熊切拓
(東京大学 大学院人文社会系研究科 研究員)
すべてがすべてそうだというわけではないでしょうが、研究者が研究をするのは、その対象が面白くてたまらないからだと思います。とはいえ、そうした気持ちは、たいていの場合、論文に記されることはありませんし、あったとしても、謝辞か注のなかぐらいでしょう。そもそも個人的な感想ですし、研究の内容そのものとは関係がないからです。ですが、そんな気持ちが、若狭基道さんの「A Descriptive Study of the Modern Wolaytta Language(現代ウォライタ語の記述的研究)」(ひつじ書房、2020)では、しばしば本文中で表明されます。そのなかでも一番印象的な言葉は「An interesting and fascinating language deserves an interesting and fascinating description. (面白くて心とらえる言語には、面白くて心とらえる記述がふさわしい)」(p.309)でしょう。これはもはやウォライタ語と言語学に向ける「愛」の言葉といっていいかもしれません。
そして、事実、この文法書には、ウォライタ語についての「面白くて心とらえる」記述であふれています。著者はこの「面白さ」を序文では「thought-provoking」と表現していますが、まさにその通りです。この研究を読む人は、「これはいったいどういう現象なんだろう」とか、「この観察を日本語(あるいは自分の調査している言語)に当てはめてみたらどうだろう」とか「さっそく調べてみよう」とか、「著者はこういっているけど、もしかしたらこうなんじゃない?」とか、「これは次の研究テーマに応用できるな」とか、さまざまな建設的な思いにとらわれるに違いないのです。このように読者を触発する力こそ、「面白さ」といえるでしょう。
そこで、この本を読んでみようかと思っている方のために、あくまでも参考までにですが、私自身がどこでどのように触発されたか、その「触発ポイント」を3つばかりお話させてください。ですがその前に、この研究のあらましについてまとめておきましょう。
ウォライタ語というのは、エチオピア南西部のウォライタ県で話されている言語です。話者は少なくとも120万人で、多言語社会のエチオピアにおいては、少数派だということです。
系統的にいえば、オモ語派に属し、この語派はさらにアフロアジア語族という大語族に含まれます。なので、アラビア語などのセム語や、ベルベル語、エジプト語とも関連する言語です。
内容はといえば、全7章のうち、音韻論(第2章)、文字論(第3章)、品詞論(第4章)がこの研究の中心であり、特に名詞と動詞を扱う第4章は830ページ中の600ページを占めています。
その品詞を扱った章の中でも、とりわけ興味深いのが名詞の「具体形(concrete form)と非具体形(non-concrete form)」に関する記述です(p.152-174)。ウォライタ語では、名詞に付与される文法的な情報を表す接尾辞は、性(男女)、数(単複)、格(絶対格・斜格・主格・疑問格)ばかりでなく、具体・非具体をも表示するというのです。この「具体・非具体」は、先行研究では「定・不定」として記述されていたもので、確かにそれに近い用法を持つのですが、当てはまらないものもあります。たとえば「むかしむかし、ある泥棒がある男の家に(盗みに)入りました」といった物語の語り出しの場合、「ある泥棒」「ある男」は初出であり、したがって意味的には「不定」といえますが、ウォライタ語では「具体形」をとります(p.153, (4.2.1.4-4))。また、辞書の見出しに用いられるのも、この「具体形」であるということで、これらの例から、この2つの形態の違いは、「定・不定」という情報的位置づけではなく、話者が心中において「視覚化」しているか否かという話者のとらえ方にかかわるものだと著者は述べます。だから、「具体・非具体」というわけです。
この「具体形・非具体形」についてもうひとつ分かりやすい例を挙げると、「医者の家」において、「医者」が具体形の場合は「その医者(という個人の)住居」を指すのに対し、非具体的な場合は「診療所」を意味するというものです(p.156, (4.2.1.4-11a, 11b))。ここでは非具体的な「医者」は、何か具体的な存在を参照するのではなく、「家」の特徴を表す修飾語として機能しています。そのため具体形名詞は「名詞的」で、非具体形名詞は「形容詞的」(p.157)だとされますが、これには、形容詞という品詞を名詞とは別に立てる必要のないウォライタ語ならではの事情も関係しているでしょう。
さて、そこで私がとても面白いと思ったのはこの「非具体形」です。「非具体形」の用法は著者が「具体形」の用法以外のすべてというだけあってさまざまで、多くの興味深い例が集められています。それらについては実際に本書に当たっていただきたいのですが、1つだけ例を挙げます。
