★この記事は、2021年3月31日までの情報を基に書いています。
第4回日本語教師の資格に関する調査研究協力者会議(「資格会議」)では、主として日本語教師の国家資格を表す公認日本語教師について話し合われ、ほぼその条件は出そろいました。これにより、外国人労働者の受け入れにあたっての日本語習得を担当する教師の社会的な位置づけができたことになります。なお、会議内容の具体例は、田尻のメモによります。
第4回「資格会議」では、西原座長から、この会議は何かを決定する会議ではない、という発言があり、以下に述べるように、特に学士要件については意見を出し合った段階で終わりました。会議でのやりとりなどは今後公開される予定の議事録にゆずりますので、ここでは主要な点以外は扱いません。
1.「公認日本語教師の資格のイメージ(案)」について
第4回「資格会議」は、2021年3月23日に開かれました。この会議の「資料1」で示されたもので、大変大事な資料です。今回提出されたのは、「日本語教育能力判定試験(筆記試験)」と日本語教師養成機関の免除措置により、公認日本語教師を登録していくという構図です。
注目すべきは、筆記試験を①と②に分けたことと、大学や専門学校の日本語教師養成コース(いずれも課程内に教育実習を含む)で文部科学大臣の指定を受けたコースの修了者は筆記試験①と教育実習は免除されるという点です。ただし、筆記試験①と教育実習の免除は、文部科学大臣の指定を受けた機関に限られるというものです。つまり、文部科学大臣の指定を受けなければ、二つの筆記試験と教育実習を受けなければいけないということになります。これからは、大学や専門学校のカリキュラム内容などについては、文部科学大臣のチェックを受けるという仕組みになっています。
従来の日本語教育能力検定試験は民間資格でしたが、新しい試験は国家資格が取れるように意図したものです。
2.新しい筆記試験、教育実習、文部大臣の指定
まず、筆記試験①と②について述べます。この試験は仮称ですが、日本語教育能力判定試験となっています。今の日本語教育能力検定試験との関係は現時点では不明ですが、2種類の同種の試験が併存するようになれば受験者は混乱するだけです。将来的には、これらの試験について、日本語教師の資格上どう扱われるかは決定されると田尻は考えています。筆記試験①は基礎的な知識・技能を問い、筆記試験②は現場対応能力につながる基礎的な問題解決能力を問うというものです。
このような仕組みを作ったことにより、従来問題になっていた、新試験を全ての大学や専門学校の修了生が受けることは、大学や専門学校の授業を受けていることが評価されないことになるという不利益があるとする意見に対する一定の配慮がみられます。この点については、今回の会議では意見が出ませんでした。会議の資料では、試験の一部を免除する他の国家試験の例が挙げられています。
逆に言えば、公認日本語教師の資格を得ようとすれば、大学の主専攻課程の学生でも筆記試験②を受験し合格しなければならいということです。この新しい仕組みは、この点ではハードルが上がったと言えます(「ハードル」については、後述)。この仕組みについては意見がなかったので会議での決定事項になったと田尻は考えています。今後は、指定を受けようとする大学や専門学校は、そのカリキュラム内容が文部科学大臣によって的確に判断されることになります。
指定試験機関や指定登録機関については、今回の会議では扱いませんでした。
3.学士以上の学位を資格取得要件とすることについて
この議題が今回の会議で意見が分かれたもので、大事な点です。というのも、この学士要件と次の更新講習については、2020年3月10日に持ち回りの文化庁文化審議会国語分科会で議決された「日本語教師の資格の在り方について(報告)」(以下、「在り方報告」と略称)で示された内容と、第4回「資格会議」で事務局から示された内容とが大きく異なっているからです。
国語分科会でこの「在り方報告」をまとめた委員の意見が、今回の会議で注目されました。このウェブマガジンでは、今までは発言者のお名前は明示しませんでしたが、発言の重要性という点と、また傍聴者が約400人もいるのでその方々は誰がどんな発言をしたかはわかっているという点を鑑みて、以下では発言者名を出すことにします。
「在り方報告」では、「幅広い教養と問題解決能力」の必要性から「学士以上の学位を有することを要件とする」となっています。
国語分科会委員の一人である神吉委員は、会議の始めに「ハードルが下がってきている」(田尻注:資格要件を指すと思われる)と発言しました。今回の会議でこの問題を扱う時に、学士は必要で、海外で日本語を教える時にも学士は必要と発言しました。これに対して、田尻は「資料4」の「課題点」の二つ目が重要だと指摘しました。それは、「閣法で成立した他の名称独占国家資格の例を見ても、学士以上の学位を必須の資格取得要件にしているものは存在しない」という点です。これは、資格取得要件について決定的な点です。つまり、この国家資格を法制化するためには、国家資格取得要件に学士要件は入れられないというものです。※公認心理士などは大学院以上が主流ではあるが、実務経験5年でも国家試験を受験可。
