‘乗ってみよう。公共交通’ を薩摩弁で表現
筆者の勤務地と薩摩弁圏 (= 旧薩摩藩領) とのあいだは、金こそかかりますが、新幹線、飛行機、フェリーで比較的簡単に移動できます(注1)。問題は薩摩弁圏にはいってからです。そこは完全に車社会なのですが、筆者はあいにく運転免許を持っていません。公共交通機関で移動するにも、都市部やラッシュ時を除けば、便数が限られています。筆者の借り家と都市部とを繋ぐバスは、上下合わせても1日わずか数本。帰宅スケジュールの厳しさは昭和の箱入り娘にも負けません。24時まで遊べるシンデレラはパリピ。
ここで「田舎の公共交通」を兼題にして、一句詠みます。
(1) | 迎け➘め | 来ん | 乗って | みっがち | 思ちょっどん |
mu̟keme | koŋ | notːe | mʲiɡːɐt͡sʲi | omot͡sʲodːoŋ | |
mukeme-i(注2) | ko-n | nor-te | mi-r-ga-ti | omow-tjor-don | |
迎え-に | 来-ない | 乗っ-て | 見-る-よ-と | 思っ-てる-けど | |
‘迎えに来ない。乗ってみようと思ってるけど’ |
1 前回の復習
前回は、方言も言語に同じく、意思疎通や思考に用いられる記号体系であることを確認しました。方言、言語、記号体系の関係は次掲 (2) のとおりです。
(2) 方言 ⊊ 言語 ⊊ 記号体系(注3)
A ⊊ B: AはBの真部分集合
観点 (2) は、日本語方言学に長らく欠けていたものです。方言は多くの専門家に過小評価され、‘特定の地域や集団にのみ行なわれる発音、語彙、言い回し’ と見なされてきました。専門家がそう考えていたこともあってか、既存の方言資料には、日常の意思疎通や思考に耐えうるものがほとんどありません。
2 方言の切り替え?
方言の過小評価はいまだに続いていて、もはやそれが普通の感覚にすらなっています。たとえば、冒頭画像の標語を見かけた場合、多くの人は「乗ってみっが」ないし「みっが」だけを薩摩弁と捉え、残りは共通語と見なすでしょう。薩摩弁母語話者であってもです。
確かに、「乗って」は共通語でも「乗って」ですし、「公共交通」は共通語から取り入れた語です。ただし、薩摩弁母語話者は母語のアクセントで「乗っ➘て」「公共こー➚つー」と発音します。アクセントが薩摩弁になっているので(注4)、薩摩弁と共通語とを切り替えているかどうか(注5)は、よく分かりません(注6)。
3 薩摩弁母語話者が使う薩摩弁らしくない語
確かなことは、「公共交通」のような、薩摩弁らしくない(と見なされる)語が母語話者同士の会話にも頻出するということです。次掲 (3) をご覧ください。これは、親しい間柄にある母語話者02F25氏、03M40氏(注7)の会話に現れた02F25氏の発話です。(3e, j, n, o, p) などから分かるように、薩摩弁らしくない語が多用されています。
(3) | a. | b. | c. | d. | e. | f. | g. | h. |
そ➘ | した | とこい➘が | そ➘ん | ぜーむ➘か | あたい➘が | つとめ➘ちょっ | とこい➘に | |
so | sʲːtɐ | tokoiɡɐ | son̚ | d͡zeːmu̟kɐ | ɐtɐiɡɐ | t͡sstomet͡sʲot̚ | tokoinʲi | |
so-ː | si-ta | tokor(o)-ga | so-no | zeemu-ka | atai-ga | tutome-tjor | tokor(o)-ni | |
そ-う | し-た | 所-が | そ-の | 税務-課 | 私-が | 勤め-てる | 所-に | |
‘そうしたところ、その税務課、私が勤めてるさなかに |
i. | j. | k. | l. | m. | n. | |
そ➘ん | きっぷお | もって | い➘たっ | くれっちゅわっ➘で | しょーめんげんかんか➘ら | |
soŋ | kʲipːu̟o | motːe | itɐk̚ | ku̟ɾet̚t͡sʲu̟wɐdːe | sʲoːmeŋɡeŋkɐŋkɐɾɐ | |
so-no | kippu-o | mot-te | ita-te | kure-i-tti-juw-ar-de | sjoomen-genkan-kara | |
そ-の | 切符-を | 持っ-て | 行っ-て | くれ-い-と-言わ-れる-んで | 正面-玄関-から | |
「その切符を(遊郭に)持って行ってくれ」と(上司が)おっしゃるんで、(遊郭の)正面玄関から |
o. | p. | q. | r. | s. | t. |
ゆーが➘た | しやっしょか➘ら | かえり➘ | やっでな➘ー | もって | いっ➘たいな |
