言語研究におけるソーシャル・ディスタンス:書評 中山俊秀・大谷直輝(編)『認知言語学と談話機能言語学の有機的接点—用法基盤モデルに基づく新展開』 2020, ix + 395pp.

定延利之

(京都大学文学研究科教授)

認知言語学が世に出る発端となった、チョムスキー言語学内部での激しい争いは「戦争」とも呼ばれたが、その一方で「チョムスキー言語学も認知言語学も、結局は個人の内部知識の解明をめざす同一グループ」という醒めた見方もなされてきた(例:茂呂1996)。ヴィゴツキー、バフチンその他のグループ、つまりコミュニケーションの状況の中で参加者たちが言語を繰り出す「全体」を解明しようとするグループではない、というわけである。この論文集は、チョムスキー言語学のような高度にフォーマルで還元主義的なグループと、そうした「全体」グループにはさまれた、2つの学派(認知言語学・談話機能言語学)の接点を探る試みである。

一般に、言語学でよく見られるのは、より「全体」寄りの学派が、より還元主義的な学派を「大事なものを見落としている」と批判し、より還元主義的な学派がその批判を「解明したいことの違いでしょう」とかわす、という光景である。チョムスキー言語学を認知言語学が批判し、チョムスキー言語学がそれを無視するというのは、まさにこの構図どおりだし、認知言語学に対する「全体」グループの醒めた見方も、その変異形と言えるだろう。

談話機能言語学は認知言語学よりも少し、「全体」グループ寄りに位置している。そしてやはり、談話機能言語学は認知言語学をたびたび批判してきた。評者の身近なところだけでも、たとえばホッパーは、クロフトのデキゴトモデルを、状況から切り離されていると論じている(Hopper 1995)。この批判は、クロフトに限らずタルミーやラネカーらのモデルにも当てはまるだろう。またたとえば、デュ・ボワは、語句や文を記号と見ていたのでは、談話における主語や目的語の分析は困難だと述べている(Du Bois 2003)。この批判は、認知言語学の構文文法的な考えに広く当てはまるだろうし、「記号」をラネカーのように有契的なシンボルと考えても、この批判を免れることはできないだろう。

こうした経緯からすれば、「認知言語学と談話機能言語学の接点を探る」というこの論文集の試みは、読者の目には、おかしなものと映るかもしれない。だが実はこれは十分に有意義な試みだというのが評者の結論である。ここでめざされているのは表面的な手打ちではなく、お互いの立ち位置の違いを認めた上での共働である。そして、そのために、両グループのいずれにおいても重要な意味をなす概念発想として持ち出されている符丁が「用法基盤」、これは(「用法」という目的論的な匂いを持つネーミングが評者には多少気になるが)ベストチョイスだと思う。以下その理由を説明する。

用法基盤とは、もちろん日常生活の経験基盤、そして状況基盤ということだろう。それはわかっている。しかしそれだけではない。用法基盤とは、まぎれもなく言語知識についての考え方である。これは「個々の状況から抜き出された」ことばに関する知識の話である。

すべてのものを「動的である」「連続的である」「切り離せない」と述べているだけでは、実際問題として研究は進まず、何も解明できない。コミュニケーションの個々の状況から離れた規則性(文法)を考え、その規則性が個々の状況の中でどう守られ、あるいはどう違反され、さらにどう変質していくのかを観察していくことは、言語研究の必要な作業である。そもそも、言語のたいていの規則性は、現実の発話の中では違反可能である。逆に言うと、正しく見いだされた規則性と、ナマクラな観察で得られた誤った規則性は、違反事例の有無では区別しきれない。両者を区別できるのは状況だけである。規則性に違反している発話がなされた状況が、その違反ゆえに、特徴的な状況になっているなら、その違反された規則性は正しい—このような考えは、認知言語学者も、(ホッパーはいざ知らず)多くの談話機能言語学者も、広く共有しているはずだし、そうした規則性と状況の連動は、間違いなく「全体」の一部をなすものでもあるだろう。用法基盤がベストチョイスだというのは、こういうわけである。

ホッパーのことばはいつも刺激的でわくわくさせられるが、それでも彼のデキゴトモデル批判は厳しすぎる。実際のコミュニケーションの状況の中で、参加者が繰り出すデキゴト表現がデキゴトモデルの予想どおりにならないとしても、だからといってデキゴトモデルが無価値とは限らないだろう。(ちなみにデュ・ボワの批判については、私は必ずしも反対ではない。少なくとも日本語には、記号~シンボル的な文法観では説明し難い、意味と音韻のミスマッチ現象が至るところで生じているからである。これはコミュニケーションの状況云々の話ではない。)

全体的なことばかりを述べてきたが、それは、この論文集を読みながら一番考えさせられたのが以上のことだからでもある。また、総論2編に続く、全12章もの各論の一つ一つを取り上げるスペースが、とてもないからでもある。きちんとした書評があちこちの学会で出るに違いないので、各論の評はそちらにおまかせするが、これらは各論とは言いながら総論の問題意識をしっかりと保持しており、それでいて、以上の問題意識を抜きに読んでも純粋に面白い。

我々のやっていることは、全員、多かれ少なかれ、間違いである。それでも、細部を積み上げては、前提を掘り下げ直して、やっていくしかない。学派の争いなど、もう、まっぴらなのである。ソーシャル・ディスタンスをわきまえつつ、共働できる部分は、気分よく共働すればいい。

総花的な論文集とは一線を画する、よく組織された論文集である。さまざまなグループの方々に一読を勧めたい。

言及文献

茂呂雄二 1996 「ことばの「不思議」の究め方」『わかりたいあなたのための心理学・入門』pp. 59-63, 東京:宝島社

Du Bois, John W. 2003. “Discourse and grammar.” In Michael Tomasello (ed.), The New Psychology of Language: Cognitive and Functional Approaches to Language Structure, pp. 47-87, Mahwah, New Jersey: Lawrence Erlbaum.

Hopper, Paul J. 1995. “The category ‘event’ in natural discourse and logic.” In Werner Abraham, Talmy Givón, and Sandra A. Thompson (eds.), Discourse Grammar and Typology: Papers in Honor of John W. M. Verhaar, pp. 139-150, Amsterdam; Philadelphia: John Benjamins.


認知言語学と談話機能言語学の有機的接点
用法基盤モデルに基づく新展開
中山俊秀・大谷直輝編
定価4500円+税
A5判 408頁
ISBN978-4-89476-995-3
ひつじ書房

http://www.hituzi.co.jp/hituzibooks/ISBN978-4-89476-995-3.htm

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