第41回 日本語教育の歴史的転換|田尻英三

★この記事は、2023年6月12日までの情報を基に書いています。

今回は、衆議院・参議院で可決された法案が、日本語教育の世界をこれまでになかったほど大きく変えていくという点を中心に書きます。この法律の施行に伴い、具体的な施策を実行するための会議についても説明します。

1.日本語教育と日本語教育学とが連携しない現状

以下では、日本語教育が関わる社会的な問題点や日本語を教える現場の問題点を含めて「日本語教育」を捉えます。現在、大学などで日本語教育の学問的な位置づけや体系化を目指している「日本語教育学」とは別な視点であることをまずご理解ください。田尻が注目するのは、日本語教育が現在の日本社会とどう関わっていくかという点です。日本語教育と日本語教育学とが連携しないでいる現状をよしとする今の日本語教育学会執行部の考える学問的な独立には田尻は同意することはできません。以下に述べるように、大変大事な日本語教育の法律が成立したことを簡単にしか扱わない日本語教育学会の姿勢に疑問を感じているからです。田尻は、日本語教育学が日本語教育をサポートするべきだと考えていますが、そうなっていないということです。

今回以降も日本語教育学会の情報発信についてはご紹介しますが、「未草」の原稿の重点は違うということを述べておきたいと思います。

2.法律可決の日程と意味付け

(1)法律可決の日程

「日本語教育の適正かつ確実な実施を図るための日本語教育機関の認定等に関する法律案」(以下「日本語教育機関等の認定の法律」と略称)は、下記の日程で成立しました。下記のURLに審議情報と法律文が出ています。

https://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/gian/211/meisai/m211080211022.htm

文部科学省の以下のURLでも、法文を見ることができます。

https://www.mext.go.jp/b_menu/houan/an/detail/mext_00042.html

審議日程は、以下のとおりです。

第211国会(常会)

2023年2月21日 内閣提出の法案の提出日

5月10日 衆議院文部科学委員会可決

12日 衆議院本会議可決

25日 参議院文教科学委員会可決

26日 参議院本会議可決

6月2日 公布

2024年4月1日  施行

国会で日本語教育が扱われること自体が画期的でしたが、それぞれの会議で審議された内容も今後は貴重な資料となるでしょう。土井佳彦さんのnoteでその会議の内容を文字起こししたものが出ていますので、ぜひ参考にしてください。

https://note.com/doiyoshihiko/

日本語教育学会の6月2日の「お知らせ」には、法律名・公布日・施行日とインターネット官報が出ているだけです。インターネット官報では官報に記載されていますということしかわかりません。日本語教育学会の会員には、法律の本文は知らされていません。日本語教育学会は、なぜここまで意固地になってこの法律を軽く扱うのか、田尻にはわかりません。この法律は、今までの日本語教育の体制を大きく変えるものです。このような重要な情報を会員が知らないのは、会員にとって不利益となります。今からでも遅くないので、日本語教育学会はこの法律に正面から向き合うべきと考えます。

なお、この法律には、衆議院と参議院で附帯決議が付いています。その二つは一部表現が異なっていますが、参議院のほうが時間的に後で整理されたものと考えられますので、以下では参議院の附帯決議の大事な点だけ列挙します。附帯決議の本文は、以下のURLで見ることができます。

https://www.sangiin.go.jp/japanese/gianjoho/ketsugi/211/f068_052501.pdf

なお、附帯決議とは、法律ではありませんが、政治的に意味を持つとされています。以下に示すように、法律に書かれていませんが日本語教育にとって大事なことに触れています。

