかなり制度化されているが、一般の人の日常のコミュニケーションにおいても浸透してきている。この傾向は、例えば『コミュニケーションの社会言語』でも注目されている。

演芸としての漫才では、相手がボケたときに、それを否定したり軌道修正したりする(「なんでやねん」「そんなわけないだろ」)ことで、笑いを増幅させるのがツッコミの役割だ。つまりボケ役の常識外れの無軌道な言動を常識の側に立ってたしなめつつ、同時にボケを際立たせるのがツッコミである。ところが、テレビというメディアを通じて浸透していくなかで、ツッコミは、コミュニケーションの一般的な技術の一部になり、求められる役割が変わってきたように思われる。

(太田省一2009、p.156)

 私自身もボケとつっこみのやりとりはどの程度まで日本人の日常会話に浸透しているかが気になり、その真相を探るために意識調査やコーパス研究を行ったことがある。コーパスとは、主に研究目的で書き言葉または話し言葉を大量にまとめた言語の資料のことだが、情報技術の進歩に伴って、色々なデータが集めやすくなってきている。日常会話のコーパスがあれば、会話の中のボケとつっこみのようなやりとりを探すことが可能になる。

 この目的に有効なコーパスの一つは関西学院大学のヘファナン・ケビン教授が作り上げたCorpus of Kansai Vernacular Japanese(関西弁話し言葉コーパス、Heffernan 2019)である。今まで多く見られた文学や議事録などに基づいたコーパスと違って、このコーパスには関西出身の一般の人の150時間分の日常会話が収録されている。

 一般の人の日常会話の中にどのようなつっこみがあるかを見てみよう。一つ目の会話の抜粋(KSJ057M2)は、彼らの録音される会話が研究目的で使われることがあるので言えないこともある、という話題から入る。

A:わあ。あの、ゆうとっけど、これわりと、研究の発表とか使われると思うで。

 B:やばい(笑)

A:多分な、多分な。

B:ど下ネタゆってるかもしらん。

A:いや、今んとこ、俺が聞いてる限り大丈夫や。

B:良かった。

A:今のんが、一番危ない。

B:危ない?

A:まあ別に良いけど。

B:男子高校生やもん。俺らも。

A:まあそうゆう人も居るって感じで良いけど。

B:男子高校生ですよ。

A:でもあくまでも研究やから。そうゆう話は控えようねっていう。

B:おけえ。

A:TPO的な。まあまあ。

B:時々パッションOK。

A:ちゃうやろ。

 会話分析を勉強したことない人には上記の会話が変に思うかもしれないが、実は我々が日常で行っている会話は書き起こすと大体こんな感じである。相づちを始め、言い間違い、繰り返し、「ええと」、「あの」などのいわゆるフィラーも多いし、そして、文も短くなる。1語文と2語文は非常に多い。このようなところはやはりスピーチ、ドラマ、漫才のような台本がある話し言葉と大きく異なると言えるだろう。折角の機会なので、このコーパスからもう一つの会話を取り上げたいと思う(KSJ047M6)。話題はCのボランティア活動である。

C:やっぱり、その24になったら役が当たるから、青年団の、団長とかあたるから、それまでにはたちぐらいから。うーん、用意で、したばらい、しらばらいゆうか、下働きやなあ。そっからもう楽しいわな。うんパシリみたいな感じの。ていうのやっとって、やっぱり、やっぱり徐々にそういう、役の勉強していくからな。うん。地域の。

D:へえ、そうなんや。え、団長やっとったん?

C:ううん。

D:え、そうなん。

C:地位は会計。

D:かい、会計?

