朝霜に包まれる川内駅 (薩摩川内市)
筆者が通っているいちき串木野市羽島は、東京や神戸のような大都市圏より涼しいです。推奨はしませんが、冷房に頼らずとも過ごせるでしょう。避暑のために南国を目指す時代(注1)がもうそこまで来てる(注2)。
冬もそこそこ暖かいのですが、寒波は普通にやって来て、雪も降ります。先日は隣り町の川内駅周辺が冒頭画像のような冬景色になっていました。ちなみに、連絡船(に接続したバス)も一応出ています。
1 前回の復習
/binta/ ‘鬢(が生える部位); 頭(髪)’ の言語地図に時間を掛け過ぎてしまい、連載をひと月ほど停滞させてしまいました。よんさま (GPT-4) 沼にも嵌り、気づいたら、3月半ば…。
前回は /binta/ の拡散経緯 (ひいては、/binta/ が薩摩弁特有語であるか) を確かめるため、その地理的分布を見ました。/bin/ ‘鬢’ と /( … )ta/ ‘??’ とからなる /bin-ta/ が東西に分かれて分布していることから、畿内(辺り)に生まれた /bin-ta/ が広域に継承されて、周辺部に集中的に残ったと推定されます。
2 /bin-ta/ 広域伝播の可能性
ただし、/bin-ta/ の広域伝承は可能性の1つに過ぎません。/bin-ta/ が広域に伝播して、現在の地理的分布に至ったという可能性も実は残されています。/bin-ta/ の広域伝承と広域伝播との違いを、前回記事 (1) に追記した形で次掲 (1) に示します。
(1) A. /bin-ta/ の広域継承
a. ‘鬢’ のような意味を持つ /bin-ta/ が方言P1に生まれて、
b. P1の娘言語に当たる (= Pの系統に属する) P2a, P2b, P2c, … に継承されたのち、
c. P2のそれぞれにおいて ‘鬢(が生える部位)’ や ‘頭(髪)’ を意味するようになった。
d. その後、あるいは、(1Ac) と並行的に、P2のうち、畿内(辺り)で話されていた方言においては /bin-ta/ が、次掲図1(注3)に言うbin-tja類 (橙系円) やbin-tu類 (緑系四角) の台頭などにより死語となった。
図1: /binta/ ‘鬢(が生える部位); 頭(髪)’ の言語地図
B. /bin-ta/ の広域伝播
a. ‘鬢’ のような意味を持つ /bin-ta/ が方言Pに生まれて、
b. Pと必ずしも系統を共有せず、Pの娘言語でもない (= Pの系統に属さない) 方言Q, R, S, … に伝播したのち、
c. P, Q, R, S, … のそれぞれにおいて ‘鬢(が生える部位)’ や ‘頭(髪)’ を表すようになった。
d. その後、あるいは、(1Bc) と並行的に、P, Q, R, S, … のうち、畿内(辺り)で話されていた方言においては /bin-ta/ が、図1に言うbin-tja類 (橙系円) やbin-tu類 (緑系四角) の台頭などにより死語となった。
3 薩摩弁が /binta/ を生んだ可能性
可能性 (1) のうち、/bin-ta/ を生んだ方言P(1) が薩摩弁である (→ /bin-ta/ が薩摩弁特有語である) 可能性は (1B) /bin-ta/ 広域伝播説にしか残されていません。(1A) /bin-ta/ 広域伝承説におけるP1は、畿内(辺り)の方言に限定されるからです。
では、(1B) /bin-ta/ 広域伝播説に従った場合、/bin-ta/ を生んだ方言Pが薩摩弁である可能性はどのくらいでしょうか。これを検討するためにまず、/bin-ta/ 分布域に、系統 (= 語派、語群) を違える方言がいくつあるかを試算します(注4)。鹿児島弁、串木野弁、都城弁といった下位方言を包含する薩摩弁が薩摩、大隅の2国に分布していることを踏まえて、系統上、薩摩弁規模の方言が1–2国に1つあると見ておきましょう (より良い数え方はあるでしょうが)。/bin-ta/ 分布域には60国以上存在するので、薩摩弁規模の方言は30–60ほどあると考えられます。このように考えると、薩摩弁が /bin-ta/ を生んだ可能性は非常に小さく、30–60分の1に過ぎません。
4 薩摩弁の影響力
薩摩弁圏を治めていた島津家は800年以上続く名門でして、徳川幕府時代の石高は70万石を超えます。しかし、薩摩弁圏が日本国の政経的・軍事的中心になったことは (残念ながら?) ありません。
薩摩弁に生まれた /bin-ta/ が、ある時代に (島津家が大藩を治めた江戸時代に限らず) 何かしらの理由で (たとえば、流行、貿易、侵略などを通じて) 東西南北に幅広く伝播し、現在の地理的分布に至った可能性はゼロではありません。しかし、日本国史における薩摩弁圏の政経的・軍事的影響力を考慮すると、薩摩弁に生まれた /bin-ta/ が広域に伝播した可能性はきわめて小さいでしょう。/bin-ta/ が薩摩弁特有語である可能性も同様です。
3回にわたっておこなったような言語学的出自検討を他の薩摩弁特有語にも進めていくと、相当数 (大半?) が薩摩弁特有語から脱落するように思います。薩摩弁圏外の九州南部にも分布する /daijame2/ ‘晩酌’ (< /dare2+jame1/ ‘疲れる+已める’?) は、薩摩弁(母語)話者に愛されていることから、薩摩弁特有語であって欲しいですけど、実際はどうなんでしょう。
注
(注1) 全くの余談ですが、関東圏では房総半島太平洋側沿岸部 (館山市、勝浦市、銚子市など) が避暑に良いようです。筆者も一度、予備知識なしで真夏の日中に館山市を歩いて、その涼しさに驚きました。
(注2) これまた全くの余談ですが、松陰寺太勇 (ぺこぱ) のツッコみがツボです。ただ、大企業の(ヨイショ)CMに出た時は例外なくつまらないですね。この傾向はぺこぱに限ったことではありませんが。
(注3) bin-tu類に入れていた /bin-taku/ をbin-ta類に変えました。/bin-ta/ の地理的分布を見るに、bin-ta類と見て、問題がないことに気づいたためです。
(注4) 日本語族がどのような語派、語群に分類できるかは次の論攷に詳しいです。
五十嵐 陽介 (2018)「九州語と琉球語からなる「南日本語派」は成立するか?: 共通改新としての九州・琉球同源語に焦点を置いた系統樹構築」鹿児島大学公開共同シンポジウム「九州-沖縄におけるコトバとヒト・モノの移動」2018/11/03、於鹿児島大学