ことばのフィールドワーク 薩摩弁| 第4回 方言も言語|黒木邦彦

いちき串木野くしきの(注1)北西部の羽島はしまで見かけた看板

1 冒頭画像

 羽島は、筆者が足しげく通っている地区です。ここで生まれ育った人々に教わった薩摩弁 (羽島弁) が本連載にはたびたび登場します。

 冒頭画像は、羽島を歩いているさなか目に留まった看板です。どこにでもあるような環境標語ですが、仕事柄、「もう」がどうにも見逃がせず、羽島弁で、

 (1)てんがらこころもいっどうっせたっ
 teŋɡɐɾɐkɐkokoromoidːousːetaʔ̚͜t̚nɐ
 tengara-kakokoro-moid-dousse-ta-t-na
 やさし-い心-も一-度捨て-た-の-?
 ‘やさしい心も一度捨てたの?’

と尋ねたくなりました。聖帝サウザーのような過去を持つ人に宛てた警告なのかな。

2 前回記事

 前回は、言葉の「正しさ」が両義的で、‘適格性’ も ‘適切性’ も表しうることを確認しました。表現の適切性は、薩摩弁などの方言を話す時にも気にすべきことです。

 薩摩弁を例に取ったのは、もちろん、これが本連載の対象言語だからです。更には、方言も言語に同じく、意思疎通や思考に用いられる記号体系(注2)であることを示す意図もありました。

3 方言の定義

 共通語(的要素)が頻用される地域、たとえば、外来者が多い都市部に暮らしていると、方言を ‘特定の地域や集団にのみ行なわれる発音、語彙、言い回し’ のように捉えがちです。話者人口に恵まれた地域共通語や全国共通語(注3)との違い(だけ)に注目したこの定義(注4)によれば、方言は言語のような記号体系ではなく、断片的記号に留まります(注5)

 では、筆者が使う日田(ひた) (豊後方言の一種。参考動画1, 2) (2–3) のうち、共通語に一致した (3) は日田弁ではないのでしょうか? 日田弁母語話者の相当数は、母語話者同士で話す場合であっても、(3e) を (3a) のように表現するはずです。

(2)[友人の酒癖の悪さを咎めて]
 a.しゃがあるちゅごつさけんじょむきばい
 b.nʲisʲɐɡɐaru̟t͡sʲu̟ŋgot͡sssɐkend͡zʲonomu̟kʲibɐi
 c.nisia-gaarutjuː-ngotusake-nzjoːnom-u-ki-bai
 d.お前-がアル中-の如く酒-のばかり飲m-u-から-よ
 e.‘お前がアル中みたいに酒ばかり飲むからだよ。’

(2) ‘お前がアル中みたいに酒ばかり飲むからだよ。’

(3)[蹴球日本代表の勝利を友人に確認]
 a.にほまたかったな
 b.nʲihommɐtɐkɐtːɐnɐː
 c.nihonmatakat-ta-na
 d.日本また勝っ-た-な
 e.‘日本また勝ったな。’

(3) ‘日本また勝ったな。’

4 包括的方言記述の必要性

 普通教育の普及や方言弾圧により、若年層の多くは、伝統方言の発音、語彙、言い回しを部分的にしか継承しておらず、共通語に似た (たとえば、前掲 (3) のような) 方言を話します。ただし、使用方言が共通語に似ていようといまいと、使用者は意思疎通や思考をその方言で行なっているのです。

 ところが、既存の方言資料に、日常の意思疎通や思考に堪えうるものはほとんどありません。千万の見出し語を持つ辞書であってもです。次掲 (4) のような日常的発話の方言訳にあたって学習者が頼れる方言資料は、実に少ないのです。

(4)  a.    今なら、羽生さんと藤井八冠がサインしてくれるんだって。
b.    アマプラが付いてくるから、電気は大阪ガスに替えるか。
c.    イタリアの電話番号って39(さんきゅー)じゃなかったっけ?

