今、実践の記録から、熟議という話し方をふりかえってみる|第2回 対話や熟議の効用と功罪|吉田省子

1.はじめに/対話を奉ることの危うさ

子供時代を思い出すとき、あちらこちらで拾い集めた小石の数々の記憶に行き当たる人は多いのではないか。いまやその多くは紛失し、各自の記憶の中ではその存在すら曖昧になっているかもしれない。10歳の私の宝物は自分で集めた貝の化石だった。だが、ある日、他所で、アンモナイトや子供の目には大量の化石コレクションを見た瞬間、自分の宝が何ともつまらなく色褪せて見えた。この色褪せるという感覚を、十数年前に突然思い出したのだ。

いつとは敢えて言わないが、北海道大学で、遺伝子組換え(GMと表記する)技術の現状に関する市民向け報告会があった。それは大学や札幌市の主催や協力によるものではなく、科学者の自主的取り組みだった。終了直後に科学者は聴衆の一部に「対話しましょう。分かるまで教えますから対話しましょう」と誘いかけたが、科学者が言えば言うほど、言われた女性たちは身構えた。彼女らは札幌消費者協会[1]の会員や生協で組合員活動をしている女性たち[2]だった。

その光景は対話という取り組みを急に色褪せさせた。それは、大事にしていた対話という行いが、市民の側に立った取り組みであるとのお墨付きを与えるものではなく、誰でもが用いるもので、何かを推進したい側にとっても利用しがいのあるものなのだと、当たり前のことを体感したからだ。だが、つまらないとは思わず、私は対話を捨てる短慮をせずにすんだ。

捨てずにすんだのは疑問が2つ生じたからだ。1つは、対話の効用を盲目的に信じ込んではいないかという内省が働いたことで、連載第2回のテーマである。2つ目は、「無知」であることへの対処は知ってしまうことが最良の解答なのだろうか、具象化以前の世界[3]だって無意味じゃないのにと噴出した疑問だ(連載第4回)。

終了後に彼女たちに誘われカフェでの談笑に加わったが、「新しい知識に触れる機会には感謝するが対話の強要は気持ちが悪い」と言い合う声に、少し肝が冷えた。私が関与するプロジェクトでは、消費者協会や生協の方たちを中心に専門家を交えた対話型の学習会が続けられており、この頃には対話っていいねという雰囲気になっていた(と思っていた)からだ。対話を相互理解の錦の御旗に掲げる危うさに、改めて意識が向いた瞬間だった。

時期対話の名称と情報提供の「演題」/所要時間研究プロジェクト名/通称/代表(北大農)ファンド/期間/他
2007年 1月17日事例8)第3回GM対話フォーラムin 札幌「バイオテクノロジー育種に携わってきた研究者の目から」/ 3時間研究者の社会リテラシーと非専門家の科学リテラシーの向上/GM作物対話フォーラムプロジェクト/松井博和JST/RISTEX /2005年12月-2008年11月/コープさっぽろ組合員活動部との意見交換付き学習会
2007年 3月16日事例9)第4回GM対話フォーラムin 札幌「動物実験って何?」/ 3時間同上同上
2016年 1月21日事例10)平成 27 年度遺伝子組換え技術に関する情報交換会/1時間40分農林水産省・北海道農政事務所 消費・案全部 消費生活課の主催対象者は札幌消費者協会の2つの活動グループに限定

今回は上記の事例に依拠した。各報告書は()内のリスコミ職能教育プロジェクトのURLの「報告書」バナーから探すことができる(https://lab.agr.hokudai.ac.jp/voedtonfrc/)。なお、事例10は他機関のイベントへの参加記録(感想)であり、このURLの「リスクコミュニケーションって何?」バナーの「よろず見聞記1」である。

