「現代の国語」と「言語文化」の問題点|第4回 「論理」と「文学」の二項対立を乗り越えたい! 「言語文化」の問題点|清田朗裕

4. 学習指導要領における「言語文化」

4.1. 「言語文化」の目標―生涯にわたる社会生活―

 それでは、「言語文化」は、具体的には何を取り扱う科目なのでしょうか。本節では、文部科学省(2019)の記述に基づきながら整理していきましょう。

 まず、「言語文化」の目標を確認します。特徴が明確になるように、同じく共通必履修科目である「現代の国語」の目標と併記します。

1 「言語文化」と「現代の国語」の目標

 表 1の下線部からお分かりの通り、「言語文化」と「現代の国語」の目標の違いは、〔知識及び技能〕の部分です。「生涯にわたる社会生活」と「実社会」が対置されており、どこで生かされる〔知識及び技能〕なのかが分けられています[2]

 特に、文部科学省(2019:110)で、「論理国語」「国語表現」が「実社会」、「文学国語」「古典探究」が「生涯にわたる社会生活」と記されていることから、必履修科目・選択科目は表 2のように捉えられます。

表 2 「実社会」と「生涯にわたる社会生活」から捉えた科目整理

 それでは、「生涯にわたる社会生活」とは、どのようなものでしょうか。文部科学省(2019)は、次のように説明しています。

(1)生涯にわたる社会生活とは,高校生が日常関わる社会に限らず,現実の社会そのものである実社会を中心としながら,生涯にわたり他者や社会と関わっていく社会生活全般を指している。

(文部科学省2019:23)

 「生涯にわたる社会生活」は、実社会を含みつつ、それ以外の他者や社会と関わっていく社会生活全般を指していることが窺えます。つまり、実社会を包含する広い概念ということです。図示すると次のようになるでしょう。

図 1 実社会と生涯にわたる社会生活の関係

 ところで、実社会を念頭におく「現代の国語」(及び「論理国語」「国語表現」)では、テキストとしては、法律文や契約書といった実用的な文章も扱うことになるでしょう[3]。私は本連載を通して、資質・能力を重視すべきであることを述べてはいますが、「言語文化」の問題点を理解していくうえで必要だと思いますので、取り上げます。

 私たちは、様々な法律や契約の中で生きています。私のこの原稿もひつじ書房さんとの契約の上で執筆させていただいています。つまり、実用的な文章は、私たちが生活の糧を得ていく上で欠かせないものだといえます。しかし私たちは、常に様々な契約を、表立って意識して生活をしているわけではないでしょう。私たちが法律文や契約書といった実用的な文章を意識して読み解く機会は、むしろ、人生の何らかの「節目」において訪れるものではないでしょうか。そしてそれを包み込みながら、私たちは生涯にわたる社会生活を営んでいるのではないでしょうか。つまり、「実社会」において扱われる文章は、竹でいうところの節(目)であり、「生涯にわたる社会生活」で扱われる文章は、それを含んだ竹全体に見立てられる、ということです。

 このように考えますと、「言語文化」で扱う内容の範囲は、節(目)と節間を含む1本の竹全体にあたるということになるでしょう。この竹の節目と節間の長さを見比べますと、節間の方がより長く、その節間から竹全体の伸び伸びとした姿を見て取ることができます。竹全体としても、節間の方が長いのです。一人の人生をこの竹に見立ててみると、「実社会」は人生の節目、「生涯にわたる社会生活」はそれを含む人生そのものといえるでしょう。

図 2 人生を竹に見立てたイメージ

 すなわち、「言語文化」は、私たちの人生全般に関わる内容を扱う科目である、ということです。そして「生涯にわたる社会生活」が重要であることは、実は、高等学校国語の目標の中で、すでに述べられています。

(2)言葉による見方・考え方を働かせ,言語活動を通して,国語で的確に理解し効果的に表現する資質・能力を次のとおり育成することを目指す。
(1)生涯にわたる社会生活に必要な国語について,その特質を理解し適切に使うことができるようにする。
(2)生涯にわたる社会生活における他者との関わりの中で伝え合う力を高め,思考力や想像力を伸ばす。
(3)言葉のもつ価値への認識を深めるとともに,言語感覚を磨き,我が国の言語文化の担い手としての自覚をもち,生涯にわたり国語を尊重してその能力の向上を図る態度を養う。

