2021年10月から始まった連載もいよいよ最終回になりました。最終回では、身の回りにあるさまざまな句読点に焦点を当てたいと思います。句読点によって表される日本語表記の多様性を見ていきたいと思います。
広告・看板の句読点
広告に句読点があるのはお気づきでしょうか。新聞の広告や、電車の中にある中吊り広告などにある、キャッチフレーズを見てみてください。ほとんどといっていいほど、句読点がついています。「いや、当たり前では?」と思う人もいるかもしれません。実は、句読点がつくようになったのは最近なのです。
新聞広告のキャッチフレーズの句読点について調べた土屋(1974)によると、1971年前後から句点「。」のある広告が急増しており、この論文が書かれた1974年前後においてはすでに伸び悩みが見られる、と分析結果をまとめています。その後の追調査(土屋:1988)では、句点だけでなく、句読点どちらも併用されるようになったこと、また、広範囲の業種の広告で句読点使用が広まって定着していることを報告しています。
さらに、新聞の折込広告のなかでも新築分譲マンションの広告のキャッチコピーの句読点(最近では、「マンションポエム」と言われることも)を分析した宮嵜(2012)によると、土屋(1974,1988)の研究にもあるように、キャッチコピーに句点がつくことに定着性が見られたこと、それにたいして、読点については地域差が見られたことを指摘しています。
また、街中で見られる看板にも句点がついたりつかなかったり、かなり差が見られます。
図1は、私が見かけて撮った看板の写真です。左の写真は、私の所属先の駐車場と横断歩道のあいだにある注意書きです。「ご注意下さい」には句点がありますが、「車が来ます」には句点がありません。この看板については、小助川(2020)でも同様に指摘されているのですが、「車が来ます」には句点がないのにもかかわらず、「ご注意下さい」には詰めてまで句点を入れているというのは不思議な看板です。
図1の右側の写真は、駅で見かけたピクトグラムが描かれている衝突注意の看板です。この看板には、英語の対訳が書かれています。右下の部分に着目してください。ここに書かれている「出会い頭の衝突にご注意ください」には、句点がありませんが、英語の“Please avoid bumping into other people.”には、ピリオドがつけられています。この看板が珍しいのではなく、英語訳にはきちんとピリオドがつけられているものの、日本語には句点がない、という例はたくさん見られます(逆に、日本語も英語も句点(ピリオド)がない看板もあります)。
漫画雑誌の句読点
漫画はその雑誌または作品によって、ふきだしに句点がついていたり、ついていなかったりします。
今回は、数ある漫画雑誌のうち、『週刊少年ジャンプ』『週刊少年マガジン』『週刊少年サンデー』の句読点の数を数えてみました(表1)。
表1を見ると、句読点の数にかなり偏りがあるのが確認できると思います。『週刊少年ジャンプ』2023 No.2に掲載されていた21作品のふきだしの中に句読点があるかを確認してみたところ、読点が使用されていた例は1例も見られませんでした。その一方で、句点が使用されていた例は1作品4例ありました。句点の使用が見られたのは、『暗号学園のいろは』という作品の第4話でした。念のためにこの作品の第3話と第5話も調べてみたところ、第3話には句点のみが2例が使用されていましたが、第5話には句読点ともに使用されていないなど、話によって差が見られました。全てのふきだしについていないこと、話によって句点の使用にばらつきがあることから見れば、句読点の使用は極めて珍しい、もしくはほとんどないと言えるでしょう。
また、『週刊少年マガジン』2023 No.2・3合併号においては、句点と読点どちらも使われた作品が1作品(『化物語』)見られました。この『化物語』は、『週刊少年ジャンプ』で句点の使用が確認された『暗号学園のいろは』と同じ西尾維新氏による原作という点で共通しており、このことが句読点の使用と関係しているのかもしれません(その後も両作品を読んでいるのですが、話によって句読点があったりなかったりで安定していないことを確認しています)。
その一方で、基本的に句読点が吹き出しの中に使われていたのが『週刊少年サンデー』です。例外的に句点が使用されていなかった作品は「名探偵コナン」、読点が使用されていなかった作品は「よふかしのうた」でした。これらの二つの作品では、句読点が使用されない代わりに、三点リーダーの使用が多く見られたように思います(主観的な印象ですが)。
これらの雑誌はほんの一例ですが、このように雑誌によって、作品によって、句読点の付け方に傾向を見出すことができます。
短歌の句読点
短歌や詩などでも読点が使用されることがあります。ここでは、三首の短歌を取りあげてみました。それぞれ読んでみてどのように感じたでしょうか。