私は台所と大学の机との間で右往左往している者なのだから、この宙ぶらりんに相応しく、論文にはなり得なかった対話の背景の自身の目による素描から始めたい。

2.対話の背景/不確実な知識の下でのコミュニケーションの不自由さ 

GMイネの試験栽培(連載第1回)の住民向けの事前説明会情報は、友人の有機農産物等を扱う仲買業を兼ねた八百屋から2003年5月中旬にもたらされた。傍聴に出かけた私は、食べ物や農作物の安全性や生産のプロセスが大事だと考えている主婦の一人だったが、同時に、大学院で「科学の公衆理解」から「科学技術への公衆関与」への大きなうねり[4][5]を学ぶ機会があった者でもある。いきなり対話の実践活動に飛び込んだがために、民主主義のプロセスといったものを一応は頭の片隅に置いていたが、相手方と一緒に場作りからはじめるしかない状況だった。

2004年前後は、食品安全基本法[6]が策定され、BSE対策規制緩和の議論が始まり、国主導のBSEリスクコミュニケーション(以後BSEリスコミと表記)が始まった時期でもあり、科学コミュニケーション論に関する日本語で読める書物が出回り[7]、すでにリスクコミュニケーションに関しては良書が存在した[8][9]。先行研究者たちを後追いする私は、書物の中にではなく現場の中に、居心地の悪さを感じることがあった。「マグロと水銀(十分な科学的知見が社会に蓄積)」と「牛肉と異常プリオン(科学的知識の蓄積は不十分)」でそれぞれのリスクコミュニケーションを企画する思考実験をしてみると、本来その二者ではハザードやリスク情報の提供の仕方や開催目的は異なるであろうに、混ぜこぜになっているように感じられた。

BSEリスコミ会場の片隅で、行政、消費者、酪農・畜産農家、皮革業者、飼料会社等の方たちが交わす呟きの中にも色々な不安定さが見え、不確実な知識の下では何も手を打たなければ対話の行く手が塞がれると感じた。その中に、後に連携することになる人たちがいた。一人は北海道農業女性ネットワーク(きたひとネット)の事務局を牽引し、GM作物対話フォーラムプロジェクト(2005-2008)での農業者を交えた対話での結び目となる人で、もう一人は、リスコミ職能教育プロジェクト(2014-2019/第1回事例7)で実行委員を引き受けることになる人で、一般社団法人北海道消費者協会の商品テスト部(当時)所属だった。

専門家間でもBSEやGM作物の獲得された知識の有効範囲には合意はなく[10]、リスクコミュニケーションは説得ではないとの了解はあっても、行い方が説得と大差のない仕方になってはいなかったか。突如降りかかった栽培実験に押されて、札幌市民や道民はGM作物の栽培を社会の中で考えるという難問に直面させられた。GM作物対話フォーラムプロジェクトは、リスクコミュニケーションを定義せず(できず)、対話をリスクコミュニケーションに紐付けせず、素朴に、話し合いを通して専門家と市民とがより良く理解し合えるかもしれないと考えた[11]

GM作物対話フォーラムプロジェクトの終了後、我々の力量を超えるものだと認識しながらも、

 「説得」ではなく、「納得」を醸成するようなリスクコミュニケーションのあり方はないのか、そしてそれはどのような姿をとるのか、という点に関し、尽きない強い興味をそそられざるを得なかった[12]

と考えて、対話を敢えてリスクコミュニケーションに紐づけ、説得に陥らない対話のあり方を求め、2009年にRIRiCはなしてガッテンプロジェクト(第1回連載事例1-5)を企画した。

不確実な知識の下でのコミュニケーションの不自由さを念頭に、RIRiCは気楽に不安を語ることができる対話をめざし、2010年1月からBSE問題を取り上げた。2008年に佐藤卓巳著『輿論と世論』(新潮社、2008)を読み、世論調査について調べるうちにDP(Deliberative Poll)熟議型世論調査[13]に関心を持った。だが、構想中のプロジェクトでは、BSE問題を扱う枠組みとしてDPを採用することは[14]、陣容を整えられそうもなく断念した。門平(第1回連載)と共に、熟議の前に語りを通して各人の熟慮を促進したいと考えていたことも一因だった。「振り向けば、未来」を通して、立場の違う人々が語る生の声を通して、互いにその先を見ることを優先した。

