芥川賞作品を読む|第12回 井上靖『闘牛』(第二十二回 1949年・下半期)|重里徹也・助川幸逸郎

虚無感を物語で楽しむ

助川幸逸郎 この作品は重里さんの評価が高くて、私も読んで非常に感銘を受けました。この作品の価値をざっくりいうと、どういうことになるのでしょうか。

重里徹也 歴代芥川賞受賞作品の中でも傑出した作品の一つだと思います。アジア・太平洋戦争を体験し、敗北した日本人の虚無感が根底にある作品です。それは「焼跡」という言葉が計八回使われていることにも端的に表れています。

それで勘所はですね。その虚無感をどうやって埋めるかということだと思うのです。どうすればいいか。敗戦後、雨後の筍のようにたくさんの小説が書かれ、読まれました。この小説が傑出しているのは、その虚無感を良質な物語にして楽しんでいるところにあるんじゃないかと思います。虚無感を楽しむ大人の小説なのです。

助川 物語にして楽しんでいる。なるほど。そこをもう少し説明していただけませんか。

重里 徹底的に打ちのめされて、虚無感に侵された自分の内面を描くのではない。自暴自棄になって、荒れた生活をしている自分を描くのでもない。虚無感からいたずらに立ち上がろうと何かのイデオロギーにすがる姿を描くのでもない。不条理だの、矛盾だのに神経を震わせてうずくまっている小説でもない。システムや社会を「告発」するものでもない。

世界が虚無だなんて当然のことなのだ、当たり前のことなのだという風に平然と構えて、少し距離を置きながら、虚無感を楽しむように物語を創出している。これが井上靖という作家のきわだった特徴なのじゃないか、と思うわけです。

助川 それはフロイトがいうところのユーモアですよね。自分の絶望的な状況を超自我が見て、それに対して距離感を置いたところから超自我が絶望して、潰されそうになっている自我に対して、お前大丈夫なんだぞって言ってやるのがユーモアです。絶望的な状況の中で自暴自棄になって語るのはアイロニーなんですが、それに対して、絶望的な状況で絶望的な状況を相対化するような目線から語るのがユーモアなんです。そうすると、井上靖の『闘牛』というのは、国が破壊された状況で、本当に虚無的になっている状況で、闘牛といういかがわしいイベントをやることをある種ユーモラスに描いているんですね。

井上靖が大人な三つの理由

重里 そうなのです。では、井上靖にはなぜ、それができたのか。ちょっとありきたりですが三つぐらい理由を挙げましょう。一つは年齢を経てからデビューしたということがあります。芥川賞を受賞した時にすでに四十歳を超えていた。若い間は受験の失敗をしたり、旧制四高で柔道に打ち込んだり、九大や京大に在籍したり、就職したり、詩を書いたり、様々な経験をした後で小説を書いている。だいたい人生の酸いも甘いもわかったうえで小説を書いているということがまず、あるでしょう。

二つ目は、よく指摘されることですが、血のつながった両親に育てられていないのですね。おじいさんの妾と二人で伊豆で暮らしていた。非常に特殊な幼年時代だと思うのですけれど、これがきっと井上にある種の対象との距離感というか、人生や世間や物事に対する距離感を養ったのではないのか。つまり、俗っぽく言うと大人の目を培ったのじゃないか。こんな風に思うわけです。

三つ目は、新聞社に在籍していたということですね。新聞記者というのは虚無感を具現化したような仕事でしょう。事実を報道するといって戦争報道もしていたわけですね。そして手のひらを返して、やがて「平和と民主主義」の紙面も作ったわけです。このことに対するたまらない虚無感があったと思います。それはこの「闘牛」という小説にもよく表れていますね。

小説の舞台となっているのは、大手新聞社系列の関西ローカルの夕刊紙です。敗戦後に創刊されて、まだ一年も経っていない。全国紙系列なので、一定のブランド力があり、記者にもそれなりの力量がある。一方で紙面作りには小回りがきく。このメディアは、醜悪で、こっけいで、あつかましくて、利己的で、無軌道です。つまり、メディアというものの持っている性格を拡大鏡で映したように露出している。それで、このいかがわしい新聞社というものが仕掛けるのが闘牛というイベントですね。人々の虚無感を一時的に麻痺させ、熱狂させる花火のような興行です。