「自然がずんずん体の中を通過するー山、山、山」
(前田夕暮(1932)『水源地帯』白日社)
「一斉に都庁のガラス砕け散れ、つまりその、あれだ、天使の羽根が舞ふイメージで」
(黒瀬珂瀾(2009)『空庭』本阿弥書店)
「サバンナの象のうんこよ聞いてくれだるいせつないこわいさみしい」
(穂村弘(1990)『シンジケート』沖積舎)
読点の有無という詠み手の工夫によって、それぞれ違った効果がうかがえます。「山」に読点が打たれることで一面に山があることがわかりますし、「つまりその、あれだ、」というように読点が打たれることで、詰まった感じが与えられます。また、「だるいせつないこわいさみしい」のように読点が全くないことにより、切迫したような感じが伝わってくるのではないでしょうか。このような短歌や詩などの文芸における句点は、息つぎ、テンポ、リズムの読点であることが多いと言えます。
チャットの句点
LINEなどのチャットでは、句点を使わないという特徴が見られます。これは、加納ら(2017)のLINEなどのチャットにおける「打ち言葉」における句点の研究によるものです。加納ら(2017)は、日本人大学生10名を対象に、LINEのメッセージのトーク履歴を分析しています。その結果、LINEのトークにおける句点の出現率は5%程度に過ぎなかったことを報告しています。また、傾向としては、「句点の出現の多寡には個別の要因があること、 さらに、個人の句点使用には一定の傾向があること」(p.37)をまとめています。たしかに、私自身もLINEでは句点はほとんど使わず、使うとしても、以下の図2の左のように、句点を複数重ねて三点リーダーのように使用することが多いです。ですが、私の大学院時代の先輩は常に句点をつける主義で、図2の右のように、句点をつけ忘れたら句点だけ追加で送信するなど、かなりのこだわりを感じます。
Twitterの句点
では、読者のみなさんは、Twitterの句読点はどうなっていると思いますか。私も気になっていたので、私がフォローしているTwitterアカウント50人分の50ツイートを見て、ツイート末の文字種がどのようなものかを分類してみました。その結果が以下の表2です。なお、同一アカウントがあった場合は、新しい方のみをカウント、ツイート末のハッシュタグはカウントしない、botや企業などの公式アカウント、プロモーション(広告)は除く、という条件の下で数えました。
なお、この表2を少し説明すると、句点は、19例がマルでしたが、1例だけピリオドの例がありました(ちなみに理系の研究者の方でした)。また、括弧類は閉じパーレン「 ) 」1例と閉じかぎ「 」」が2例ありました。
50ツイートという少ない調査なので、はっきりと断定はできませんが、LINEなどのチャットの句点と比べると、句点の使用は多いのではないでしょうか。私もこの原稿を書くまでは、LINEなどのチャットと同様で、句点の使用は少ないのかなと思っていたので、少し意外でした。
聖書の句読点
石黒(2018)では、日本聖書協会が刊行している聖書の口語訳と新共同訳における読点の比較をしています。その結果をまとめると、次の五つの特徴があるようです。
①読点の頻度は書によって異なるが、1.3から1.5ぐらいであれば標準的であると考えられ、『口語訳』はかなり読点が多く、『新共同訳』が標準的である。 ②読点と品詞の関係では、『口語訳』で助詞・動詞・助動詞・形容詞に読点が多い。助詞に読点が多い理由は、比較的短い間隔で読点が打たれることが多いためであり、動詞・助動詞・形容詞で読点が多い理由は句点でもよいところにあえて読点を用いているためである。 ③読点と文字種の関係では、『口語訳』で「ひらがな」「ひらがな」、および「ひらがな」「記号」の間に読点が打たれやすい。前者は実質語を積極的に漢字にすることで、後者はカギ括弧の直前の読点を省くことで読点を減らすことが可能になる。 ④読点の係り受けの関係では、修飾要素と被修飾要素が遠くなるほど読点が打たれやすく、とくに『新共同訳』において文頭の「~は」には読点を打ち、読みやすくする傾向がある。 ⑤読点と接続助詞の関係では、『口語訳』『新共同訳』とも独立度の高い述語につく接続助詞(「が」「し」など)に高確率で読点が打たれる傾向がある。なお、『口語訳』『新共同訳』いずれでも「ので」で9割以上、「ば」で7割以上読点が打たれており、既定・仮定の条件表現で読点が高確率で打たれるという聖書の文体的特徴をなしている。 |