 方言訳において特に苦労する点はアクセント (= 音高の上がり下がり) です。「(あめ)」「置く」「弱い」といった固有語 (和語) のアクセントは、資料がなくても、金田一春彦氏が見つけたアクセント類から予想できます。しかし、次掲 (5) などのアクセントは方言訳に困るのです。

(5)  アクセントの方言訳を難航させる語
a.    「電気」「電話番号」のような漢語
b.    「サイン」「イタリア」のような外来語
c.    「羽生さん」「藤井八冠」「大阪ガス」のような固有名詞
d.    「アマプラ (← アマゾン プライム)」のような略語
e.    「39」のような数の羅列(注6)

 筆者が編纂している薩摩弁辞書[lexicon_kushikino_yymmdd.xml] は、(5) などのアクセントにも対応できるよう、「市民文化センター」「ナオトインティライミ」「三五十五 (掛け算)」なども収めています。これをどのように編纂しているかの話しは次回にでも。

(注1) ‘市来’, ‘串木野’ は現地にて「い➚ちっ」[it͡sʲiʔ̚]「くしっ➘の」[kusʲiʔ̚͜t̚no] と発音されます。羽島弁母語話者には、‘串木野’ を「くㇶ➘の」[kuçno] と発音する人も。
 串木野あたりの地名はCROJADS内の [調査結果_語彙,地名_yymmdd.xlsx] に記していきます。デイタ整備を始めたところなので、今は参考程度に留めてください。

(注2) 記号体系とは、物事やその関係性を指すための記号を規則的に整理したものです。我々が日本語として使っている次掲 (A) の記号を例に取って、このことを説明します。記号 (A) はまず、(A1–3) の3種類に分類できますね。(A1)「手」と交替できる記号は、同じく (A1) に並ぶ「足」「首」「胴」などであって、(A2–3) の記号ではありません。更に、(A1–3) の各群から記号を1つ選んで、意味のある発話を成す時は、どの記号を選ぶにしても、(A1–3) の順に並べなければなりません。このように、我々が言語として使っている記号はでたらめに存在しているわけではなく、一定の規則に基づいて整理されているのです。

(A)1.2.3.
 長い
 短い
 太い
 だけ細い

(注3) 地域共通語と全国共通語との違いは、特定地方に分布する各方言 (たとえば、関西地方に分布する京都方言、岸和田方言、神戸方言、姫路方言など) の特徴を積極的に混ぜているか否かによります (ただし、両者の違いは離散的ではなく、連続的)。次掲 (B) をご覧ください。(B1–3) は薩摩弁母語話者の多くが行なう言葉の使い分けです (なるべく (B1) で通す人もいます)。九州方言の特徴を混ぜた (B2) は地域共通語、それを排除した (B3) は全国共通語と言えるでしょう。

(B)1. 薩摩弁にもちゃそけいぇちょってんよかど。
 2. 地域共通語にもつわそこにおいとってもよかですよ。
 3. 全国共通語にもつわそこにおいててもよいですよ。
  荷物はそこに置いてても良い(です)よ

(注4) 日本語方言学の一派が著した『方言を救う、方言で救う: 3.11被災地からの提言』(ひつじ書房) も、「危機的な方言」を「被災地で使用される個々の単語や表現」(p. 16) と定義しています (主題の都合から「被災地で」としていますが、そうでなければ、「特定の地域で」のように表現していたでしょう)。この定義が示唆するとおり、日本語方言学はその名前の割りに、方言を過小評価しがちです。このことは、音韻、文法、語彙を網羅した包括的方言記述が方言学からほとんど出てこないことと無関係ではないでしょう。

(注5) 筆者は個人的に、‘特定の地域や集団にのみ行なわれる発音、語彙、言い回し’ を「俚言(りげん)」(参考はこちら) と呼んで、言語に同じく記号体系である方言と区別しています。

(注6) 「さんきゅー」と呼ぶか「さんじゅーきゅー」と呼ぶかという問題もあります。

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