助川 なるほど。

重里 戦後の虚無感を物語にして楽しむ態度で、闘牛というのはその象徴になっているわけです。しかし、実は戦後日本というのはこの「闘牛的な社会」、闘牛をどんどん次から次にやって楽しんで、時の流れを忘れるような、そういうやり方で社会を作ってきた、と思います。そういう風にいえば、とても予言的な小説ですね。日本人の戦後の運命をかなり長いスパンにわたって予言したような小説になっている。そんなことも考えました。

変わらない日本人

助川 でも、たとえばの話、日本軍が敗れたのだってある意味では、合理性を失ったからですよね。バブル崩壊以来、もうとっくに切り捨てたほうがいい事業とか意思決定のやりかたとかを、過去の成功体験にこだわるあまり手放すことができず、窮地に陥る組織が後をたちません。そういう組織を、インパール作戦を決行した日本陸軍にたとえて批判する言説がありますけれども、日本の組織につきまとう非合理的な部分というのは、戦前から変わっていないのではないでしょうか。

組織の論理からいうと合理的な選択で、あるいは自分の身の周りの利権からいうと合理的なんだけれど、距離を置いて眺めると、全く非合理的で、とんでもないみたいなことを日本人っていうのは、近代になってから、ずっとやってきたような気がするのです……

重里 なるほど。

助川 実は戦後で変わったように見えても、結局変わっていなかったという気がしてなりません。

重里 日本人は一体、いつからそういうふうになってしまったのか、というのは難しいですね。

助川 難しいです。

重里 日露戦争の後からかもしれません。

助川 一つの考え方でしょうね。少なくとも、司馬遼太郎の見方だと日露戦争の後ということになるのではないでしょうか。

重里 歴史学者によっても違うでしょうね。

助川 違うでしょうけれど、少なくともインパール作戦をやった軍部、いやいや、そもそもアジア・太平洋戦争を始めてしまうような体質は、敗戦後もずっと引きずっていたのは確かでしょう。

重里 そうなんです。何も改まっていない。これははっきりとしていますね。

助川 だからこの『闘牛』という小説を読むと、戦争に負けたニヒリズムがありつつも、結局そのニヒリズムを埋めるためにやっていること自体がインパール作戦なわけですよね。ニヒリズムによって、ニヒリズムを埋めるというか。

重里 そういう図式になりますね。

助川 その変わらなさ、変われない日本人の姿をシニカルに描くのではなくて、ユーモラスに描いているのですね。

重里 物語にして、楽しめるように描いているのです。

助川 そうなんですね。それがくっきりと浮かび上がってくるように思いました。

重里 そして、インパール作戦が惨めな失敗に終わったように、新聞社がたくらんだ闘牛というイベントも挫折するのです。

助川 そうなんです。失敗するべくして失敗する。

重里 そんなふうに考えると、とても広がりのある小説だとわかりますね。この作品の真価も、井上靖の真価も、まだ十分に論じられていないように思います。

助川 芥川賞作品を読んでいるとその時代その時代を描いている作品は、やっぱりその時代で終わってしまうのですね。その時代をとらえただけで終わってしまう。

重里 確かにそうですね。

助川 距離を置いてしばらく経ってから読むと、たとえば、この『闘牛』のような作品は、戦前からずっと近代日本を貫いていく大きな問題を捉えていたということが五十年、六十年、経ってから読むと見えてきます。そういう作品が歴史に残ると思うのです。

重里 クリアに見えてくる感じがしますね。私たち日本人は、次から次に、闘牛を催しては、その場その場の虚無感を埋めてきたということですね。それは現代にも通じています。

助川 はい。

重里 井上靖というのは非常に大きな作家なのじゃないかというふうに、私はこの一作だけを読んでも思いました。そして、若いころに読んだ作品群を読み直して、その実感をさらに深めているところです。