石黒(2018)では、『口語訳』は読点が多すぎるために読みにくく感じる読者が多く、それを改善するために『新共同訳』では読点量を調整していると考えられると述べています。また、『口語訳』に読点が多い理由としては、②の読点と品詞との関係から分析をまとめています。とくに動詞・助動詞・形容詞の直後に読点が多いことを挙げており、これは、本来句点が打たれる位置、または、読点か句点かで迷う位置において、読点が打たれているために『口語訳』に読点が多くなっていると考察しています。さらに、『口語訳』では、分かち書きを示すための読点が多いこと、『新共同訳』において文頭の「~は」には読点を打ち、読みやすくする傾向があること、『口語訳』と『新共同訳』のいずれにおいても、接続助詞の「ので」と「ならば」で9割以上の確率で直後に読点が打たれていることを挙げています。特に、接続助詞の「ので」と「ならば」の直後の読点率の高さは、一般の文章では見られない珍しい現象です。このことについて、石黒(2018:65)では「「~するならば、…」「~するので、…」という条件関係は聖書において神の摂理を表すカギとなる表現と考えられ」るために読点と共に使用されているのではないか、と考察しています。
句読点をつけない賞状・招待状
一方で、全く句読点をつけない文章というものも存在します。それは、賞状や招待状、卒業証書などです。実際に私の修了証書をみてみたところ、句読点が使われていませんでした。また、インターネットで結婚式の招待状のサンプルを調べてみたところ、こちらも句読点が使われていませんでした。
賞状に句読点がついていない理由としては、「表彰する相手を敬って手渡すものであるため、読みやすいように句読点を付けるという気遣いは、失礼にあたる(句読点を付けないと読めない)という理由からです」(https://digipress.jp/certificate-howto.html)というような理由がインターネット上には多く見られます。また、結婚式の招待状の例を見てみると、句読点の代わりに改行や空白を挿入することで、節や文のくぎりを示していることがわかります。インターネットでは、「お祝いごとには終止符を打たない」(https://marry-xoxo.com/articles/10141)、「そのため『結び』とは逆の意味である『縁切り』を連想させる言葉は避けることがマナーといわれています。句読点を使わない理由も同じく”縁起が悪い”ためです。」(https://ancie.jp/blog/paper-item/invitation/punctuation-mark/,太字は筆者による)というように、句読点(特に句点)が「終わり」を印象づける、というような意識によって慣習化、マナー化しているようです。
まとめ
いかがでしたでしょうか。身の回のいたるところに句読点があふれていて、さまざまな使われ方がされているのかが垣間見られたのではないでしょうか。
今回で「句読法、テンマルルール わかりやすさのきほん」の連載は終了となります。この連載では、句読点の規則、句読点成立までの歴史、句読点の使い方の問題点、句読点の研究史、国語教育・日本語教育における句読点の教え方の現状、公用文における句読点の使い方、そして、今回の身の回りにある句読点の使われ方、とさまざまな視点から句読点についての考えをまとめてみました。この連載をつうじて、みなさんが少しでも句読点に興味を持っていただけたら幸いです。
末筆になりますが、本連載では、ひつじ書房の森脇尊志氏にお世話になりました。連載が進むにつれて筆が遅くなり、とてもお待たせしてしまいました。それにもかかわらず、毎回丁寧な対応をしていただき、誠にありがとうございました。また、拙い連載でしたが、最終回まで書き終えることができたのは、読者のみなさまのおかげです。Twitterで取りあげていただいたり、個別にコメントをいただいたり、大変励みになりました。ありがとうございました。
参考文献
- 石黒圭(2018)「聖書の読点の実態 ―口語訳聖書と新共同訳聖書の比較から― 」『New聖書翻訳』4、pp.51-67、日本聖書協会
- 加納なおみ・佐々木泰子・楊虹・船戸はるな(2017)「「打ち言葉」における句点の役割 : 日本人大学生のLINEメッセージを巡る一考察」『お茶の水女子大学人文科学研究』13、pp.27-40、お茶の水女子大学
- 小助川貞次(2020)「日常の文字言語表現の諸相」『富山大学人文学部紀要』72号、pp.37-50富山大学人文学部(http://doi.org/10.15099/00020156:2022年12月14日確認)
- 土屋信一(1974)「新聞広告の句読点―キャッチフレーズを中心に調べる―」『言語生活』277、pp.61-67、筑摩書房
- 土屋信一(1988)「特集・広告のことば――広告の、句点と読点」『日本語学』、07-04、pp.20-26、明治書院
- 宮嵜由美(2012)「新聞折込広告のキャッチコピーにおける句読点使用について―都内2地点の新築分譲マンション広告の比較から―」『専修人文論集』90、pp.273-288、専修大学学会