C:うん、せやから太鼓の練習終わったら子供らを飲みに連れて、って飲みにちゃうわ。

D:飲みにちゃうやろ。あかんで。

C:ご飯、ご飯たべに、一週間に二回ほど飯会に行かすしな。

 この二つの会話の内容を少し解説してみよう。二つ共の会話におけるつっこみは比較的に分かりやすいが、そのつっこみに至る経路は若干異なることが分かる。一つ目の会話ではBがユーモアとしてTPOの略をわざと間違える。これは典型的なボケにあたる。二つ目の会話ではCが「ご飯食べに行く」のかわりに「飲みに行く」と言ってしまう。話題はボランティア活動のため、子供と飲みにいくとしたら、これは当然不適切な行為になってしまう。いずれの会話においても、相手が間違いを指摘し、それぞれ「ちゃうやろ。」と「飲みにちゃうやろ。あかんで。」とつっこむ。これはやはり太田(前掲)が分析しているように、ある種の会話術として分析すべきである。つっこむことによって二人の気分がより良くなると想定できる。科学的に証明するのは中々難しいが、このような会話術が関西地方には優勢であるとよく言われている。

 以上明らかになったことをまとめると、ボケはおかしいことを言う。つっこみはそのおかしさを指摘する。当然、ボケとつっこみは先行研究にも定義されてきたので、言語学の分野においてどのような定義があるかをいくつか取り上げていこう。紙面の都合上ここでは紹介を主につっこみに限定しておく。

 漫画などでよく使われている役割語の研究で有名な金水敏(1992)は「会話をもとの進路に戻す役目はツッコミである。(p.76)」と述べている。一方、中田一志(2014)はボケが「エラーを生じさせる操作」であり、つっこみが「やり直しの指令」というような位置づけを提案している。この2本の論文は漫才をデータに使用しているが、確かに漫才のやりとりはあらかじめ決められているゴールに向かっていると言える。それに対して、日常会話の方がもう少し不規則であり、特定のゴールはないことが多い。

 方向性ではなく、ボケとつっこみは発話や表現であることを強調している定義もある。小矢野哲夫(2004)は「ツッコミとは、相手のボケの発話内容に対して理不尽、不合理、非常識などを指摘する発話である。(p.43)」と述べ、安部達雄(2005)はつっこみを「ボケの後続部分でおかしみを効果的に伝達する表現(p.50)」と定義している。目的にもよるだろうし、適切かどうかはこの連載を通して改めて検討していきたいと思うが、私自身は以前次のようにツッコミを定義した。

つっこみとは、ユーモアおよび盛り上げの一環としておかしみを指摘する(言語)行動である。「なんでやねん」「ちゃうやろ」などのことばはつっこみにおける主役を担うことが多いが、無視や頭を叩く行動などの音のないつっこみもある。

(ヴォーゲ 2015, p.177)

 ところで音のないツッコミは安部(前掲)の分析において「沈黙型」にあたる。その他に「否定型」や「オウム返し型」「比喩型」などがあるという。このようなボケとツッコミの種類の変遷に関する興味深い研究が多く発表されてきている。日高水穂(2017)の研究によると、つっこみのセリフ自体も前回紹介したエンタツ・アチャコのような昭和初期にラジオで放送された漫才から、現在テレビで見られる令和の漫才まででかなり変わってきたとしている。昭和で主流の「頼りないな」や「よう言わんわ」は使われなくなった。それに対して、「なんでやねん」は意外と新しくて主に戦後から使われるようになった。ちなみに、「そんなアホな」や「アホなこと言うな」のような「あほ類」はずっと人気があるという。

 お笑い芸人でもなく言語学者でもない人はつっこみについてどのように考えるかという意識調査を2013年に行った(ヴォーゲ前掲)。被調査者に「つっこみとは何か、手短に説明してください」と尋ねると、以下のような回答があった。

  相手を助けたり、その場の空気を和らげる(女性21歳兵庫県出身)

  ボケを救ったりもっと面白くする役(女性21歳兵庫県出身)

  「ボケ」た人に対する礼儀(女性21歳奈良県出身)

  本当は間違っていることを良いタイミングで注意し笑いを生み出す(女性20歳兵庫出身)

 調査結果の傾向をまとめると、つっこみは赤字で示されているように、ボケを拾って面白さを作りだす行動でもありながら、青字の部分のように「雰囲気を作る」「場を盛り上げる」、すなわちより総括的に、コミュニケーションにおいてその場にいる人の気持ち良さを保つ役割を担うことも分かる。