ju̟ːɡɐtɐ | sʲijɐsʲːokɐɾɐ | kɐeɾʲi | jɐdːenɐː | motːe | itːɐinɐ |
juu-gata | si-jaksjo-kara | kaer-i | jar-de-na | mot-te | ik-tai-na |
夕方 | 市-役所-から | 帰r-i | な-んで-な | 持っ-て | 行っ-たり-な |
夕方、市役所から(の)帰り(道にある遊郭)なんでな、持って行ったりな’ |
(3) ‘そうしたところ、その税務課、私が勤めてるさなかに、「その切符を(遊郭に)持って行ってくれ」と(上司が)おっしゃるんで、(遊郭の)正面玄関から、夕方、市役所から(の)帰り(道にある遊郭)なんでな、持って行ったりな’
4 薩摩弁の語彙
(3o)「ゆーが➘た」‘夕方’ には、「よろいも➚て」という類義語があります。ここでは、より薩摩弁らしい「よろいも➚て」ではなく、共通語にもある「ゆーが➘た」が選ばれています。これを薩摩弁から共通語への切り替えと見る向きもあるでしょう。
しかし、(3e, j, n, p) には、対応する類義語がそもそもありません。いずれも共通語から取り入れた語でしょうが、‘税務課’, ‘切符’, ‘正面玄関’, ‘市役所’ という意味を薩摩弁で言い表すには、「ぜーむ➘か」「きっ➚ぷ」「しょーめんげん➘かん」「しやっ➘しょ」と言うしかないのです。
§2に挙げた「乗っ➘て」「公共こー➚つー」に同じく、(3e, j, n, o, p) にも、薩摩弁のアクセントが適用されます。このことを踏まえるに、薩摩弁は共通語の語彙 (特に、漢語と外来語と) を日々取り入れ、社会の近代化や情報化に適応しているのでしょう(注8)。
お詫び
先週、「筆者が編纂している薩摩弁辞書 (.xmlファイル) … をどのように編纂しているかの話しは次回にでも」と述べておきながら、まるで触れていないことに今さら気づきました。申しわけないことに、紙幅も力も尽きてしまったので、次回にでも (フラグ)。
注
(注1) (i) 乗り換えなしの「みずほ」「さくら」、(ii) 直前の予約でも片道1万円をたまに切るSkymark、(iii) 洋上の非日常に気分がアガりすぎて、航行より酒に酔ってしまう宮崎カーフェリー、さんふらわあなど、多士済々です。
(注2) 「迎け➘め」は「迎え参り」(あるいは「向かい参り」) に由来する語でしょう。‘他家への仏壇参り’ を「たな➘め」(参考: たなまいり ‘分家から本家への仏壇参り’) と言うことがその傍証です。「迎け➘め」「たな➘め」は次掲 (A) のように変化してきたと考えられます。
(A) | 1. | 2. | ||
mukape-mawir-i | ‘迎え-参r-i’ | tana-mawir-i | ‘棚-参r-i’ | |
mukaemair | tanamair | |||
mukemer | tanamer | |||
mukeme | ‘迎え’ | taname | ‘他家への仏壇参り’ |
(注3) 本連載ではここまで、「言語」という語をゆるい定義で使っていましたが、今後は、‘我々が大人の発話からなぜか自然に学び取る言語’ を「自然言語」と呼んで、「言語」とははっきり区別します。
(2) に言う「言語」は自然言語に限らず、人為的に創出・整備された「人工言語」も含みます。人工言語としては、まず、コンピューターへの指令や電子デイタの構造記述に用いる「コンピューター言語」が挙げられます。自然言語に設計を似せたものとしては、次掲 (B) などがあります。(B3) エスペラントは、自然に学び取った母語話者がいるようなので、現在は自然言語と言うべきかもです。
「言語」を自然言語に限定し、「方言」を特定言語の地理的変種に限らなければ (= 年齢、性別、職業などの違いから生じる変種も「方言」と呼ぶなら)、(2) は次掲 (C) のように書き換えられます。全ての自然言語は同時に方言でもあるからです。共通語も、おおやけの場や改まった場において使う方言と言えます。
(C) 方言 (= 言語変種) = 言語 (= 自然言語) ⊊ 記号体系
(注4) 話者人口に恵まれた関東西南部(含東京)方言では、「乗っ➚て」「こーきょーこ➘ーつー」というアクセントが一般的でしょう。
(注5) 「乗ってみっが。公共交通」であれば、「(乗って)みっが」を薩摩弁(のつもり)で発話して、残りは共通語に切り替えているのでしょうか。
(注6) 脳波を見れば、分かるのかもしれません (袋叩き必至の適当発言)。
(注7) “02F25, 03M40″ の頭2桁は通し番号、”M/F” は男/女の別、末尾2桁は生年 (5年刻み切り捨て) です。
(注8) 言語学者が見つけて喜ぶ伝統的語彙だけでは、パソコンの操作を覚えたり、ふるさと納税をお得に活用したり、世界情勢を語ったりできません。