  • 日本語教育機関や登録日本語教員が就労・生活・子育て分野でも広く活用されるような仕組みを作ること。また、認定日本語教育機関の認定では、法務省告示校・大学留学生別科を始めとする日本語教育機関が一定の要件のもとで適切に認定されること。
  • 国際人権条約や児童の権利条約の趣旨を踏まえ、就学前・幼稚園・保育所・認定こども園・小中高等学校・夜間中学に日本語教育の機会提供の施策を講ずること。また、アイデンティティの確立・自己肯定感の養成の観点から、母語や母文化学習の支援にも努めること。
  • 外国にルーツを持つ者・聴覚障害者などへの日本語学習拡充を図ること。
  • 登録日本語教員の重要性にふさわしい賃金水準の確保やボランティア・地域日本語教育コーディネーターの確保のために地方公共団体と連携すること。
  • 現職の日本語教師の登録日本語教員への移行措置については、移行に伴う負担に格段の配慮をした上で周知に万全を期すこと。
  • 外国人が社会の一員として活躍し、安心して暮らせるためには日本語教育の提供が不可欠であることから、登録日本語教育機関や登録日本語教員の制度を周知し、日本語教育機関や日本語教師の専門性・社会的意義役割についての認知を高めて、日本語教育についても国民の理解と関心を深めるよう啓発に努めること。
  • 外国人が基本的なコミュニケーション能力を得る上で、日本語習得が有用であるという認識を外国人受け入れに関係する全ての省庁が共有すること。地方出入国在留管理局を含めた法務省と文部科学省の体制を強化し、外務省・厚生労働省・総務省・経済産業省等の機関が連携し、政府全体として体制を整備すること。技能実習制度・特定技能制度の見直しにおいても、日本語教育の費用負担における事業者等の責務の在り方を検討する。

いかがでしょうか。国会議員が、法律には書かれていない日本語教育や日本語教師に関する大事な点を議論していることがわかると思います。

(2)「日本語教育機関等の認定の法律」の重要な点

今回の法律は、2019年に成立した「日本語教育の推進に関する法律」を踏まえたものであることを、まずご理解ください。ここでは、2019年の法律には触れません。

(a) 日本語教育機関の認定制度

これからは、日本語教育機関の認定は文部科学省で行います。従来の法務省告示校でも、今後認定日本語教育機関となるためには、文部科学省の認定を受ける必要があります。

文部科学大臣は、必要な場合は日本語教育機関に対して日本語教育の実施状況の報告を求めることができ、問題があれば勧告や是正命令を出すことができます。

この場合の認定基準に関する協議では、文部科学大臣と法務大臣やその他の関係行政機関の長との協議が行われます。

文部科学大臣は、認定日本語教育機関の情報を多言語でインターネットの利用などで公表します。これにより、日本語学習希望者が海外にいる場合でも、日本にある日本語教育機関を選ぶ際の情報を入手できることになります。

(b) 日本語教師の認定制度

新たに始まる日本語教員試験に合格し、文部科学大臣の登録を受けた登録実践研修機関が実施する実践研修を修了しれば、登録日本語教員として文部科学大臣の登録を受けることができます。これにより、日本語教員は登録日本語教員として国家資格となり、手数料を払い、登録証が交付されます。

認定日本語教育機関で教えるためには、登録日本語教員でなければなりません。

新たな日本語教員試験は基礎試験と応用試験があり、文部科学大臣が指定する指定試験機関が実施します。どのような機関が指定試験機関になるかは法律には書かれません。今後出される省令等で決まっていきます。

現職の日本語教員が登録日本語教員になるためは、5年間の猶予期間があり、その間にすでに取得した教員資格に伴い、試験の一部免除や実践研修修了だけで登録日本語教員になれるコースなどが作られています。

(3)日本語教育が今後目指す方向

今回の法律は「留学」分野に絞って作られていますが、今後は附帯決議にもあるような「就労」や「生活」の分野にも日本語教育が積極的に関わっていくということは、「日本語教育の質の維持向上の仕組みに関する有識者会議の報告でもすでに示されています。つまり、政府の方針として、日本語教育を進学目的の試験対策的なものだけではなく、日本に在留する外国人の日本語習得全般を日本語教育の対象とするようになったのです。これは、日本語教育の本来あるべき姿だと田尻は考えています。今後は、施策実行に伴い作られる省令等により、日本語教育の具体像が見えてきます。この方向性を具体化するものとして、次に述べる日本語教員小委員会の審議内容でそれが理解されます。

3.日本語教育小委員会での今後の取り組み

5月31日に文化庁文化審議会国語分科会が開かれ、引き続き国語分科会日本語教育小委員会が開かれました。日本語教育小委員会では、以下の三つの議題が話し合われました。

①    「日本語教育の参照枠」補遺版について

②    認定日本語教育機関の認定基準並びに登録実践研修機関及び登録日本語教員養成機関の登録手続き等について

③    オンライン日本語教育の在り方について

そして①と②については、協力者を加えたワーキンググループのメンバーも決定されました。

「日本語教育機関の認定基準等の検討に関するワーキンググループ」では、認定日本語教育機関の認定基準と、「留学」・「就労」・「生活」のコアカリキュラムを検討することになりました。