西域、歴史、美、大自然への亡命

助川 でも、その井上が逆に中国に題材を求めて行ってしまったというのが、皮肉といえば皮肉ですね。ある種の亡命といえばいいでしょうか。

重里 井上は旺盛な創作力の持ち主で、いくつもの場所に亡命しています。一つは中国の西域に亡命した。『敦煌』をはじめ、私たちの財産ともいうべき作品を遺してくれた。さらに、日本の歴史をさかのぼる仕事もしています。それからもう一つは、歴史の中でも美の世界の探求ですね。利休の世界などに亡命した。

それはもういくらこの日本の現実を書いても、結局は『闘牛』の世界を描くことになってしまうということがあるからですね。井上がヒマラヤから日本の北アルプスまで、しきりに山岳を描いたのも、「闘牛的世界」からの亡命という意味合いがあるのだろうと思います。「闘牛的世界」ではない世界というのは、どこにあるのだろうという、それを希求し続けた生涯だったのではないでしょうか。そして、物語を創出し続けること自体が、「闘牛的世界」を相対化し、超えていく道筋だったのだろうと思いますね。辻邦生が井上靖に惹かれたのも、このポイントでしょうね。ここに、戦後日本のまれなニヒリズム相対化の仕事があるのがわかったのでしょう。

助川 そうですね。戦後の日本社会とか、あるいは昭和戦前とか大正ぐらいの日本社会はある意味、『闘牛』で書いてしまったわけですよね。

ここで私は、三島由紀夫のことを思い浮かべます。三島は、戦後の混乱期にブレイクしてスターになり、高度経済成長が軌道に乗りはじめた五〇年代後半から時代と齟齬を来すようになった。井上が『闘牛』で書いていることの半面、敗戦によって剥き出しにされた人間の本性という点については、三島も共感するはずです。

ただいったんそのようにして露呈されたものが、高度経済成長によって「なかったこと」にされていくのに三島は耐えられなかった。これに対し井上は、民衆というものが「喉元過ぎれば熱さを忘れる存在」であることを受け入れていた。だから、高度成長期の日本を否定する言辞を直接口にすることなく、モンゴルとか戦国日本とか、剥き出しの生を追求できる別の舞台をもとめた。

三島に比べると井上のほうがより大人だったし、そのぶんもっと深くニヒリストであったように感じます。

重里 井上靖はベストセラー作家でした。大衆がその仕事の貴重さを本能的にわかったということかもしれません。新聞小説でも活躍しました。ただ、現代を描いても、さっき言った山岳もそうですし、湖を描いたり、渡り鳥たちを描写したり、仏像や音楽を題材にしたり、どこかナマの現実と距離を置くという姿勢はありましたね。

助川 『太陽の季節』で石原慎太郎が出てきたときに井上靖が評価したというのは、多分ベタに石原慎太郎はやっているのだけれども、井上靖はその虚無感からああいう限定された世界の中でハチャメチャをやるってことを描いているのじゃないか、と思ったのではないかと感じるのです。井上靖は、「闘牛的なもの」そのものが石原慎太郎の世界なんだって思ったのではないでしょうか。

芥川賞作品の二つのタイプ

重里 芥川賞の受賞作品を読んでいると、割とベタに書いてそれが実は時代を表現しているというタイプの作品が結構多いのではないかなと思うのですね。第一回の石川達三『蒼氓』からそうでした。芥川賞受賞作には二つのタイプの作品があって、ベタに現実を描いて時代を表現する作品と、もう少し射程が広い小説とがあるのではないかという気がします。たとえば、庄司薫の『赤頭巾ちゃん気をつけて』は前者のような気がします。あのノーテンキな理想主義こそ、時代の産物でしょう。

