★この記事は、2021年10月29日までの情報を基に書いています。
当初、今回は日本語教育に関する予算について書こうと思っていましたが、衆議院選挙の結果次第で大きく状況が変わる可能性がありますので、2021年10月12日に開かれた第78回文化庁文化審議会国語分科会の資料を扱うことにしました。
1.「日本語教育の推進のための仕組みについて(報告)」の意見募集は今後どう活かされるのか
第25回の原稿で扱った日本語教師の資格に関する調査研究協力者会議のまとめである「日本語教育の推進のための仕組みについて(報告)」の「国民からの意見募集の結果」がこの会議で出ています。
それによりますと、855件というたくさんの意見が寄せ入られたことがわかりました。ご協力ありがとうございます。
意見の内訳では、「日本語教師の資格について」が圧倒的に多く寄せられました。多くの方が、このテーマに関心を持っていることが分かりました。「日本語教育機関の水準の維持向上を図るための仕組みについて」では、「日本語教育機関の類型と申請主体」の項に多くの意見が寄せられました。
この意見募集は報告書に対するものなので、この意見によって報告書の内容が変更されるということはありません。しかし、この意見募集の結果は、今後この報告書に基づいて新しい会議などが構成され、それを受けて施策などを作るときに重要視される資料となります。意見募集を提出したことが無駄になったとは決して考えないでください。
日本語教育学会の対応は相変わらずで、意見募集のお知らせをしておきながら、その結果が出ていることには触れていません。文化庁の同会議の資料には、主な意見募集の結果の概要も出ています。意見を提出した方は、自分の意見がどのようにまとめられているかを見てください。
2.「日本語教育の参照枠」を前提に新しい施策は作られる
文化庁のこの会議では、たいへん重要な資料が掲載されています。それが、「日本語教育の参照枠(報告)」(以下「参照枠」)です。
この「参照枠」は147ページの大部なものなので、ここでは全部を詳しく紹介できません。田尻が重要だと思う点を中心に紹介しますので、みなさんは必ず元の資料にあたってください。
田尻は、この「参照枠」は現時点では今後の日本語教育の進むべき大きな方向性を示したものと考えています。ただまだ検討すべき問題点も残っています。この箇所の「ただ」を削除この会議に出された「参考資料2」では、12月6日の日本語教育小委員会で「『日本語教育の参照枠』の活用について」が扱われるようになっていて、「参照枠」の内容の検討が進められていくことがわかります。
今後の日程としては、参照枠ワーキンググループは来年1月28日に第5回の会議を開き、生活Can do 作成ワーキンググループは来年2月9日に第3回の会議を開き、来年2月18日の日本語教育小委員会にその結果を提出することになっています。つまり、大きな流れとしては、来年2月18日には「参照枠」と「生活Can do 」の具体的な活用方法が示されるということです。そのために、文化庁の2022年度の概算要求には、「参照枠」を活用した教育モデル開発等が計上されています。念のために言えば、に「日本語教師に資格等に係る施策の充実」も計上されています。文化庁では、新しい施策が次々と作成されています。それに対して、日本語教育学会は、大会などで新しい事態に対する意見表明などをしなくていいのでしょうか。このままでは、日本語教育学会は、今進められて行っている新しい施策作成の過程に全く関われないままになります。
3.「参照枠」の概要
「参照枠」は、CEFR(ヨーロッパ言語共通参照枠)を参考にして作られています。ここでは、なぜCEFRなのかという問題は取り扱いません。すでに日本語教育の多くの分野で、CEFRは使われているからです。ただし、私は西山教行さんの「CEFRの増補計画について」(『言語政策』14号、2018)で述べられているように、CEFR増補版で移民の入国管理政策で言語能力の指標として使われていることへの危惧を私も感じています。日本の「参照枠」が、そのように使われないように注意をしていきます。
今後、「参照枠」の手引きや「生活Can do」を作成するようですが、分野別のCan doとしては、他に「留学Can do」や「就労Can do」等々を文化庁は考えています。
全体的な尺度としては、A1〜C2までの6レベルを示しています。従来は、JFスタンダードのように全てのレベルでのCan doを示したものではありませんでしたが、「参照枠」では6レベルのCan doを示している点が特徴的です。言語活動としては、聞くこと・読むこと・話すこと(やりとり)・話すこと(発表)・書くことの五つを示しています。
4.「参照枠」の考え方
「参照枠」では、言語教育観として、日本語学習者を社会的存在として捉えること・言語を使って「できる」ことに注目すること・多様な日本語使用を尊重することの三つを挙げています。また評価の理念として、生涯にわたる自律的な学習の促進・学習の目的に応じた多様な評価方法の提示と活用促進・評価基準と評価方法の透明性の確保の三つを挙げています。これらは、日本国内の多様な外国人が生活していることを考えれば、当然の流れと言えます。問題は、日本語教育関係者がこのような流れを理解しているかということです。日本語教師が、相変わらず決められたテキストで日本語を教えていることが当たり前と考えているようでは、この流れに付いていけません。日本語教育関係者の意識変革がぜひとも必要です。