3.相互理解が深まる時、語り手たちは語り口を変え、ファシリテーターは口を閉じることもある

熟慮と熟議が重なった瞬間と言える場でファシリテーターをしていたことがある。

一人でじっくり考える熟慮と他者との意見交換や議論を通して考える熟議は、相補いかつ対立する[15]と言われている。GM作物対話フォーラムプロジェクトでの研究者と市民が同じテーブルで話し合う試みは、市民が論点に関する知識をより多く獲得することだけを、研究者に市井の声を直に聞き取ってもらうことだけを目的としていたわけではなく、なじみ合う程度のものでしかなくとも、理解し合うことを重視した。対話は、相互理解の深化という点では効果的だった。

そのような場がGM対話フォーラムin札幌(事例8と9)だった。簡単に述べるなら、講演会と意見交換会を組み合わせた対話イベントである。GM作物対話フォーラムプロジェクトとコープさっぽろ組織本部や組合員活動の理事たちと半年の準備をしてからの開催だった。共主催で2006年11月から2007年8月までに6回行われ、コープ側の世話役が組合員の学習会という大枠を作り、その中にプロジェクト側が招いた講師による講演会(情報提供と共有)および参加者と講師との意見交換という枠を入れた。参加者は、コープさっぽろ組合活動部に所属する人たちが中心になり、札幌消費者協会の食と健康を考える会という活動グループも加わった。

さて、第5回以降のGM対話フォーラムin札幌は育種や周辺生態系への影響がテーマになり、意見交換のテーマも同様だったが、第1回から第4回までは様相が違っていた。これらの回での意見交換では、回ごとに講師が変わっても、GM大豆を食べ続けたラットは死んだという実験[16]があるのだから毒性があるのではないか、長期摂取したらどうなるのかとの質問が途切れることなく続いた。科学者が追試実験をしないのは毒だったら開発した科学者や企業が困るからだと憶測し、都合の悪いことを隠しているのではないかと講師に問い続けたのだ。

特に2007年1月の第3回GM対話フォーラムin札幌(事例8)では、参加者たちは「GM作物を作ったり研究する国の機関はあっても、心配だという声に答えて実際に実験してくれる第三者的機関がない」[11、 p.21]と言い続けた。これら2つの対話イベントは国内での長期摂取実験である「GM大豆104週間摂取試験」結果が公表[17]される前に行われた対話だった。

この第3回イベントは「バイオテクノロジー育種に携わってきた研究者の目から」との演題にあるように、講師は育種の専門家であり、2000年の「遺伝子組換え農作物を考えるコンセンサス会議」では「農作物の品種改良と遺伝子組換え技術」と題した話題提供をした科学者である[18]。GM技術と育種に絡む論争を経てきたいわば強者で、寄せては返す波のような質問と応答にくたびれたわけでもないのに一瞬の沈黙があった時に、プロジェクトの代表者(科学者)が放った一言が秀逸だった。「先生、ぼくら科学者って傲慢なんでしょうかね」に対し、一瞬の沈黙を経て講師は皆の方を向き「そうだったのかもしれない」と応じたのだ。参加者はすぐに応じた。自分達がサイエンスに無知であること、だが研究自体に反対しているのではないこと、教えてもらいたいことはたくさんあるのだと述べた。科学者が社会を理解することは大事なことだとの共通認識に至り、相互理解が深まったと思われた瞬間だった[11、 pp.20-23]

ファシリテーターの私は、寄せては返すと形容したが、意見交換のその辺りからは、講師と参加者との言葉のやりとりを邪魔しないことにした。何のことはない人為的なファシリテーションは不要だったのだ。発言を我先にと競うのでもなく、一人また一人と次々に言葉が発せられるのである。その中にいた私が次の一手と考えていたのは、追試をしてほしいという参加者たちが小声で交わす呟き「食べさせればいいだけの実験でしょう」への応答の語り口だった。

