認知文法の思考法:AI時代の理論言語学の一つのあり方|第1回 連載にあたって|町田章

僕たちを取り巻く環境の変化

最近、なにやら世間が騒がしくなってきました。少子高齢化社会に地球温暖化、右を見ても左を見ても将来の不安を煽るニュースばかりです。消費税は増えるし、年金は減らされるし、大国間の覇権争いや自然災害も心配です。なにか明るいニュースはないかと思って周りを見渡してみると……ありますね。というか、ありすぎるほどあります。それは、科学技術の進歩です。あまりにも自然に私たちの生活の中に溶け込んでいるので、その明るいインパクトについてはほとんど気づかれないだけです。でも、よく考えてみると、科学技術の進歩のおかげで、数年前まで不可能であったことが次から次へと現実のものとなっています。例えば、自動車の安全性はすでに飛躍的に向上していますが、運転手を必要としない自動運転というSFのような世界ももうすぐそこまで来ています。このように、近年の科学技術の進歩がもたらした生活の利便性は僕たちの生活の隅々にまで行きわたり、計り知れないインパクトを与え続けているわけです。ですので、科学技術の進歩を考えた場合、僕たちの将来はむしろ明るすぎるほど明るいと言っていいかもしれません。

このように考えると、将来をそんなに悲観することはありませんね。もっと前向きに考えましょう。例えば、AI(人工知能)研究の発展により私たちの生活は格段に良くなるはずです。これまで機械には単純な作業しか任せられませんでしたが、AIを用いれば、今後は事務的な作業や医療診断など、かなり複雑な仕事までも機械に任せることができるようになると言われています。企業は大幅な人件費削減を見込めますし、医師不足や遠隔地医療などの問題もこれで解決です。先に述べた自動運転もそうですね。人間が運転するよりもAIが運転した方が安全であるような世界がやってくるのです。人口が減少し高齢化が進行した未来の日本社会にとっては、AIはまさに救世主です。

……と言いたいところですが、もちろん、そうはいかないですよね。AIの進歩がもたらす社会変革には負の側面もあります。まさに映画『ターミネーター』の世界が出現し、AIが人間を支配するようになるという心配もあるでしょう。それは極論としても、少なくともチャップリンが『モダン・タイムス』の中で危惧したような、機械(AI)に生活が奪われるという事態はもうすでに現実のものとなり始めています。実際、「今後10年間にAIに奪われる仕事」や「将来なくなる職業」などの話題も頻繁に取りざたされるようになってきています。ただし、なくなる業種がある一方でAIによって新たに生み出される仕事もありますので、社会全体としてはそんなに心配する必要はないのかもしれません。バランスをとるために「今後10年間にAIによって新たに生まれる仕事」などの話題がもっと盛り上がってもいいでしょう。

かといって、慣れ親しんだ職業を捨ててまったく新しい環境に移ったとしてもいかんなく自分を発揮できるという柔軟な人間ばかりではないことも確かです。かくいう僕も、「大学教員」はいらない、「言語学者」はいらないとAIに宣告されてしまったら、どうしたらよいのかわかりません。途方に暮れてしまうでしょう。そんなわけで、将来なくなる仕事の予想が出るたびにネット上でチェックして、「大学教員」とか「文系研究者」とかが絶滅危惧種に指定されていないことを確かめて、密かに胸をなでおろしているわけです。これは、これから言語研究の道に進もうとしている大学院生たちにとっても重要な関心事に違いありません。「大学教員」「文系研究者」がなくなるなんて、そんなばかな、とは思わないでくださいね。何しろ、科学技術の進歩がもたらす社会構造の変化の中には、予測不可能なほど劇的なものがありますから。

 

言語学者・語学教師は絶滅危惧種か

僕は、最近、言語学者はもしかしたら絶滅危惧種なのではないかと感じることがあります。実際、多くの大学では、言語学の後任人事は凍結され、言語学のポジションがどんどん消えていっています。海外の高名な学者のもとでPh.Dを取得し、国際的に華々しい活躍をしている若手研究者でも日本ではなかなか言語学の授業を持たせてもらえず、語学の先生になっているケースも多くあります。これは宝の持ち腐れとしか言いようがない状況です。(「餅は餅屋」というように、本来、語学の授業は語学教育の専門家が行い、言語学者は言語学の講義を行ったほうが、学生にとっても教員にとってもいいはずです。それぞれの専門性を十分に発揮できるわけですから。)それでも、哲学の先生などは言語学はまだいいと言います。語学の先生としてのポジションがあるのだから。語学のポジションが見込めない学問分野の場合、生きるか死ぬかのどちらかで、言語学者のような飼い殺しの状態でも、生きられているのだからまだましだということです。たしかに、飼い殺しの状態でも語学の授業の傍ら自分の好きな言語学を続けていける言語学者はまだましというわけです。ところが、最近のAIの目覚ましい発展を見ていると、そんな時代も終焉を迎えるかもしれないという予感が湧いてくるのです。

