村上春樹をさがして|第8回 パリ祭の日に最後の芝生を刈ること|重里徹也

 緊張した小説空間なのに挿絵が風を入れて、作品を読者に近づけているということに前回、村上春樹訳のカーソン・マッカラーズ『哀しいカフェのバラード』について書いていて触れた。山本容子の銅版画がかたくなに閉じた恋愛物語をほぐして、開いているのだ。そのために、作品を親しみやすいものにしていた。

 この秋に改めて刊行された村上の初期短編『午後の最後の芝生』(スイッチ・パブリッシング)にもそれを感じた。今回の挿絵は安西水丸。村上の読者にはおなじみのイラストレーターだ。

 彼のシンプルであまり構えた感じのしない(実はけっこう構えているのかもしれないが)造形が、この本でも、村上の作品世界に窓を開け、外気を取り込んでいるように思われる。

『午後の最後の芝生』は「宝島」一九八二年九月号に発表された。三作目の長編小説『羊をめぐる冒険』を発表した後の短編になる。村上の初めての短編集『中国行きのスロウ・ボート』に収められた。

 一読すると忘れられない名編で、村上の愛読者の間でも人気がある。こんなストーリーだ。

 小説の全体は、三十代前半の主人公が十四年か十五年前を回想しているという設定になっている。流れていたという音楽(ジム・モリソンとポール・マッカートニー)から、当時は一九六〇年代末ごろだとわかる。

 主人公の「僕」はその頃、十八歳か十九歳で、東京で暮らす大学生だった。同い年の恋人とどこかに旅行するための資金をつくるために芝生を刈るアルバイトをしていた。ところが七月の初めに彼女から長い手紙が来て、別れを告げられた。

「あなたのことは今でもとても好きです」「やさしくてとても立派な人だと思っています。でもある時、それだけじゃ足りないんじゃないかという気がしたんです」

「僕」は恋人と別れたことから、お金をつくる意味も失い、芝生を刈るアルバイトをする必要もなくなる。それで最後の芝刈りに行くという設定だ。

 依頼主は酒好きの中年の大柄な女性だった。芝刈りを終えた後、女性は一カ月近く閉め切っていたらしい娘の部屋に「ぼく」を誘い、部屋の持ち主だった娘について、どう思うか尋ねる。「僕」は慎重に感じたことを話す。そして、二人はしばらく、「僕」によってきれいに刈られた芝生を眺める。そして、「僕」は女性の家を後にする。

 まず、感じるのは恋人を失った「僕」の空虚な心と、娘が出て行った女性の虚無感が響き合っていることだろう。大切なものが失われたという意識、もう終わってしまったという諦念。村上の初期作品に特徴的な喪失感が鮮やかに描かれていて心に残る。

 見逃せないのは、この最後の芝刈りが行われた日付だ。小説の中ではっきりと示されている。七月十四日。フランスの革命記念日、パリ祭の日なのだ。一七八九年のこの日、バスチーユ監獄が群衆に襲撃され、フランス革命の発端になった。

 この小説に仕掛けられた謎を列挙してみよう。

 まず、女性の娘はどこへ行ったのか。よくわからない。いなくなったことしか示されていない。おそらく女性はそれに不本意なのだろう。遠くへ去ってしまったのか。それとも、死んでしまったのか。

 次に、なぜ、恋人は「僕」の元から去ってしまったのかという謎だ。彼女の手紙にはこんなふうに書かれていた。「あなたは私にいろんなものを求めているのでしょうけれど」「私は自分が何かを求められているとはどうしても思えないのです」

「僕」はこの問いについて自問し、答える。「僕の求めているのはきちんと芝を刈ることだけなんだ」。

 答えになっていない。「きちんと芝を刈ること」とは何を意味しているのか。丁寧に日々を粛々と生きることか。観念的にならずに、地上の生活を大切にするということか。彼女に何を求めているかについては直接に答えず、自分の生きる姿勢を表明して答えの代わりにしている。

 そして、深い闇のような謎が残る。「僕」はなぜ、炎天下の真夏に芝生を刈る行為をフランスの革命記念日にしているのだろう。政治活動から距離を取り、目の前の現実的な仕事にじっくりと取り組みたいということか。派手な政治的狂乱に背を向けて、日々の仕事を積み重ねているということか。

 安西水丸の絵は、謎に覆われたこの作品を柔らかにほどいている。単純な線で大きく描かれた鉛筆やシャツやレコード・ジャケット。ウイスキーの瓶やタバコの箱。ベッドやたんす。そして、繰り返し現れる芝生。

 芝生は何本もの緑色の線分から成っている。そして、いつも画面を大きく占めている。単調な人生を象徴しているのか、時間の流れが立ち現れているのか。

 パリ祭の日に、「僕」はなぜ、丁寧に芝生を刈り続けるのだろう。そんな疑問に寄り添うように、安西水丸の芝生はどこまでも温かく広がっている。

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