これまでに一通りの文字を学習し終えました。今回から3回に渡って、ロゼッタストーン読解への橋渡しとなる文字のおさらいをしていきたいと思います。まずロゼッタストーンについておさらいをした後、ロゼッタストーンから読むのが簡単な個所を抜き出し、表音文字についておさらいをします。
17.1 ロゼッタストーン
ロゼッタストーンは、紀元前196年にプトレマイオス朝エジプトのファラオ・プトレマイオス5世によって出されたカノポス勅令が書かれた石碑で、フランスのナポレオンの遠征中の1799年にフランス軍によって発見され、その後フランス軍をエジプトから駆逐したイギリスの手に渡り、現在は大英博物館に所蔵されています[1]。この石碑には、上から順番にヒエログリフ(エジプト語)、デモティック(エジプト語)、ギリシア文字(ギリシア語)で書かれているのでしたね。
画像はパブリックドメインのものを使用しています[2]。
今日読むのは、次の赤で囲った部分です。
17.2 ロゼッタストーンの読み進め方
ヒエログリフは基本的に鳥、動物、人間を象った文字の顔が向く側から読んでいくのでしたね。例えば、鳥の顔が右を向いていたら、右から左に読んでいきます。ロゼッタストーンの場合はどちらでしょうか?
青で囲った箇所(残存部分の4行目)をよくみてください。ここに鳥のヒエログリフがあります。
この鳥の顔が向いている方向は右ですので、ロゼッタストーンのヒエログリフは右から左に読みます。
17.3 ロゼッタストーンの表音文字を読む
今回はロゼッタストーンの赤で囲った部分(残存部分の5行目)を読みます。
2000年以上の前の石碑で、全体的に摩滅していて初心者には判読が難しいですが、印刷用のヒエログリフのフォントに直すと次のようになります。
まだ習っていない文字があるので、解説いたします。
次の文字のラテン文字転写はnbです。慣例的な読みでは、便宜的な母音のeが挿入されるので、neb(ネブ)と読まれます。
転写:nb
慣読:neb(ネブ)
単体では、「主、所有者」を表す名詞や「全ての」を表す形容詞になります。これらの2つの単語は全く別の意味なため、子音が同じなだけで、おそらく別の母音を持っていただろうと推測されます。
また、の文字はnb(ï)「泳ぐ」、nb(ï)「(金属が)溶ける」などの語でも使われます。このようにこの文字は、ある一つの意味とは結びついてはおりません。
は二子音文字でしたが、次は新しい三子音文字を見てみましょう。
転写:nfr
慣読:nefer (ネフェル)
これは転写ではnfr、慣例的な読みではnefer(ネフェル)です。nfrの文字そのものが単語となった場合、「良い、美しい」という意味を表します。この文字はこの「良い、美しい」という意味で使われることが圧倒的に多いです。
しかし、nfr.t「畜牛」やnfry.t 「末端、底」、nfr「男性器」など、全く別の単語の一部で書かれることもあります。
このように、やは、あくまで複数の子音nb、nfrを表す表音文字であり、特定の意味と結びついておりません。音を示しているだけで特定の意味と結びついてはいない、というのが表音文字の特徴です。
さて、ロゼッタストーンの赤字で括った部分に戻って実際の表記を確認しみましょう。表音文字には一子音文字、二子音文字、三子音文字の3種類がありました。今回の例では、それら全てが出てきます。
1番の番号がついた文字は一子音文字ḫ、2番の番号がついた文字は一子音文字t、3番の番号がついた文字は二子音文字nb、4番の番号がついた文字は三子音文字nfrです。
読む順番は、先ほど確認したように、ロゼッタストーンの場合は、鳥や人を象ったヒエログリフが右の方向を向いているので、右から左に読みます。しかし、文字が上下にも置かれているときはどのように読めば良いのでしょうか。
ヒエログリフの場合は、基本は右上の文字から読んでいくのですが、小さい文字が集まって段を形成している時があります。その場合、最初の段を右から左に読んで、段の最後までいくと、次の段の最初にいきます。
例えば、1と2の文字は段を形成していて、次の段は3の文字です。その次は、左にずれますが、ここは、一つの文字が縦にスペースを占めていて、段がありません。このように、今回の例では、1→2→3→4のように読みます。
