村上春樹をさがして|第10回 変化し続けるポール・サイモン|重里徹也

 東京FMなどで放送される番組「村上RADIO」は村上春樹の肉声に接することができる貴重な機会だ。おおよそ月に一回ぐらい、一時間足らずの放送を楽しみに聴いている人も多いだろう。昨年十二月二十九日の放送では、私も十代の頃から聴いてきたポール・サイモンを特集していて、考えることが多かった。

 ポール・サイモンはニューヨーク出身のシンガー・ソングライター。一九四一年、ハンガリー系ユダヤ人の家庭に生まれた。同年生まれのアート・ガーファンクルとのデュオ「サイモン&ガーファンクル(S&G)」として有名で、特に一九六〇年代から七〇年にかけてヒットチャートをにぎわした。

 稀代のソングライターであるポール・サイモンが作詞作曲を担当。歌は耳になじみやすい個性的な旋律と、聴いている者に深い意味を考えさせるような味わいのある歌詞が特徴で、それを二人が息の合ったコーラスで美しく歌い上げた。

 一九七〇年に代表作のアルバム「明日に架ける橋」を発表してから、二人は別々に活動することが多くなったが、それぞれソロでも活躍した。また、しばしば二人の共演も実現して、長く人気を集めてきた。

 一九五七年生まれの私が洋楽を聴くようになった時にはすでに二人は別々に行動していた。しかし、友人から教えてもらった二人の音楽に強く惹かれて、さかのぼってS&Gのアルバムをむさぼるように聴いた。私の周囲では中学生の間で最も人気のある海外のアーティストだった。後に大阪と福岡で彼らのライブを楽しむこともできた。

 一九四九年生まれの村上春樹も十代で初めて聴いたという。私と違ってリアルタイムで聴いたが、熱心なリスナーではなかった。なかなか悪くないな、くらいの感じ。当時はビートルズ、ローリング・ストーンズ、ビーチ・ボーイズなど「猛烈な主張を持ったバンド」がたくさんいて、そっちに目がいっていたためだ。

 しかし、S&Gの歌声も時代を刻んだと村上は指摘する。初めて聴いたのはこれも代表作の一つ「サウンド・オブ・サイレンス」だった。メロディーが独特で、歌詞が知的で文学的。だから、内向的といえるかもしれないという。

 ロックでも、フォークでもない。若者は新しい息吹をかぎ取り、大人はそれまでのポップソングには見受けられなかった若々しい知性を感じ取ったと評した。

 村上は率直に彼らの音楽を位置づけているように感じた。しかし、放送する音楽にはきわだった特徴があった。ほとんど、S&Gの歌がないのだ。カバーばかりなのだ。これは意外な選曲だった。

 二人の音楽におけるガーファンクルの声は重要な要素で、彼の澄んだ伸びのある歌声がS&Gの音楽を一方で支えていた。それはソロになってからのガーファンクルの楽曲を聴いても実感できた。村上はS&Gではなくて、音楽家としてのポール・サイモンに焦点を絞ったのだろう。

 放送された「サウンド・オブ・サイレンス」はポール・サイモンのソロだった。歌詞がはっきりと浮かび上がり、メッセージ性の強い歌い方だ。ガーファンクルとの美しいハーモニーではない。直接的に叫ぶような歌い方は、あるいはポールの原点を示すのだろうか。

 その後も、ポール・サイモンが作詞作曲した歌をさまざまな歌手がカバーする音楽が続いた。「早く家に帰りたい」はザ・クワイエット・ファイブ、「スカボローフェア」はマリアンヌ・フェイスフル、「アイ・アム・ア・ロック」はグラス・ルーツ。「ミセス・ロビンソン」はブッカー・T&ザ・MG‘sのインストゥルメンタンルで。

 さらに、「ボクサー」はボブ・ディラン、「明日に架ける橋」はアレサ・フランクリン、「コンドルは飛んでいく」は越路吹雪。ポール・サイモンがソロになってからも、ボブ・ジェームズの「夢のマルディ・グラ」やレイ・チャールズの「時の流れに」など他のアーティストによる歌が続く。

 番組の趣旨は、ポール・サイモンの軌跡を他の歌手による歌でたどることだったのだ。その結果、どういうことがわかったか。二つ挙げておこう。

 一つはポールの歌がさまざまに変容して、広がっていくようすが実感できたことだ。時には美しいコーラスになり、あるいは少し変わったアレンジでS&Gのオリジナルとは違う側面に光があてられる。越路吹雪の「コンドルは飛んでいく」では、日本語に訳された歌詞がポールの強い主張を響かせた。ポールの作った歌からいろいろな可能性が引き出されていくのを実感できた。

 もう一つはポールの作る曲が絶えず変化していることだ。当初の主張を前面に出したギター一本の歌からスタートして、民謡を巧みに生かしたり、その時の流行の音楽を取り入れたりしていく。また、ラテン音楽、アフリカ音楽、ジャズ、ゴスペルなど、ワールドミュージックのような様相を呈していく。多彩な音楽を貪欲に取り入れて、自身の音楽を拡げ、深化させていく。

 村上はポール・サイモンのそこに光をあてたかったのではないか。可能性にあふれた、豊かな楽曲、そして、世界的なヒットにも安住せず、絶えず新しい境地を求めて変わっていく姿。アーティストにとって最も重要なことをポールの足跡をたどりながら、村上は表現しているように思った。

 村上がS&Gで最も好きな曲は「五十九番街橋の歌」のようだ。別名「フィーリン・グルービー」(「サイコーに気持ちいい」くらいの意味か)。五十九番街橋はニューヨークのクイーンズ地区とマンハッタンを結ぶ橋。クイーンズ地区に住んでいたポールは毎日のようにこの橋を渡ったのだろう。村上はニューヨーク・シティ・マラソンで何度かこの橋を走ったことがあるという。

 陽気で元気の出る歌だ。さわやかな、活力いっぱいの朝の歌だ。短い曲なのだけれど、一度聴くと、口ずさみたくなってくる。村上の生に対する肯定的な姿勢や、地上的な志向、日常の物事を大切にする感覚と結びつけたくなるが、意味づけし過ぎかもしれない。

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