3 ボケとつっこみの構造

 ボケとつっこみの構造をより分かりやすくまとめるために、以前私が図を作成し解説したことがある(詳しくは定延利之編『限界技術「面白い話」による音声言語・オラリティ研究』、ヴォーゲ2018参照)。前回述べたように日本の笑いは昔から二人以上の間のやりとりに基づいていることが多い。この事情は以下の図で表すことが出来るのではないだろうか。

図1 「下向き笑い」の構造(ヴォーゲ 2018, p.114)

 やりとりは時間次元に沿ってすすむ。そこでボケが何かとおかしいことを言い、すなわち話をおかしな方向に持っていく。それに対してツッコミはおかしなことを指摘して、「飲みにちゃうやろ。あかんで。」などと話を戻す。笑うことは別稿に譲るが、日本の笑いの特徴は、どちらか言えば、ボケよりつっこみの方が笑いをもたらすことだと言える。欧米で主流なジョークの構造は次のようになるだろう。

図2 「上向き笑い」の構造(ヴォーゲ 2018, p.114)

 前回述べたように、アメリカなどでよく楽しまれているスタンドアップコメディーでは一人のお笑い芸人は単独でステージの上でジョークを繰り返す。ジョークの基本的な構造は何の変哲もない話のセットアップと思いもよらない展開のパンチラインである。ジョークはやはりパンチラインのおかしさや、どれぐらい賢く捻っているかで笑いをもたらす。つっこみは必要ないわけである。

 ちなみに、このように枠組みにおいてのりつっこみの構造は以下のようになると考えている。

図3 ノリツッコミの構造(ヴォーゲ 2018, p.113)

 Aがわずかなおかしさが入った話を振られて、おかしさを増やしながら話を続けて、最終的におかしさに気がついて、それを言葉にするという流れである。欧米には基本的につっこみはないという話を繰り返してきているが、当然のりつっこみも定着していない。そのため外国人にのりつっこみを説明するのは中々困難である。最後にその際の、私の常套手段を見せて終わりにしたいと思う。

 ノルウェーの週末の朝食は家族でゆっくり食べる習慣がある。ゆで卵をエッグスタンドに置き、卵の上部2、3センチをナイフで切り、スプーンでゆで卵をいただくのが一般的である。そして、子供は親に必ずいたずらをする。先に卵を食べ、空っぽになった卵の殻をひっくり返してエッグスタンドに戻す。そして、親に「この卵はお父さんのね」と配る。親はだいたい次のように答える。「おお、ありがとう!この卵、一番おいしそう!楽しみ。(切る)って、空っぽやん!」というわけで、ノルウェーにも探せば、のりつっこみがあった。

 もう少しで、卵とよく結び付けられるイースターが始まる。優雅にエッグスタンドを使ってゆで卵を食べ、あなたが食事の相手にのりつっこみを引き起こしてみてはいかがでしょうか。

参考文献

安部達雄2005「漫才における『ツッコミ』の類型とその表現効果」『国語学研究と資料28』

Heffernan, Kevin 2019 The Grammar of Kansai Vernacular Japanese. Kwansei Gakuin University Press.

日高水穂2017「漫才の賢愚二役の掛け合いの変容 : ボケへの応答の定型句をめぐって」『国文学』第101号

金水敏1992「ボケとツッコミ―語用論による漫才の会話の分析」大阪女子大学国文学研究室編『上方の文化:上方ことばの今昔』和泉書院

小矢野哲夫2004「大阪的談話の特徴―ボケとツッコミ―」『日本語学』23(11)明治書院

中田一志2014「漫才の笑い:エラーと非効率性と非整合性」『日本語・日本文化』41 大阪大学日本語日本文化教育センター

太田省一2009「遊びと笑いのコミュニケーション」長谷正人・奥村隆編『コミュニケーションの社会学』有斐閣

ヴォーゲ・ヨーラン 2015「日本人とツッコミについて」『2015年ホーチミン市日本語教育国際シンポジウム 紀要』

ヴォーゲ・ヨーラン2018「やりとりから生まれる面白さについて:「ちょっと面白い話」のツッコミを中心に」定延利之編『限界芸術「面白い話」による音声言語・オラリティの研究』ひつじ書房

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