「登録実践研修機関及び登録日本語教員養成機関の登録手続き等の検討に関するワーキンググループ」では、登録実践研修機関及び登録日本語教員養成機関の登録手続き等に関する省令等(わかりにくい表現ですので、以下にくだいて説明しています)や、登録日本語教員養成のコアカリキュラムを検討することが決まりました。「日本語教育小委員会(第23期)における審議内容について」では、この二つのワーキンググループは6月・7月・9月・11月に開かれることになっていますので、実質的な検討は8月までに概略が決まるという予定だと考えられます。つまり、日本語教育機関の認定基準や教育実習を行う登録実践研修機関と登録日本語教員養成機関の認定基準は、8月までに大枠が決まるということです。

新たな登録日本語教員の国家試験の実施については、ワーキンググループではなく日本語教育小委員会で検討します。9月19日の小委員会では試行試験の実施方針が検討され、2024年1月の小委員会では試行試験の結果が報告されることになっていることから、新たな試行試験は10月から12月の間に行なわれることがわかります。このことから、この二つのワーキンググループの重要性が見えてきます。

これらの制度の検討と並行して、「日本語教育の参照枠」の内容も検討されます。今後は、日本語能力の評価として、初級・中級・上級や日本語能力試験のN1~N5などではなく、言語能力記述文(Can do)に基づく能力評価を行う方向で制度設計が行われます。当然、日本語の教え方も変わらざるを得ません。「日本語教育の参照枠」のB2は、日本語能力試験の○○というような読み替えですませられるものではないと田尻は考えています。

4. 政府の外国人労働者の受け入れ方針

「技能実習制度及び特定技能制度の在り方に関する有識者会議」の「中間報告書(案)」については、第40回の「未草」の原稿で扱いました。その後、5月11日に「中間報告書」として公表されました。

https://www.moj.go.jp/isa/content/001395635.pdf

自由民主党と立憲民主党でのこの報告書についての検討状況については、この二つの政党のHPには出て来ません。公明党は6月9日のHPの「主張」に「外国人材の「受入れ対策本部」の考えが出ています。

https://www.komei.or.jp/komeinews/p298426/

それに対して、政府は6月9日に「特定技能の在留資格に係る制度の運用に関する基本方針」を閣議決定しました。この内容は、労働力での人材確保が困難であることから、特定技能2号の2分野をビルクリーニング、素形材・産業機械・電気電子情報関連製造業、自動車整備、航空、宿泊、農業、漁業、飲食料品製造業、外食業の9分野と造船・舶用工業分野のうち溶接区分以外の分野を新たに対象とするものです。

https://www.moj.go.jp/isa/policies/ssw/nyuukokukanri01_00132.html

つまり、政府は今後も外国人労働者受け入れを拡大する方針だということですが、その分野での日本語教育への支援対策は示されていません。特に、特定技能2号は家族滞在が可能となりますから、家族への日本語教育支援は必須の項目です。

5. 教育未来創造会議についての追加説明

4月27日の教育未来創造会議で出された「未来を創造する若者の留学促進イニシアティブ(第二次提言)」に気になる1項がありましたので、念のため田尻の考えを述べます。

「第二次提言」の25ページ「外国人留学生等の高度外国人材の定着率の向上」の「〈具体的取組〉」の「③関連する在留資格制度の改善」の中に「在留資格における非漢字圏出身者も含めた日本語教育機関の在学期間の取扱いの在り方の検討を進める」という1文があります。

要するに、非漢字圏の学習者に対しては、日本語教育機関では従来の在学期間では足りないので延長することを検討するということだと田尻は理解しました。日本語教育の専門家が入っていないこの会議で誰からこのような意見が出て来たのか疑問です。しかしそれよりも、田尻は従来の漢字圏学習者を前提とした日本語教育機関のカリキュラムの考え方そのものを前提に考えられている点に問題を感じます。現在の日本語教育機関の留学生は非漢字圏の学習者のほうが多くなっていることを考えれば、まずはカリキュラムそのものを見直すことが必要ではないでしょうか。日本語能力の考え方も変わっていくのです。日本語教育機関のカリキュラムが、従来のままで良いはずはありません。

