ことばのフィールドワーク 薩摩弁| 第7回 語形の網羅的調査|黒木邦彦

 

「日本飲酒党」から鞍替えするなら、ここかな

 薩摩弁圏は温泉大国でして、大分県や熊本県でも見かけるような、低料金の公衆温泉があります。冒頭画像の温泉はことさら安く、なんと150円!! 筆者が調査地に借りている家の近くにも、数百円ではいれる温泉があります。筆者の借り家はちゃんとした風呂を備えているのですが、広々とした浴場のくつろぎを求めて、足しげく通っています。

 薩摩弁母語話者の中には、温泉に浸かった際に次掲 (1a) を発する人がいます。これに似た表現としては、仲間との飲み会を楽しんでいる時に発する (1b) や、風鈴の音を聞いた時に発する (1c) があります。地域にもよるのでしょうが、一定数の薩摩弁母語話者には (1d) のような感嘆文が備わっているようです。

(1)  薩摩弁の感嘆文 
a.      じゃ~
b.    良か ば(晩) じゃ~
c.    良か  じゃ~
d.    良か [名詞]  じゃ~

 読後は「良か 連載じゃ~」のひと声を。

1 前回の復習

 前回は、薩摩弁特有の語句だけでなく、借用語も含む語彙全体を記述することの意義を説きました。普段使いに堪える薩摩弁資料を作るために、借用語の語形がどうなっているかも調べているわけです。

2 語形調査の手順

 では、ある語句の語形はどのように調べるのでしょうか。言語調査は誰もが経験することではないので、手順が想像しづらいかもしれません。そこで、‘餅搗き’ を意味する語の語形調査を例に取って、具体的な手順を記していきます。

 筆者が薩摩弁母語話者に教わる際は、まず素朴に、‘餅搗き’ をどのように言い表すか訊ねます。薩摩弁母語話者は共通語(色の強い方言)も理解してくれるので、図1aのような質問でも大丈夫です(注1)。おそらくは、図1bのように回答してくれるでしょう。

図1: 語形調査のひと幕 (画像引用規約)

3 語形を網羅するための調査

 調査に慣れないうちは、「もっつっ」という語形だけを記録して、別語の質問に移ってしまいます (同様の失敗は筆者も経験しました)。この情報だけでも、何も分からないよりはマシですが、充分とはとても言えません。日常の会話で「餅搗き」とだけ発音することはまずありませんよね? 実際は、次掲 (2) のような発話の中で「餅搗き」に助詞などを続けることが多いでしょう。

(2)  a.    [本日の予定を述べて]
  今日は餅搗きもある。
b.    [年末に何をしていたか訊ねられて]
  年末は餅搗きばかりしてた。
c.    [本日の予定を述べて]
  今日は餅搗きと忘年会がある。
d.    [餅搗きに行く人を案じて]
  餅搗きで怪我しないように。

 「もっつっ」という語形を教わったあとは、(2: 太字部) のような語形を調べていきます。調査対象方言 (筆者にとっては薩摩弁) を調べ始めた段階においては、共通語で作成した (2) のような調査例文を調査者が口頭ないし文面で示し、被調査者にその場で方言訳してもらいます(注2)

4 被調査者のメタ言語能力

 被調査者の中には、(2) の発話状況、つまり、いつ誰がどんな状況で(誰に)どう言うかを気にせず、(2: 太字部) のような語だけを抜き出せる人もいます。このような能力を「メタ言語能力」と言います。言語調査を何度か受けるうちにメタ言語能力を身に付ける人もいれば、最初から持っている人もいます。

 このフォルダーにある音声ファイル [Mic12_ … ] をお聞きください。被調査者の09F40氏は、(2: 太字部) のような語だけを方言訳していますね。回答が調査例文 (2) より短く、発話状況の説明も要らないので、「相席食堂」西川きよし・DJ KOO出演回(注3)を凌ぐ録れ高となります。

 09F40氏のようにメタ言語能力に優れる人は、次掲 (3) のようなこともできたりします。言語学者にやたら頼られてしまうので、(3) をこなす能力は隠しておいた方が幸せかもしれません。

(3)  a.    (2:太字部) を「餅搗き」と助詞「-も」「-ばかり」「-と」「-で」とに分解できる。
b.    (2a: 太字部) の「-も」を「-が」に替えた文も適格(注4)と分かる。
c.    (2b: 太字部) の「-ばかり」が「-だけ」と意味的に似ていると分かる。

(注1) 調査者の薩摩弁が下手であっても、薩摩弁で話せることをうれしく感じる人もいれば、下手な薩摩弁は聞き取りがかえって難しいので、共通語を希望する人もいます。恥ずかしながら、共通語で話すように頼まれた経験は筆者にも数度あります。

(注2) (2) のような、構造が簡素で、発話状況も想像できる調査例文であれば、被調査者に方言訳してもらえる可能性は高いでしょう。しかし、次掲 (A) のような調査例文の方言訳を被調査者に丸投げするのは避けるべきです。

(A)    a.    太郎は先生に「自分が言ったことをもう忘れてる」と言った。
b.    花子はそのお菓子を、誰がどこで買って来たと考えてるの?

 (A) の方言訳に苦を感じない人もいますが、母方言にうまく訳せないことを申しわけなく思ったり、恥に感じたりする人もいます。このような事態は避けて、被調査者も楽しめる (あるいは、母語に関心を持ったり、母語の理解を深めたりする) ように努めましょう。

 幸い、薩摩弁は辞書等の資料に比較的恵まれているので、調査例文を薩摩弁で(それらしく)作ることはできます。前掲(A) であれば、次掲 (B) のような調査例文を用意するわけです。

(B) 1.たろーせんせーにわががこと
 taroo-wasensee-niwaga-gajuw-takot(o)-o
 太郎-は先生-に自分-が言っ-たこと-を
 ‘太郎は先生に「自分が言ったことを
もへわすれちょった。
mohewasure-tjor-tijuw-ta
もう忘れ-てる-と言っ-た
もう忘れてる」と言った。’

‘太郎は先生に「自分が言ったことをもう忘れてる」と言った。’

2.はなこわかしょだいどこで
 hanako-waso-nokas;i-odai-gado-ko-de
 花子-はそ-の菓子-を誰-がどこ-で
 ‘花子はそのお菓子を、誰がどこで
こっきたかんげちょっと?
kaw-teki-ta-tikange-tjor-to
買っ-て来-た-と考え-てる-の
買って来たと考えてるの?’

‘花子はそのお菓子を、誰がどこで買って来たと考えてるの?’

 調査当日は、(B) のような調査例文を口頭ないし文面で被調査者に示し、まずはその是非を判断してもらいます。(i) 用意した調査例文が自然な発話と認められたら、被調査者に実際の発話を頼みましょう。(ii) 不自然と判断されたり、こちらの意図が誤解されたりした場合は、調査例文のどこをどのように改めるべきかを一緒に考え、作り直した調査例文を被調査者に発話してもらいます。

(注3) まったくの余談ですが、相席食堂はいつもこのネイル サロンで観ています。施術師はいわゆる不思議ちゃんで、店も魔法使いの家?っぽいので、なぜか流れている相席食堂に笑っていいのか毎度分かりません。

 これまた余談ですが、筆者がここで施してもらうネイル アートは09F40氏の楽しみになっているそうです。ネイルの出費は小さくないのですが、話しの種になることもあって、なかなかやめられません。

(注4) 自然言語の適格性については第3回記事をご覧ください。(注3との落差に草)

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