第4回GM対話フォーラムin札幌の講師として、動物実験って容易いことではないのだと参加者に知って欲しかったので、獣医学研究科の実験動物学の専門家を招くことにした。打ち合わせで、参加者はなぜ追試実験を行わないのかと質問を繰り返すだろうが、科学者として逸脱しない形で応答していただけるものならしてほしいと、率直に願い出た。

参加者は演題の「動物実験って何?」に驚いたが、遺伝的均一性を保った実験動物の確保の難しさ、飼育実験環境を均一化することの難しさ、動物福祉に配慮した動物実験の現状について学んだ。意見交換で講師は、なぜ大学の研究者が「GM大豆を食べさせる実験の追試を行わないのか」に関する個人的見解を述べた。このような実験では追試をしても新しい論文を生み出せないこと、研究資金に関わる研究倫理の問題なども絡めながら率直に話され、費用はかかるとの前提で、「依頼された実験を行う機関」はあると述べた。一般財団法人 日本食品分析センター 千歳研究所(当時)の名を挙げられ、検査を依頼するためには適切な実験計画書を書くことが求められるので、みなさんがそうするというのなら是非書く手伝いをしたいとまで言ったのだった[11、 p22]

参加者はすぐに反応し、コープ側の世話役が代表して述べたのだが、科学者へのお願いという形の応答になっていた。「科学者と比べると知識の乏しい消費者に対し、知識やリスクの情報を丁寧に伝える場を設けて教えてほしい」というものだった。科学者が市民の目線で見ることがあるという可能性に、2回の対話を通して参加者は気がついた。

出だしは敵対的であっても、専門家と市民とが上下関係のない空間で耳を傾けあって対話する先に、理解し合う瞬間があった。情報の伝え手の語り方、その語りの受け手による伝え手への返答。返答を受けた伝え手による受け手への応答。幾種もの幾重もの語りが切り結ばれていく先に何らかの納得が双方に生まれ、信頼も培われる。そうだ。確かに対話の効用は大きかった。

しかし、良いことばかりではない。

4.対話や熟議の仮面をつけた欺瞞

熟慮と熟議は組み合わされてこそのものだと、私は経験的には実感している。対話/熟議の効用は大きい。意見交換を通して参加者に素直に知りたいと語らせ、情報提供者には内省をもたらす。その一方、新しい知識の獲得につながらない意見交換だけでは、相互理解の増進だけを主催者が目的としているなら、参加者にとって対話はメリットがない場合もある。実際、参加者に後味の悪さを感じさせる対話/意見交換というものも観察された。

それは、北海道農政事務所(農林水産省)が札幌市で開催した2回の「遺伝子組み換え技術に関する情報交換会」である。1回目の情報交換会(事例10)は2016年1月21日に催されたもので、農政事務所は札幌消費者協会に30名程度の受講者(参加者)を集めてほしいと協力を要請し、札幌消費者協会は協会内の活動グループを中心に参加者を集めた。なお、私はオブザーバー参加で、参加者の大半は、リスコミ職能教育プロジェクト(2014-2019)のゲノム編集技術までを視野に入れた2014年度シリーズ学習会「農作物の育種って何」の参加者であったことを述べておく[19]

司会者(農政事務所)の「一方通行ではなく相互の情報交流をしたいと考えている」との言葉から始まり、講師(農林水産技術会議事務局)はGM技術等の先端技術の農業・食品への応用という演題で、GM技術とゲノム編集技術は違っていることを強調し、ゲノム編集によるソラニンを産出しないジャガイモのスライドを見せた。質疑応答時間は少なかったが、このジャガイモについては印象的なやりとりがあった。「(調理の下準備で)芽を取るだけでいいのに消費者は(ゲノム編集ジャガイモ)望んでいるのか」という質問に対し、講師は「(ラボ段階だからこそ)こういった場を活用して得た皆さんの反応を研究者に伝えたい」と返した[20]