(文部科学省2019:21、下線部は筆者による。)

 このように、高等学校における国語科の目標には、「生涯にわた(る社会生活)」という語句が何度も用いられています。一方、実社会という語は、ここでは一度も用いられていません。ここからも、究極的には、高等学校国語の目標としては、「生涯にわたる」社会生活をいかに豊かに生きられるように手助けできるかが重要なのです。

 ところで、「言語文化」では、「我が国の言語文化に対する理解を深めることができるようにする」ことが求められています。注意しておきたいのは、「生涯にわたる社会生活に必要な国語の知識及び技能を身に付ける」ことと、「我が国の言語文化に対する理解を深めることができるようにする」こととが、「~とともに」という形式で繋がっていることです。「~を身に付けることを通して」という手段や、「~を身に付け」という順序を表す関係ではないことを表していると考えられます。三例を比べてみると、違いが明確になると思います。

(1)生涯にわたる社会生活に必要な国語の知識や技能を身に付けるとともに,我が国の言語文化に対する理解を深めることができるようにする。
(2)生涯にわたる社会生活に必要な国語の知識や技能を身に付けることを通して,我が国の言語文化に対する理解を深めることができるようにする。
(3)生涯にわたる社会生活に必要な国語の知識や技能を身に付け,我が国の言語文化に対する理解を深めることができるようにする。

 つまり、「生涯にわたる社会生活に必要な国語の知識や技能を身に付ける」ことと「我が国の言語文化に対する理解を深めること」はともに求められているものではありますが、主従関係ではなく、並列関係にあるものとして考えられているのです。ここから、「言語文化」は、大きく2つの目標を達成することが求められる科目であることが分かります。

「言語文化」における〔知識及び技能〕の目標
(4)生涯にわたる社会生活に必要な国語の知識や技能を身に付ける
(5)我が国の言語文化に対する理解を深めることができるようにする

 以上のように、「言語文化」の目標は、「実社会」に求められる資質・能力を育むためではなく、それを包含した「生涯にわたる社会生活」を営むための資質・能力を育むために設定された科目です。そして、「我が国の言語文化に対する理解を深める」ための科目です。その意味で、「言語文化」の目標は、私たちの人生に関わる非常に大きな目標を掲げていることが分かるでしょう。詳しくは次節で扱いますが、「言語文化」に与えられた単位時間が十分なものか、疑問があることを付け加えておきます。

4.2.  「言語文化」の単位時間

 前節では、「言語文化」が高等学校における国語において、極めて重要な科目であることを確認しました。

 そこで本節では、「言語文化」で扱われる文章分野をもう少し深掘りしてみましょう。「文化」という表現から、ついつい古典のみを扱う科目だと考えてしまいがちですが、実はそうではありません。そのことを、第3回でも取り上げた授業時数からみていきましょう。

表 3 新学習指導要領における各科目の〔思考力、判断力、表現力等〕の構成及び各領域の授業時数(文部科学省2019、全国大学国語教育学会[編]2019:26を基に作成)

 「言語文化」の部分をみると、まず、〔書くこと〕、〔読むこと〕を扱う科目として設定されていることに気づきます。〔話すこと・聞くこと〕の資質・能力の育成は、表立っては考えられていない、ということです。

 次に、最も多くの時間が設定されている〔読むこと〕に注目しますと、「言語文化」のみ、【古典】と【近代以降の文章】を扱う時間が設定されていることに気づくでしょう。【古典】と【近代以降の文章】とは、古典語と近現代語という、異なるジャンルの文章ですので、分けるのは当然のように思われるかもしれません。しかし、「現代の国語」では、「論理的な文章」と「実用的な文章」という大きく二種類に分けられた文章ジャンルが示されているにもかかわらず、それぞれの授業時数が設定されていないことを考えると、違和感を覚えます。また、「言語文化」は2単位の科目ですので、合計70単位時間がありますが、そのうち、〔書くこと〕に5~10単位時間かけることになっています。そのため、残りの60~65単位時間に〔読むこと〕が当てられるわけですが、そのうち、【近代以降の文章】は20単位時間です。【古典】が60~65単位時間設定されていることと比べると、約3分の1であることが分かります(古文・漢文を同程度取り上げるにしてもそれぞれ約30単位時間あるので、【近代以降の文章】は、その約3分の2)。つまり、「言語文化」では、【古典】と【近代以降の文章】が半々の時間学習するのではなく、【古典】の方により多くの時間をかけることが明示されているのです。

