書評 『漫画に見られる話しことばの研究 日本語教育への可能性』(福池秋水著)

小林美恵子

(早稲田大学)

 本書は『漫画に見られる話しことばの研究』という表題を持つ10章から成る書物だが、実際に漫画への論及が始まるのは第5章から、「漫画に見られる話しことば」の具体的な分析は第6章からで、4章まではいわば研究の前提としての著者の立ち位置が語られている。

 第1章では序論として「話しことばと「共通語」」「首都圏に住む人々の言語生活と言語意識」「首都圏方言と日本語教育」そして「漫画と首都圏方言」とテーマが提起され、2章以下4章までは、それらの問題について述べていく。すなわちそれは「日本語教育で教えられる日本語とはどのようなものか・どうあるべきか」ということである。

 序論で、著者は自身の生育時の言語体験なども語りながら、共通語と近くはあるが別のものとして首都圏の人々が日常生活の中で用いる「首都圏方言」の存在を示唆する。

 従来日本語教育では「共通語」が教授されることばのベースになってきた。しかし、実際の母語話者は話者や状況によって様々なバリエーションの日本語を話している。実際に日本で生活する非母語話者にもそのスキルは必要であり、バリエーションに含まれる「地域方言」はその地域で生活する非母語話者のニーズとして優先されるという。「首都圏方言」は首都圏の「地域方言」でありながらテレビ番組・マンガ・ドラマ・映画などでもしばしば使われ、共通語とは異なるが地域方言的な色がなく地域性が目立たない、幅広い読者(視聴者)によって理解しやすい「話しことばの共通語」的な機能を負うものである。したがって、「首都圏方言」は非母語話者にとって「共通語」に優先するニーズとして教授されるべきだとするのである。概ねここまでに著者の基本的な主張が示されているといってよい。

 第2章は江戸語から東京語への発展、明治から大正期の東京語の標準語化、教育やラジオ放送によるその普及、さらに戦災や、戦後の経済成長による首都圏人口動態の変化にともなう東京語の変化が説かれ、現代の共通語・首都圏方言へと展開する。さらに第3章で、規範を教えることから共生のために実際に使われる日本語を教えることを重要として、変化してきた日本語教育の中で、首都圏方言を教えることの重要性が説かれる。特に新しい知見ではないが、序論で提起した問題を、資料や教科書類で確認しながら丁寧に整理提示している。

 第4章では、漫画に現れる首都圏方言の例としての「スイマセン」とラ行の撥音化について『新東京都言語地図』を中心に先行資料の調査結果などを参照しながら、「スミマセン」や非撥音化形式との併用状態や使用意識を記述考察している。この章については、使用している資料が調査対象としている年代・性別なども多様だし、資料によって矛盾した結果が現れている部分もあり、分析についても細かく見ていくと疑問点がないでもないが、要は全体としてこれらの言語事象は東京やその周辺の全域で、共通語と併用されている首都圏方言であり、日本語教育の現場で教えられるべきものの例である、ということであろう。

 第5章では研究対象として漫画作品を選ぶことの意義が、メディアとしての特質また役割語やキャラクタなどのステレオタイプとの関連で意味づけられ、これを前提に『きのうなに食べた?』『海街diary』の二作品が分析の対象として選定される。

 第6章以後第9章までは2編の漫画に見られるラ行の撥音化の状況、「スイマセン」「スミマセン」の使い分け、人間関係による話し方の変化(終助詞と呼称)、人間関係の変化に伴うスタイル・シフト(丁寧体と普通体)などが、それぞれの章ごとに2作品のうちどちらか、または両方を取り上げる形―すなわちそれぞれの章が独立した論文の形態を取っていることになる―で論じられていく。ラ行撥音化については場面や聞き手との関係、また話者の人物設定が出現に影響しているとし、「スミマセン」「スイマセン」では聞き手との上下・親疎などによる丁寧度の基準が登場人物によって微妙な差があること、漫画という素材を活用して描かれた表情によって話者の意識のありかたにまで論及し、それに基づいて日本語教育の中でどのように運用したり、理解させたりするのがいいかまで考えている。

 1章ごとはコンパクトではあるが、現れる首都圏方言としてのことばについて、すべてではなく特徴的なもの、分析の結果が明確に出るようなものを取り上げて論じてわかりやすい。ただ、それにしてもあまりにさまざまな要素が絡み合ってのこれらの出現は、果たして日本語教育の中で効率的に教えうるものなのかという疑問もないではない。著者自身にもこのあたりについての問題意識があるようで、どの章にも今後の課題として著者が考えるところが示されている。さらに第10章では全体の総括がなされており、序論での提起に応えてわかったところ、課題とすべきところがまとめられ、本書全体の姿勢を明確にしている。

 ただ、後半、漫画データの扱い(第6章 ラ行音の撥音化における「非撥音化」の認定のしかたには疑問を感じる)、例番号の脱落(第8章 「発話例8-9」がない)、表の表記の不統一(第9章 表9-2~9-7表内のマーカー位置など)・凡例がなく表が読み取りにくいことなど、多少気になる問題が見られたのも事実で、今後の検討や改訂改善がのぞまれる。また第4章でおもな資料として用いられた『新東京言語地図』が、未だ一部刊行されているのみで一般の読者には出典をたどりにくいのも残念なことに思われる。

 いくつかの瑕疵はあっても、日本語教育で教えられるべきものとしての「首都圏方言」を成り立ちや性質、実際のことばの例や使われ方まで総合的に論じた書として、ことばに興味を持つもの、日本語教育に携わるものにとって大変興味深い本であることは確かである。


『漫画に見られる話しことばの研究 日本語教育への可能性』
福池秋水著
ひつじ書房
2020年刊行
ISBN 978-4-8234-1015-4 定価5000円+税

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