農水省も双方向性を意識した取り組みをするのだなと感心し、研究者が参加者の反応をどのように受け止めたのかについての物語がこの参加者のもとに返ってきたら、それは実質的な双方向的な対話となり、相互理解の深化に繋がると思われた[20]

2回目の情報交換会は2017年6月2日に開催されたが、農政事務所側の消費者協会への要望は前回と同じ参加者に集まってもらいたいということで、再受講は8割だったと聞いている。私は期待した。対話結果をフィードバックすることは両者に必要で、新たな情報を追加し、同じメンバーで対話を重ねようとの農政事務所の意欲が感じられたからだ。だが当日、がっかりした。しかも私の落胆以上に、何故か怒っている参加者たちがいたのだ。この怒っていたという状況は、決して農政事務所が表に出す報告には上がらないものだが、語り方を思い悩む者としては、書き留めたい。

消費者協会は引き受けるに際し条件をつけた。2016年の意見交換会の質疑応答の時間の短さに不満が残っていて、質疑応答の時間を増やすことと、事前質問状に回答すること求めた。さて、どうだったか。第1回目の資料を持参していた私は驚いた。情報提供のスライドは第1回目とほぼ同じだったのだ。ほぼという意味は、件のジャガイモのスライドだけが抜けていたからだ。事前質問に対する回答も不十分で、その上、双方向性を期待させたジャガイモの件での研究者からの返答は一言もなかった。農政事務所の双方向の主張は画餅に過ぎなかったのだ。

見事にすれ違ったのだが、この場には3種類の期待があった。私は、研究側から何か応答があり実質的な双方向の現場を見ることができるかもしれないと期待した。参加者は、疑問に対する回答を得ることによる知識の増強と新しい知識の獲得を期待した。一方、農政事務所側は同じ人々との対話を繰り返して相互理解を深めることを目的とした。なお、協会スタッフが述べるには、市民はこのような学習会に出ない限り新しい情報に触れる機会はないので、機会がある場合には参加するよう勧めているが、GM作物やゲノム編集作物の受け入れ推奨ではないそうだ(2016年1月21日聞き取り)。

確かに対話は繰り返し行うことが大事である。だが、対話の双方向性を宣言した農政事務所のあの気概は何だったのだろうか。私たちは見事にすれ違ったのだ。「市場における欺瞞は説得である」という表現を本で読んだことを思い出し[21]、熟慮と熟議の両輪を忘れたような対話の強調は寂しいなと思った。そして、その場で、本稿のはじめにで述べた記憶が再び蘇った。「新しい知識に触れる機会には感謝するが対話の強要は気持ちが悪い」と言い合う声を思い出したのだった。

次回は、2011年10月開催の「GMどうみん議会(ミニ・パブリックス)」と2019年2月の市民対話「わたしたちの未来と農作物のゲノム編集」を事例に取り上げ、準備する側の語り合いにも着目して、熟議の場あり方をめぐる現場での逡巡について騙らぬように語りたい。

参考文献と注

[1] 公益財団法人札幌消費者協会 https://www.sapporo-shohisha.or.jp/(最終閲覧日:2022年11月10日)

[2] コープさっぽろ組合員活動部 https://www.sapporo.coop/content/?id=62(最終閲覧日:2022年11月10日)

[3] 湯川秀樹(2017)「具象以前」『詩と科学』平凡社、p.54. 混沌に目鼻をつけて死なせてはならないのではないか、と若い頃には読み取ったものだ。

[4] 人に勧められ、邦文で「文部科学省編(2004)『平成16年度科学技術白書 ―これからの科学と技術』、p29」を読んだ時の高揚感を今なお覚えている。

[5] 藤垣裕子(2003)『専門知と公共性 ―科学技術社会論の構築に向けて』東京大学出版会

[6] 食品安全基本法 https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=415AC0000000048 (最終閲覧日:2022年11月10日) 