「これはあなたの本ですか?」(p.165, (4.2.1.4-42))という文では、この「あなたの本」は「非具体形」で現れます。具体形は「具体的参照(concrete reference)」(p.152)を前提とするとされていますが、この発話状況では、「本」も「あなた」も話者の目の前にあると考えられますから、この例の「あなたの本」は、いかなる意味で「具体的」でないといえるのでしょうか。この問題に関しては、「非具体形は述語になることが多い」という著者の指摘がヒントとなるように思います。つまり、この疑問文で問われているのは、「あなたの本」がその具体的な「目の前の本」であるか、ということではなく、指示詞主格形「これ」が述語の名詞句「あなたの本」であるかである、という「主語述語関係」なのです。こう考えれば、この「あなたの本」が非具体形で現れることが理解できます。「あなたの本」が参照しようとしているのは、「これ」という主語であり、具体的な事物ではないからです。このような文法的関係に加えて、メタ言語的な参照にも非具体形が関与する例((4.2.1.4-39, 40))もあり、非常に興味深く感じました。
2つめの「触発ポイント」は、小さな言語事実を決してないがしろにしない著者の記述態度です。著者は小さな事実を丹念に集め、それを先行研究と照合・検討し、より適切な姿を描こうと努めます。言語学では話者が気がつかないような些細な情報も大きなヒントとなる可能性もあるので、これは当然のことなのですが、「犬を呼ぶときに現れる特殊な呼格形」まで書いてある文法書はそうそうないのではないでしょうか(p.249)。
こうした小さな事実の記述は、読んでいて時として煩雑でもあるのですが、そうした小さな事実を積み重ねた上で議論される大きな問題、つまり「アフロアジア語族」との関係や、一般言語学的な示唆は説得力に富み、楽しくすらあります。これらは文法記述の上では脱線かもしれませんが、文法記述を「魅力的(attractive)」にする(p.309)という著者の目的のために意図的にとられている叙述法です。
小さな事実への関心といえば、第3章の「文字論」もまた欠かすことはできません。この章において著者は、ウォライタ語話者が、ローマ字のウォライタ文字、もしくはアムハラ文字を使用して、ウォライタ語を書くときに、表記にどのような揺れが現れるかをひとつひとつ拾い集め、音韻論的に考察しています。通常は文法書には組み込まれないこの「文字論」ですが、その言語の音韻の理解にとってだけでなく、話者の言語意識を探るのにも有用な試みだと思いました。
さて、最後のポイントは、日本語との関連です。もちろんウォライタ語は系統的には日本語とは関係ないのですが、日本語話者である著者が日本語研究の成果を十分に咀嚼してこれを分析に活用している点では無関係でありません。また、それだからではないでしょうが、日本語と似たような現象もウォライタ語に散見されるのです。私が特に関心を引かれたのは、「-kka」(p.502-509)と「-kko」(p.520-525)という2つの後置詞です。「-kka」について著者は日本語の「も」との類似性を述べた後、「不幸にも、日本語の『も』を完璧に説明した研究はないようなので、ウォライタ語研究には援用できない」と語ります。「-kka」の例を見ると確かに一筋縄では行かない意味を持つようですが、もしかしたら、この「-kka」の用法の検討が、日本語の「も」に新たな解釈をもたらすかもしれません。また、もうひとつの「-kko (if, whether) 」は、「非現実世界の多くの可能性のうち1つを指し示す」(p.521)とされ、著者は述べていませんが、日本語の「か」に近いように思われます。非現実性を表す標識に関心のある私にとって大いに参考になる箇所です。
最後に、この研究の欠点についてひとつ述べておきたいと思います。とはいえ、それは内容面ではなく、本書が使用している英語についてです。本書の英語はしばしばぎこちなく、こなれていないように感じられます。しかし、読み進めていくにしたがって、このぎこちなさは、著者の英語力の問題というよりも、非母語話者である著者がわかりやすさを重視してあえてとっている方略なのだいうことに気付かされます。もちろん、わかりやすくこなれた英語を書くのがよいのでしょうが、そうでなければ、多少ぎこちなくても、わかりやすく書くほうがいいはずです。
とはいえ、そのわかりやすさのために、くどくなっている文もたまに見受けられます。冒頭に引用した文もその一例かもしれません(もっとも、これはウォライタ語と言語学への「愛」の大きさがそうさせたものともいえましょう)。
そんなわけで、英語に慣れた人には、本書の英語に抵抗を感じることもあるかもしれませんが、それがこの研究に触れることを妨げているとしたら、もったいないことだと思います。
そうした研究とは関係のない部分は抜きにすれば、ウォライタ語に関するこの研究には、記述の厳密さ、資料と観察の豊富さ、「thought-provoking」な考察など多くの「魅力」が詰まっており、言語に関心のある人ならきっと有意義な発見に出会うことでしょう。
A Descriptive Study of the Modern Wolaytta Language
若狭基道著
定価45,000円+税
菊判 852頁
ISBN978-4-8234-1024-6
ひつじ書房
https://www.hituzi.co.jp/hituzibooks/ISBN978-4-8234-1024-6.htm