言語学のポジションが減らされているのは、人文系学問の軽視、予算の削減など様々な社会的要因が考えられますが、「語学教師」という職業が絶滅危惧種になりうると考える人はまだ少ないでしょう。よく学生から何のために英語を勉強しなければならないのかと聞かれますが、みなさんならどう答えますか。外国人とコミュニケーションをとるためと答えるでしょうか。でも、もうすでに、ポケトークなどの小さな翻訳機が一個あれば、年間数万円の利用料で海外旅行や商取引で困らない程度のコミュニケーションはとれるのです。しかも数十カ国語以上の言語の相互翻訳も可能です。もちろん、それに対しては、いや、自分はただ単に情報のやり取りができるだけではなく、外国人と心のこもったコミュニケーションが取りたいという学生もいるでしょう。ただ、それは、ある意味、趣味の領域の話ですので、税金を投入して人材を育てる公教育にどれくらい意義があるのか。大学院生が海外で学会発表する場面を考えてみても、今はもうすでに優れた音声読み上げソフトがありますので、膨大な時間をかけて英語の発音練習をしたにもかかわらず、ものにならなかった日本人訛りの英語よりも、ずっときれいな発音で機械が発表してくれます。しかも、心のこもった下手な英語より、心のない音声読み上げソフトの方が理解可能性の観点から優れている場合には目も当てられません。機械を用いたほうが、発表する側も聞く側もお互いにwin-winの関係になってしまうからです。つまり、なけなしの税金を投入してまで英語教育に賭けなくても、期待以上の成果を機械が挙げ始めているのです。

ついでに言うと、僕の勤務校では昨年情報学部を立ち上げました。遅きに失した感はぬぐえませんが、世界に後れをとっているAI開発の教育と研究にも力を入れた、いわば、今後の日本の国力を担う若者たちの育成です。そんな情報学部の学生に英語を教えていてふと思うのですが、この子たちは英語を勉強している時間があったら、少しでも多くAIについて学んだ方がよいのではないか。もっと言うと、この子たちは英語を使えるようになる方法に頭を悩ますよりも、英語を使わなくてもいい方法を考えるために時間と労力を注ぎ込んだ方がよいのではないだろうか。この子たちは、将来、各方面でAIを活用した技術の開発を推し進めることになるわけですが、その中には自動翻訳や会話をするロボットの開発も含まれています。つまり、この子たちには英語を使わないで生きる方法を模索するという選択肢が用意されているのだと。しかも、彼らが自動翻訳の精度を上げれば上げるほど語学教師の地位は脅かされていきますし、会話をするAIの精度が上がれば上がるほど、言語に関する謎が少なからず解かれていくことになりますので、言語学者のチャレンジすべき学問的問いResearch Questionsが減っていくことになります。とにかく、こんなことを考えていると、実はAIは僕ら言語学者にとっては、まさに恐るべきターミネーターとなる可能性があることに気づきます。僕たちは語学教師としての職務を奪われ、研究者としての研究課題までも奪われてしまうわけですから。

もちろん、このような見方に対しては、批判もあろうかと思います。実際、僕自身、それでもなお、僕ら言語学者の存在意義はあると信じて疑っていませんので、上述の話は、ある意味、誇張し極論を並べ立てたものだとお考えください。人間言語について研究している者にとっては、今のAIがやっているようなことや自動翻訳機がやっているようなことは、まだまだ浅く、直ちに僕らの研究を脅かすようなものではないと断言できます。例えば、先に述べた自動翻訳機のポケトークに「今日は天気です。」と話しかけるとToday is the weather.と英訳してくれます(2019年10月現在)。微笑ましい限りですが、僕らが欲しい英訳はIt’s fine today.ですので、誤訳ということになります。これに対するすぐに考えられる対処法としては、頻度情報を活用することです。「今日は天気です。」という日本語表現はIt’s fine today.という英語表現に対応する確率が圧倒的に高いので、この頻度情報をもとに自動翻訳機が最も確率の高い英訳を選び出せばよいという考え方です。これで問題は解決された、一件落着……と言いたいところですが、これでは根本的な解決にはなりませんよね。「オリンピックの開会式は天気だといいね。」という表現は頻度が低いので頻度情報が使えませんし、小学校の理科の授業の冒頭で「今日は天気です。」と先生が言った場合には、その日の学習内容が「天気」についてであるという可能性もありますので、その場合は頻度情報に基づいて単純にIt’s fine today.と英訳してはいけないことになります。このような事例は探せばきりがないほど見つかります。ただ、だからと言って、僕ら言語学者は安心することはできません。AIの進歩は著しく、かつて不可能だったことがどんどん可能になっているからです。すくなくとも、AIが僕ら言語学者の研究スタンスや研究の方向性を大きく変える可能性があることだけは理解しておく必要があります。

 

本連載でやりたいこと

本連載では、このような現状を踏まえた上で、それでも理論言語学には存在価値があること、そして、このような時代における理論言語学はどのような姿であるべきかということを問題意識の根底におきつつ、その答えは、認知言語学、特にRonald W. Langackerが提唱している認知文法の思考法の中にあることを読者の皆さんと一緒に考えていきたいと思っています。それから、本連載のサブタイトルに「AI時代」ということばを入れましたが、僕自身、根っからの文系研究者ですし、AIの詳しいメカニズムに関しては理解できていません。そのため、学問的誠実さの観点から考えたら僕にはAIについて語る資格はないと言えます。しかしながら、それでも、今後の理論言語学を語るときにAIについて無視することはできないと考えています。なぜなら、かつてAIにおけるフレーム問題が言語学の発展に寄与したように、AI、特に、最近のディープラーニングの成功が言語学に示唆するところが非常に大きいからです。ですので、文系の極みである理論言語学者がAIの発展を横目でにらみながら、言語学の発展を思う、というスタンスで、ときにうなずき、ときに突っ込みを入れながら、仕事や勉強の合間に今後の連載を楽しんでいただければと思います。

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