[7] 藤垣裕子・廣野喜幸編(2008)『科学コミュニケーション論』東京大学出版会

[8] 吉川肇子(1999)『リスク・コミュニケーション 相互理解とより良い意思決定をめざして」福村出版

[9] 林裕造・関沢純訳(1997)『リスクコミュニケーション 前進への提言』化学工業日報社 

[10] 岩波書店「科学」の2005年1月号「特集 食の安全」は、遺伝子組換え作物、鳥インフルエンザ、BSEを様々な観点から考察し、科学的知識が確固としていない状況が活写されている。目次などは閲覧できる(https://www.iwanami.co.jp/kagaku/KaMo200501.html)(最終閲覧日:2022年11月10日)

[11] http://lab.agr.hokudai.ac.jp/gmtaiwa/RISTEXreport.pdf GM作物対話フォーラムプロジェクト報告書 (最終閲覧日:2022年11月10日)

[12] http://lab.agr.hokudai.ac.jp/voedtonfrc/report/旧プロジェクト等の報告書/ (最終閲覧日:2022年11月10日)RIRiC終了報告書には印刷体掲載の飯沢理一郎代表「ごあいさつ」は、ない。引用はp.2。

[13] 翌年2009年9月、大阪で熟議型世論調査の手法を踏まえた気候変動に世界市民会議「World Wide Views in Osaka(WWV)」が開催された。右記URLはその経緯について書かれている。 https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/8230/cdob_03_166.pdf  (最終閲覧日:2022年11月10日)

[14] 上記WWVを傍聴させてもらった。その会場で、2010年春からBSE問題に関する討論型(熟議型という表現はとらなかった)世論調査の準備を始めたいという研究者と話し合い、RIRiCプロジェクトは協力し合うことにした。

[15] 田中愛治編(2018)『熟議の効用、熟慮の効果』勁草書房、p.188.

[16] 2005年10月にロシア科学アカデミーのイリーナ・エルマコバ博士が行った動物実験で、除草剤耐性GM大豆をラットに食べさせたところ多くが死に、成長が遅かったという報告をした。2006年6月に来日した(https://cbijapan.com/faq/verification/19/)。従って、GM対話フォーラムin札幌は最初からこの件が話題になるのは避けられないことだった。しかし、食べさせるだけの動物実験というイメージが一人歩きしていて、動物実験って何かということまでには関心が及んでいなかった。なお、この実験が誤っていてGM大豆は安全だということを喧伝する文脈での対話イベントにはしていない。(最終閲覧日:2022年11月10日)

[17] https://www.jstage.jst.go.jp/article/shokueishi/49/4/49_4_272/_article/-char/ja/ 受理されたのは2007年年12月14日(最終閲覧日:2022年11月10日)坂本義光他(2008)「遺伝子組換え大豆のF344ラットによる104週間摂取試験」『食品衛生学雑誌』49巻、4号、pp.272-282. 

[18] 小林傳司(2004)「第4章 農水省のコンセンサス会議」『誰が科学技術について考えるのか』名古屋大学出版会、p.227.

[19] http://lab.agr.hokudai.ac.jp/voedtonfrc/effort/2014年度の取り組み/ 2014年度シリーズ学習会「農作物の育種って何」 (最終閲覧日:2022年11月10日)

[20] 北海道農政事務所ホームページの意見交換会の感想 http://lab.agr.hokudai.ac.jp/voedtonfrc/wp-content/uploads/2015/03/%E3%82%88%E3%82%8D%E3%81%9A%E8%A6%8B%E8%81%9E%E8%A8%98-1HP%E7%94%A8.pdf 「よろず見聞記-1」(最終閲覧日:2022年11月10日)

[21] D.M.ブッシュ(安藤清志、今井芳昭 監訳)(2011)『市場における欺瞞的説得 ―消費者保護の心理学』誠信書房、p.15.

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