 さらに、皆さんは、【近代以降の文章】と聞くと、近現代の詩歌や小説を扱うものだとイメージされていることと思いますが、実はそれに限りません。以下の記述をご覧ください。

(6)「B読むこと」の近代以降の文章に関する指導については,20 単位時間程度を配当するものとし,計画的に指導すること。その際,我が国の伝統と文化に関する近代以降の論理的な文章や古典に関連する近代以降の文学的な文章を活用するなどして,我が国の言語文化への理解を深めるよう指導を工夫すること。

(7)「B読むこと」の近代以降の文章に関する指導には,20 単位時間程度を配当するものとしている。この配当時間は「B読むこと」の近代以降の文章に関する内容を指導するために要する時間を基礎として定めたものであり,「A書くこと」及び「B読むこと」の古典に関する指導とは区別して計画することが必要である。
 その際,我が国の伝統と文化に関する近代以降の論理的な文章や古典に関連する近代以降の文学的な文章を活用するなどして,我が国の言語文化への理解を深めるよう指導を工夫するとは,近代以降の文章に関する指導の際には,我が国の伝統と文化に関する近代以降の論理的な文章や古典に関連する近代以降の文学的な文章を活用するなどして,我が国の言語文化への理解を深めるよう指導を工夫することを指している。これは,答申で指摘された「古典の学習について,日本人として大切にしてきた言語文化を積極的に享受して社会や自分との関わりの中でそれらを生かしていくという観点が弱く,学習意欲が高まらない」という課題の解決を図るための工夫であり,古典のみならず,近現代まで受け継がれている我が国の言語文化を享受・発展・創造させ,言語文化の担い手としての自覚をもつことを目指すものである。

(文部科学省2019:136、下線部は筆者による。)

(6)は、「言語文化」の「内容の取扱い」を述べたもので、(7)はその解説です。ここでは、「我が国の伝統と文化に関する近代以降の論理的な文章」を活用することが示されています。特に(7)の解説部分において、「近代以降の文章に関する指導の際には,我が国の伝統と文化に関する近代以降の論理的な文章や古典に関連する近代以降の文学的な文章を活用するなどして,我が国の言語文化への理解を深めるよう指導を工夫することを指している」とあるように、【近代以降の文章】を扱う時間では、「現代の国語」でも扱う「(我が国の伝統と文化に関する近代以降の)論理的な文章」を活用することが述べられているのです。「現代の国語」には、文学的な文章を取り上げることは認めていないにもかかわらず、「言語文化」には、論理的な文章を取り上げてよい、ということになります。その意味で、近代以降の文章で、詩歌・小説の文章を直接取り扱う時間は、20時間を下回ることになります。

 では、相対的に授業時数が多い【古典】は、どうでしょうか。実は、【古典】についても、次のような記述があります。

(8)古典における古文と漢文との授業時数の割合に関しても,一方に偏らないようにすることとしている。例えば,古文のみに多くの時間をかけたり,その取扱い方に深浅が生じたりすることがないよう配慮し,全体として両者をバランスよく指導する必要がある。
 その際,古典について解説した近代以降の文章などを活用するなどして,我が国の言語文化への理解を深めるよう指導を工夫するとは,古典としての古文と漢文に関する指導の際に,古典について解説した近代以降の文章や,古典について書かれた随筆,古典の現代語訳などを活用するなどして,古典への抵抗感を軽減し,我が国の言語文化への理解を深めるよう指導を工夫することを指している。

(文部科学省2019:135-136、下線部は筆者による。)

 以上のように、【古典】も、直接古典作品を取り上げるだけでなく、(古典について解説した)近代以降の文章を取り上げることが明示されています。「古典への抵抗感」を減らすための方略の一つと考えられますが、一方で、古典作品自体を読む時間は相対的に減少してしまっています。

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