この点について、特に日本語教育機関からの発言が田尻には聞こえてこないのが気になります。民間で開かれている日本語教育の研究会のテーマは、従来の考え方のままのような気がします。非漢字圏の留学生が増えたからといって、簡単に在学期間を延長する考えに田尻は反対します。

6. これからの日本語教育施策との関わり方

第40回の「未草」の原稿にも書きましたように、田尻には日本語教育学会が何を目指しているのかよくわかりません。2023年3月31日に出来て、4月20日の学会HPに公表された「日本語教育学の構造化」の7ページの「2-1日本語教育の特性」には「日本語教育を(中略)多様な社会的実践の総体と見る」という表現や、「2-2 学問領域としての特性」には「日本語教育の実践に関心を寄せる日本語教育学」という表現があります。このままの表現を借りれば、「日本語教育の実践が日本語教育である」と言っているように見えます。これでは、言っている意味が田尻にはよくわかりません。

他の学会では、どうなっているかを見てみます。例えば、日本語学会の目的は「日本語研究の進展と会員相互の連絡を図る」というわかりやすい表現となっています。もちろん、この場合の「日本語」とは旧植民地の日本語や外国人が使う日本語も含んでいますから、等質的な「日本語」を想定している訳ではありません。また、「日本語」という概念がどのようして出来て来たかとか、世界の言語の中で日本語はどのような位置づけをされているかなども研究対象にしています。

田尻は、日本語教育を日本国内で外国人が置かれている社会的な環境(法律、文化、経済的な状況等々)と切り離しては考えるべきではないと思っています。外国で行われている日本語教育では、その国の状況や日本との関係で日本語教育の意味付けが大きく変わってきます。

日本語教育学会は、公益法人としての公益目的である「学術及び科学技術の振興を目的とする事業」を行う団体です。したがって、日本語教育学会は、現在の日本語教育が置かれている状況には関わりなく、「日本語教育の構造化」を目指す団体だと田尻は理解しています。このような意味付けからすると、現在の日本における日本語教育の置かれている状況を考えることや、政府の日本語教育施策についての提案などについて考えることを日本語教育学会に期待することはできません。

田尻は、日本に住む外国人の人たちが法的にも人権を守られたうえで、日本で生活するために、日本語習得という点でお手伝いをしていきたいと考えています。そして、そのような考えを持っている人はたくさんいると思っています。そのような人たちに、以下に列挙するようなことを心がけていただきたいと願っています。

  • 現在進められている日本語教育について、正しい理解をすること。
  • 正しく理解した内容を周りの人と共有すること。
  • 日本語教育施策で足らないと思われる点があれば、積極的に発言すること。

7.その他の大事な施策

「外国人との共生社会の実現に向けたロードマップ」(令和5年度一部変更)について

6月9日の第16回「外国人材の受入れ・共生に関する関係閣僚会議」で、このロードマップが決定しました。新規の施策としては、「3.ライフステージ・ライフサイクルに応じた支援」の中の施策番号59の「留学生の国内企業等への就職促進に係る施策間の効果的な連携や必要な見直しの実施、更なる国内就職率の向上を達成するための取組の実施」です。

このロードマップの「別添資料 具体的な施策に係る工程」は、見ておく価値があります。

https://www.moj.go.jp/isa/content/001397443.pdf

文部科学省の資料である「(3)-ア 外国人が生活のために必要な日本語等を習得できる環境の整備」や「(3)-イ 日本語教育の質の向上等」を見てください。2026年までの日本語教育の施策が、すでに着々と進められていることがわかります。

8.中川正春議員への感謝

6月9日、立憲民主党の中川正春議員が次の衆議院選挙には立候補しないことを表明しました。中川議員は、現在の石川県知事の馳浩さんや公明党の故山下栄一さんたちと超党派の日本語教育推進議員連盟を立ち上げ運営してきていただきました。田尻も、個人的に大変お世話になりました。日本語教育の施策がここまで来ることができたのは、中川議員のお力添えが大きかったと考えています。これまでの事情を知っている者として、改めて感謝の意を示します。

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