自分を変えるためのエッセイ作成術|第10回 オノマトペは身体を震わせる|重里徹也

 

「わんわん」「のそのそ」などの擬音語や擬態語を総称して、「オノマトペ」と呼びます。日本語はオノマトペ表現の豊かな言語だと聞いたことがあります。確かに、英語ではオノマトペはあまり習わなかったような気がします。

いかに自分たちがオノマトペを使っているか。夜にその日の会話を振り返れば、思い当たる人も少なくないのではないでしょうか。

私が重宝している本に小野正弘編『日本語オノマトペ辞典』(小学館)があります。ここには4500語のオノマトペが収められています。日本語にオノマトペが多いことは、日本人のある性格を象徴的に示しているのかもしれません。

私が授業でオノマトペについて話す時に、必ず例示する2つの文章があります。いずれも、あまりにも有名な一節です。

サーカス小屋は高い梁
そこに一つのブランコだ
見えるともないブランコだ

 

頭倒(さか)さに手を垂れて
汚れ木綿の屋蓋(やね)のもと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

 

ご存じ、中原中也の詩「サーカス」の一部です。「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」のオノマトペは一度、読んだら忘れられない響きを持っています。大きく揺れるブランコが、目に見えるような臨場感で迫ってくるのです。

続いて、もう一つ。

どっどど どどうど どどうど どどう
青いくるみも吹きとばせ
すっぱいかりんも吹きとばせ
どっどど どどうど どどうど どどう

 

宮沢賢治「風の又三郎」の冒頭です。風を描いた表現です。この個性的な表現も、一度読むと深く記憶に残ります。いっぺんに作品世界にいざなわれることでしょう。東北地方の厳しくて懐の深い風土を感じる人がいるかもしれません。

 

中原中也も、宮沢賢治も、独特なオノマトペで独自の文学世界をつくり出しています。「新しいオノマトペが、文学史を更新する」とうそぶきたくなるほどです。私たちはその表現に接して、神経を刺激され、身体を震わせることになります。オノマトペは頭だけではなく、身体に効いてくる。私はときどき、そこに詩的発想の原点のようなものを思い描きたくなります。

 

日本人はオノマトペ表現が得意です。その時代その時代で新しい言い方が流行します。最近、よく目にするオノマトペを2つ挙げてみましょう。

「もふもふ」。犬や猫など、動物の毛がやわらかくて、ふわふわしている感じを示す言葉といっていいでしょうか。テレビ番組のタイトルなどにも使われて、すっかり、メジャーな表現になりました。この表現をよく目にするということは、実生活がもふもふしていないからではないか、といらない勘ぐりをしてしまいます。

一方でこのところ、ゼミの卒業生から送られてくるメールによく使われているのは「せっせか」です。「忙しくて、せっせか働いています」「元気です。いつも、せっせかしています」といった使い方でメールをくれます。

ネットで調べると「せっせと」「せかせか」が合わさった擬態語ということになっています。一生懸命に働いているようすが伝わってくる表現で印象に残りました。どこか自分を相対化している(他人の目で自分を見ている)感じのユーモアがあって、読む人に親しみやすい表現だと思いました。

この2つのオノマトペから、現代を「もふもふとせっせかの時代」と呼んでみてはいかがでしょうか。そんな思い付きにもかられました。

 

大学の日本語表現法の授業では「オリジナルなオノマトペで、エッセイ執筆を楽しんだら、どうでしょうか」と誘うことにしています。

ただ、オノマトペも使いようで、描写をわかりにくくする場合もあるし、使い過ぎると文章全体が幼稚に見えるおそれもあります。幼児を相手に書いているような調子になってしまうのです。例外は多々あるでしょうが、600字から800字程度のエッセイでは、オノマトペは1~2回程度が穏当でしょうか。

その授業でよく出す課題に「私の好きな季節」があります。私は課題を出す時によく、条件を付けます。比喩を使ってくださいとか、段落を5つ作ってくださいとか。「必ずオノマトペを使ってください」という条件のもと、次のような作品が提出されれば、どんなアドバイスをすればいいでしょうか。

私が好きな季節。それは何といっても冬だ。クリスマス、お正月、そして、私の誕生日。多くのイベントがあり、そのたびにさまざまなファッションを楽しめる。それに鍋料理で温まるのも、大好きなスケートで身体を躍らせるのも、この季節なのだ。
クリスマスとバースデーでほっこりほかほか。コートでふんわり、マフラーでキュッ。スケートすいすい。冬は毎日がパラダイス。そのうち、バレンタインデーで、ドキドキ、ギュッ。

 

余談ですが、近年の学生たちには冬の人気が高いです。特に女子大生の多くが好きな季節として冬を挙げます。寒がりの私には考えられないことです。どうも日本人は夏よりも冬が好きな民族になりつつあるというのが私の仮説です。

この文例は、そんな冬の魅力についてイベントを網羅しながら、感覚的に表現したものといえるでしょう。気持ちはわからないでもないのですが、表現が感覚的に過ぎる点、しかも、その感覚の表現が類型的なところが難点といえるでしょう。ひどいいい方をすれば、へたな広告コピーを読まされているような気がしてきます。

ところで、よくある日本語表現の有効な方法で、類型的なオノマトペを否定して、オリジナルなオノマトペを対置するというものがあります。たとえば、こんな具合です。

タイに来て4日になる。今日も静かな雨が降っている。でも、「しとしと」というのではない。熱帯雨林気候のせいだろうか。静かな雨にも粘りがある。おかしな言い方だが「しーとせーと、しーとせーと」という感じで降っているのだ。

 

大関の歩き方は重みが違う。でも、いつも身体を激しく動かしている人らしく、意外に軽快な感じもあるのだ。「のっしのっし」でもないし、「ドタドタ」でもない。もちろん「サッサ」というのでもない。しいていえば、変な表現だが「どっささ、どっささ」とでもいえばいいだろうか。重くて迫力があるのに、俊敏で軽快な感じ。それは、彼の性格でもあるのだと思う。

 

一度、類型的な表現を示したうえで、それを否定して、オリジナルな表現を披露すると、無理が少なくなるように思います。類型的な表現が橋になるのです。読者はいつも渡っている橋なので、容易についてきてくれます。ついてきたとわかったら、その橋を壊してしまいます。読者は次に用意されている「オリジナルなオノマトペ」という見慣れない道を通るしかなくなるのです。

 

それでは、たとえば、先の文例を次のように書き直せば、どうでしょうか。

私が好きな季節。それは何といっても冬だ。クリスマス、お正月、そして、私の誕生日。多くのイベントがあり、そのたびにさまざまなファッションを楽しめる。それに鍋料理で温まるのも、大好きなスケートで身体を躍らせるのも、この季節なのだ。
クリスマスとバースデーで2回ケーキを食べる。お祝いしたり、祝ってもらったりで、心の底がじーんじんと泡立ってくるのがこの季節。私の心はほんわかなどしない。ポットでお湯を沸かす時みたいに、少しずつ泡立ってくるのだ。
外出はもちろんお気に入りのネイビーブルーのコート。お正月には赤いマフラー。バレンタインデーのころには、私の心は沸騰しそうだ。

 

果たして、どれだけマシになったかわかりません。それでも、少しは個性的なエッセイに変わったのではないでしょうか。

オノマトペは日本語表現をする時の有力な武器です。あなただけのオノマトペを楽しみながら使ってみましょう。ただし、無理なく読者がついて来られるように工夫しながら。

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