5.「参照枠」と従来の日本語能力の判定試験との関係
ここでは、日本語教育関係者が最も注目していると思われる、従来の日本語能力の試験との対応関係についてのみ取り上げます。
「参照枠」では従来の日本語能力の判定試験等との対応付けのために、以下のようなステップを想定しています。
(1) CEFRへの理解を深める。
(2) 対象となる試験について内容分析し、CEFRレベルでの対応を行う。
(3) 試験課題と実際の試験に基づいて、専門家等の間でCEFRレベルの共通認識を得る。
(4) 専門家等の数回の審議を経て、CEFRの段階別表示をする。
(5) 上記の手続きの妥当性を検証する。
試験そのものについては、有用性・妥当性・真正性・信頼性・実行可能性・波及効果などが必要とされています。
従来実際に実施されている日本語能力を測る試験について、「参照枠」との対応のためには上記の点についての検証が必要となってくると田尻は考えています。つまり、とりあえずは「参照枠」のこのレベルに相当するであろうといった安直なレベル対応はすべきではないと文化庁はしていると、田尻は考えています。
6.今後の日本語能力判定試験のあり方
今後実際に使われる能力試験はどうあるべきか、という点にもこの「参照枠」は示しています。
(1) 試験とその評価方法の開発促進
(2) 試験やその試験の実施機関に求められる要素
(3) 「参照枠」との対応を示した能力判定試験の有効な活用
今後、日本語能力を判定するような試験では、「3」や「4」に挙げた点を考慮したうえで実施すべきと文化庁案ではなっていると田尻は考えています。従来は数種類の日本語能力試験が、それぞれ独自に日本語能力試験などの能力に対応したレベルを示して実施されていますが、今後は「参照枠」を前提にしたレベル対応を示すべきだと文化庁が提案していると田尻は理解しました。
7.まずは文化庁日本語教育大会シンポジウムに参加しましょう
11月21日に開かれる文化庁日本語教育大会オンラインシンポジウムのテーマは、「『日本語教育の参照枠』から考える これからの日本語教育の展望」です。
このシンポジウムは、「参照枠」で示されたCan doベースのカリキュラム編成を、生活・留学・就労の分野ではどのように使われるかの事例が発表されます。申し込みの締め切りは、11月14日です。
文化庁ホームページの「報道発表」の項に、申し込み方法が出ています。文化庁が勝手に進めている日本語教育の施策なので、内容がわからなければ無視すればいいということではありません。むしろ積極的に参加して、問題があれば批判してより良いものを作っていくことが、今求められています。田尻は、このような機会は日本語教育関係者が直接関わって発言できる数少ない機会だと考えています。日本語教育関係者は、もっと日本語教育施策について意見表明をしましょう。下に述べている著書の編者である眞嶋さんも、司会で参加しています。
8.『技能実習生と日本語教育』の紹介
多くの問題点を抱えている技能実習生の制度を何とか変えられないか、特に日本語教育の面から改良点を提案できないか、と考えている人は多いと思われます。このような社会的なテーマについては、日本語教育関係者はあまり発言してきませんでした。田尻としては、やっと現場の日本語教育に関わっている方が発言したと喜んでいます。
眞嶋潤子編著の『技能実習生と日本語教育』(大阪大学出版会、2021)が、それです。この本はハードカバー421ページの大部なものです。この本は、技能実習生制度の経緯(残念ながらウエブマガジン「未草」の原稿は引用されていません。笑。「参照枠」についての言及は74ページにあります)、送り出し国・受け入れ機関などの問題点が詳しく書かれています。最後に、技能実習生の日本語口頭能力アセスメントについても書かれています。EPA介護福祉士候補者についての1章がありますが、これは技能実習生とは直接関係がありません。
田尻は、この本に原稿を書いた方の多くが、技能実習生の制度はこのままではいけない、と考えていることは感じられました。ただ、それならば、日本語教師からのもう一歩踏み込んだ発言があってもいいのではないと勝手に思いました。しかし、今の時点でこのような本を出版するご努力には敬意を表します。それぞれの執筆者の、今後も継続してのご活躍を期待しています。
本書には、出版の関係で最近の外国人労働者に関係のある論文等が触れられていません。この「未草」の原稿で以前に挙げた平野裕子・米野みちよ編の『外国人看護師』(東京大学出版会、2021)、吹原豊『移住労働者の日本語習得は進むのか』(ひつじ書房、2021)や布尾勝一郎「日本における日本語教育政策とその課題」(『対抗する言語』所収、三元社、2021)も、ぜひ読んでください。
※以上に述べた他に、文化庁日本語教育小委員会では、「参照枠」の活用や「生活者としての外国人」のための「標準的なカリキュラム案」を検討するワーキンググループがありますが、ここではそれらに触れる余裕はありません。
田尻は、この「参照枠」は漢字の問題等まだ検討が残っている点があると考えています。ただ、「参照枠」が発表されてから日本語教育関係者からの反応が少ないことは好ましくないと考えて、意識的に批判は避けて、今回は「参照枠」の紹介に徹しました。
この原稿で書いていることは、田尻がそのように理解しているということで、文化庁の意見ではありません。その点で、該当箇所の原稿の表現がくどくなっていることは、お許しください。