ラテン文字で転写すれば、ḫtnbnfrのようになりますが、ḫ.tは「こと、もの」という英語のthingに当たるような名詞、nbは「全ての」を意味する限定詞[3]、nfrは「良い」という意味の形容詞です。ただし、ḫ.tは女性名詞です。
おさらいになりますが、エジプト語の名詞には、女性名詞(feminine noun)と男性名詞(masculine noun)があります。全ての名詞が女性か男性の性を持ちます。その見分け方は簡単で、女性名詞には、女性語尾の .t が必ずつくのでしたね。また、形容詞や限定詞にも女性形と男性形があり、古いエジプト語では、形容詞や限定詞は全ての性が修飾する名詞の性に一致していました。
しかしながら、最も新しいエジプト語であるコプト語では、多くの名詞・形容詞・限定詞で女性形が廃れました。そのため、ロゼッタストーンなど新しい時代の文献では、必ずしも.t がかかれるとは限りません。
限定詞のnbは、女性名詞を修飾する場合は、女性形であることを意味する(.t)をつける学者が多いですが、現在のDaniel Werningを中心とするベルリン学派では、この時代では、多くの女性形が廃れているコプト語に近い時代のため、コプト語の対応形であるnimのように男女同形の接語と考え、nbには(.t)をつけずに、アクセントを持たず前の名詞と繋げて発音される接語であることを示す=をnbの前に書きます。それに対して、形容詞の方は限定詞とは違って女性形が残っている可能性もあるため、nfrの方には丸括弧を使って(.t)を書きます。
このようにエジプト語の形は瑣末なところでは、各々の理論に従い、学派・学者によって表記が異なってきます。この入門では、文字の体系が理解できれば良いと考え、これ以上の学術的な転写[4]に関して言及しないことにし、一般的な記法を用いて、女性語尾が省略されている (.t)をnbとnfrの後に書くことにします。このルールに沿えば、今回のヒエログリフの転写は以下になります。今回のヒエログリフは右から左に読みましたが、翻字や転写では、左から右に書かれることに注意してください。
文字 | 12 | 3 | 4 |
翻字 | ḫ*t:nb–nfr | ||
転写 | ḫ.t | nb(.t) | nfr(.t) |
慣読 | ḫet | nebet | neferet |
音写[5] | ケト | ネベト | ネフェレト |
品詞 | 名詞 | 限定詞 | 形容詞 |
語釈 | もの | 全ての | 美しい |
意味 | 「全ての美しいもの」 |
二子音文字、三子音文字は、数が大変多いので、まだ全ては習っていません。出てきた時にその都度覚えていきましょう。
次回は、表語文字を中心にロゼッタストーンの事例を見ながら文字の復習をします。
注
[1] 所蔵番号はEA24で、次のオンラインデータベースでも見ることができます (https://research.britishmuseum.org/research/collection_online/collection_object_details.aspx?objectId=117631&partId=1, accessed: 2020-03-20)。
[2] https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Rosetta_Stone_BW.jpeg (accessed: 2020-03-20).
[3]形容詞に似ていますが、統語的に形容詞とは若干異なるふるまいをし、英語のtheやaのように、名詞の定・不定やsomeやallのように量・数を限定する品詞です。
[4]The Rosetta Stone Online project, ed. by Daniel A. Werning, Eliese-Sophia Lincke, http://hdl.handle.net/21.11101/0000-0001-B537-5 (accessed: 2020-03-20)。
[5] 日本人の学者はこのように発音することが多いですが、ḫは軟口蓋をこする音だと考えられています。カタカナ音写では慣読にはない母音が入ってしまわないか注意。ただし、慣読およびカタカナ音写の母音は便宜的なものであって、実際の音ではないことを思い出してください。