念のために、田尻が日本語教師の国家資格を言い始めた時期をはっきりさせておきます。田尻は、日本語教師の社会的認知と経済的自立のために、日本語教師の資格を民間資格ではなく、国家資格化しようとこの5年ほど訴え続けてきました。公的に最初の発言は、2017年7月4日の日本語教育推進議員連盟立法チーム勉強会で発表したものです。議連の資料は毎回載せるはずの日本語教育学会のホームページには掲載されませんでした。理由は、この勉強会は正式なものではない(議連事務局の馳代議士は正式なものとして扱っています)ことと、学会から誰も取材に行っていないということでした。田尻は、この国家資格化を重要なテーマとして発信し続けていますが、無理矢理に通そうとしているのではありません。法律化するために必要なことを慎重に点検しながら発言しているつもりです。
この二つの意見に対して、学士要件不要という意見が、井上委員・石井委員・工藤委員・新井委員・黒崎委員から出されました。地域で日本語ボランティアに関わっている方々からも、学士要件を入れることの問題点が指摘されたと記憶しています。これらの意見については、神吉委員は何の発言もしませんでした。
ここで、上に述べた西原座長の発言があり、これ以上の議論はありませんでした。ただ、多くの委員が学要件は不要だという意見を出したことは大事な事実として書いておきます。
学士要件が必要と言う方には、以下の田尻の二つの疑問に答えてほしいと思っています。
(1)「閣法で成立した名称独占国家資格には、学士以上の学位を必須の資格取得条件にしているものはない」という法制化のための建て付けをどう乗り越えるのでしょうか。それとも、国家資格は不要というのでしょうか。
(2)「在り方報告」の時点では想定していなかった日本語教育の3類型については、詳しい内容は決まっていませんが、この枠組みは第2回の「資格会議」で検討を済ませました。この3類型の中に「生活」が入ったことにより、日本語ボランティアが公認日本語教師の資格取得を目指す場合にも、文部科学大臣が指定した大学や専門学校を卒業して筆記試験①を受けなくてもよいというコースができたことになります。しかし、コロナ禍の厳しい経済状況の中で、日本語ボランティアにそのようなコースを薦めるというのでしょうか。現状を考えると、日本語教師の資格を取るためだけに指定の大学を卒業しようとする人がどれだけいるのか、田尻は疑問に感じています。
4.更新講習の必要性について
ここでも、国語分科会委員の一人である浜田委員から、日本語教育小委員会の結論と違うという指摘と、教員採用では研修は自治体の義務であるという指摘がありました。その他にも講習の在り方についての発言がありましたが、事務局案である修正案(更新講習の受講・修了研修を求めるのではなく、環境の充実・強化に努めるという案)そのものに対する反論はありませんでした。
5.今後の方向性
まず、この「資格会議」の設置については、2021年1月25日の第2回の会議資料2を見ておく必要があります。資料2では、第1回に示されたこの会議の検討対象(資格制度の枠組みと制度の実施に関連する事項の詳細)に、日本語教育機関の類型化が加えられています。逆に言えば、この「資格会議」は、この二つの事項のみを扱う会議ということです。他の問題は、この会議では扱いません。
次の会議は4月中に予定されていますが、たぶんそこでは類型化を扱うことになると田尻は考えています。
田尻自身も、この会議は日本語教師の国家資格創設から始まり、日本語教育の将来像を描くような会議へと発展すると思っていましたが、検討事項を議決する会議ではないため、最終的に法律化する段階では「資格会議」は関われません。
文化庁では、他に日本語教育に関する会議もあり、また出入国在留管理庁の「外国人との共生社会の実現のための有識者会議」もできています。特に、後者の有識者会議で取り組む重点事項の最初に「日本語教育を中心とした我が国社会に適応するための支援」が挙がっているにもかかわらず、日本語教育関係者は一人も委員になっていません。これらの会議が、今後日本語教育の将来像にどう関わっていくかは未定です。
決まっていないことも多い「資格会議」ですが、このウェブマガジンの読者は、第5回の「資格会議」やその他の会議の動向に注意してください。「資格会議」の委員の中にも「性急に進めないで」と発言する方はいますが、実際の会議では次々に施策が決められています。意見を求められるまでは黙っているというような姿勢では、何一つ自分たちの意見は施策に反映させられません。かと言って、ここまで進んできた変化の流れを元に戻すようなことがあってはなりません。国会や行政の担当部署が日本語教育を扱うのは、今の機会を逃してはありません。日本語教育が今のような社会的に認知されない状態を変えるのは、今しかありません。