助川 『赤頭巾ちゃん~』は、学生運動が盛んだったころの作品です。大学解体が声高に叫ばれる中、当時、東大合格者数が全国ナンバーワンだった日比谷高校に通う高校生が、既存の学歴社会に疑問を持ちつつ、知的エリートに対する憧れも捨てきれず葛藤する。当時はおそらく、それなりに本質的な問題に迫っている小説に見えたでしょうし、「社会的成功に向けてのキャリア形成」と「〈今、身のまわりにある価値観〉の枠を超えた知性・見識の涵養」と、どちらを高等教育において重視すべきか、というのは、現代でも古びていない問題です。


けれども、学園紛争の影響で東大入試が中止になり、知りあいのおばさんから「代わりに京大か一橋を受けるの?」と訊かれる場面なんかは、鼻白みます。高校や大学の「ブランド・バリュー」の相対化が、ぜんぜんできていないんです。

田中康夫の『なんとなく、クリスタル』はブランド・アイテムがたくさん出てくる作品ですが、これに出てくるブランド・アイテムには事細かに注がついている。この注のお蔭で、『なんとなく、クリスタル』は外国語訳も可能ですし、後世のひとも解読できるでしょう。しかし『赤頭巾ちゃん~』は、外国語に訳しても、書かれてから百年後に読んでも、意味がわからないところがたくさんあると思います……依然として現在でも、東大受けたい受験生が受けられなくなって次善の策として考えるのは、文系なら京大か一橋かもしれませんが(笑)

重里 半年ごとに芥川賞受賞作が選ばれ、それを我々は読むわけですが、最近の作品にも、いつまでもつかなという作品はあるように思います。

助川 井上靖に戻りますが、「闘牛的なニヒリズム」というのは一貫しているように思います。『蒼き狼』でジンギスカンの世界を描いても、結局根底にあるのはまさにニヒリズムですよね。

重里 そうですね。あるいは敦煌の経典の運命を描いても、遣唐使の苦労を描いても、その底に流れているのはニヒリズムです。ただそのニヒリズムによって、湿っぽくならないのですね。ニヒリズムを楽しんでいるようなところがある。しょせん、この世に意味はなかなか見つからない。だったら、距離を置いて眺めて、意味を探してみようじゃないですか、と誘われるような感じなのです。物語でニヒリズムを面白がり、読者を励ましているのだと思います。

助川 結局、歴史の大きな流れであるとか、あるいは大自然の力とかに、人間は絶対に勝てないわけですね。勝てないのだけれど、それではそこで人間なんて何やったってしょうがないじゃん、にならなくって、そこであがいてる人間の姿をきちんと共感を持って書いていますね、井上靖は。それが大衆的な人気の理由だと思います。

重里 そうなのです。単に共感するだけではなくて、一つ一つの人生を愛おしむような感じがあります。それから、それを描くことによって読者を元気づけたり、勇気づけたりしているように思います。これが戦後の日本人に莫大な人気を博した理由ではないかと私は思います。

助川 だから、本当の大人の小説だと思います。子どもというものは、あるいは若者というものは、結局ニヒリズムを書いて、何やったってしょうがないじゃん、ってところまでいったら、それで終わってしまうわけです。もうむなしいじゃん、むなしくてたまらないじゃん、という感じです。それで、そのむなしさを描くところで終わってしまうわけですよ。

重里 あるいは、死にたいとかですね。

助川 そうそう。

重里 こんな汚い世の中、生きていたってしょうがないじゃんとか、人間なんて生きていたって意味がないから死にましょう、みたいな話になってしまう。でも、それで単純に死ねるものではないから、それでも生き続けるのが現実ですね。人間というものは。闘牛の興行をやってでも生きていこうとするわけです。そして、闘牛を興行しながらも生きてしまう人間に対して、ニヒリズム前提ですが、君たちも大変だね、わかるよって、描いてくれるところが井上文学ですね。あるいはその中で起こる悲劇をニヒリズム前提で死ねない人間たちの悲劇をきちんと詩的に繊細に描いていくところが、井上靖の大人なところだな、と私も思います。日本人の文学読者の質がいいことは、井上がベストセラー作家であり続けたことからもわかるような気がします。

助川 そう思いますね。

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