「やさしい日本語」は在留外国人にとって「やさしい」のか?|第1回 私にとっての「やさしい英語」とは。/「やさしい日本語」は書き言葉なのか話し言葉なのか。|永田高志

「やさしい日本語」の問題が表に出て論議されるようになったのは、1995(平成7)年1月17日に発生した阪神・淡路大震災をきっかけに、減災のための情報を外国人に分かりやすい日本語で発信しようと、弘前大学の社会言語学研究室の佐藤和之氏が考案したのが始まりであろうと思われる。それが最近では、多文化共生の問題として取り上げられることが多くなった。日本の少子化を補うために、労働力供給のために外国人が必要になったためである。総務省の統計では2019年10月現在総人口は1億2616万7千人であり、在留外国人の人口は法務省の統計調査では2019年6月現在282万9,416人になっており、2.24%になる。合法的に滞在している外国人は税金を払っているために住民としての権利を有し、国も地方公共団体も共生していく義務があり、交流のための共通言語として「やさしい日本語」が叫ばれ始めた。「やさしい」も「易しい」意味でもあるし、「優しい」の意味でもあるというような論議がなされている。「やさしい日本語」で書かれた文書や公示等を見ていると、「やさしい日本語」は本当に外国人にとって「やさしい」のかと疑問に思わせられることがあった。「やさしい日本語」が実用的に重要であるため社会的な問題になって論議されているが、果たして言語学の観点から客観的な考察は充分になされているとは言えないと思われる。

私自身、母語でない英語を習得したいと思い、また学習する必要があり、英語を学んだ。まず、外国人にとって「やさしい英語」についての観点から「やさしい日本語」の問題を考えていきたい。また、私は日本語教育にも携わっている。1987年から1989年までアメリカ・カナダ大学連合日本研究センターや専門学校で、1989年から半年間サンパウロ国際交流基金において現地日本語教師に作文を教えていた。1990年以降近畿大学において日本語学を専門に教えていたが、日本語教育関係では、日本語教員養成講座を運営していたし、留学生別科長を務めていた。2015年の退職後、中国の南京農業大学で1年、帰国後は日本語学校で非常勤講師や校長として、また、ボランティアとして在留外国人の日本語教育に携わっている。日本語教師としての経験からも「やさしい日本語」についての見解を述べていきたい。そして、私は言語学を、それも社会言語学の観点から日本語学を専門に研究してきた。個人的経験を通じて「やさしい日本語」を、さらには、客観的に言語学的観点で考察していきたい。次回からは、具体的な言語項目別に焦点を当て、考察していきたい。

1.私にとっての「やさしい英語」とは。

私にとって話し言葉より書き言葉の方が「やさしい英語」である。英語は中学校から学校で学び始めた。最近問題になっている読み書き中心の「文法訳読法」の英語教育で英語を学んだ。英語は本で読む言語であって日常生活で話し聞く言語ではなかった。話し聞く言語として英語に接触したのは1970年大学4年生の21歳の頃5ヶ月間ヨーロッパ、北アフリカに旅行をしたのが初めてであった。一人は寂しいので、話し相手というと、アメリカ人を中心とした旅行をしている白人ばかりであった。自然と共通語は英語であった。英語は好きで勉強はしていたが、英語は読むだけの言語で、聞いたことも話したこともなかった。どうして英語に親しんだかを述べると、最初は英語を話している白人の中に入って英語を聞いた。彼らが言うには、「お前が黙って座っているのはOKだ。だけど、話すな。皆で英語で楽しんで話しているのに、お前の分からない英語を聞こうとすると疲れる」。そのうちに、一人で旅行をしている白人もいるのに気が付いて、彼らも一人が寂しいのか彼らと話し始めた。紙と鉛筆と辞書をいつも持っていて、発音が下手で分かってもらえない時には辞書でこの単語だと指示した。文脈が分からないと、絵を描いて説明した。そして、習った単語は翌日から使い始めた。このようにして、英語に接するようになって約5ヵ月の旅行が終わるころには、大体彼らの言っている英語は理解できるようになったが、言いたいことの半分も英語で表現できなかった。しかし、母語話者同士の英語は、早いし、訛があるし、俗語やスラングがあって分かりにくく、英語を母語とせずに、学習して英語を話している者の英語は理解しやすかった。これが、外国語、英語に興味を持ち始めた最初である。後に、アメリカやオーストラリアの大学に留学することになったし、英語教師としても金を稼いでいた。その後言語学の研究者として大学の教員として生計を立てていたので、英語で書かれた言語学の専門書はずっと親しんで読んでいた。話し言葉より、書き言葉としての英語の方が私にとっては「やさしい英語」である。海外旅行も好きで日本語を話さない外国人ともよく英語で話す機会があり、学習した。母語話者の英語で一番聞きやすく理解しやすいのは授業で話される教師の英語であった。公式的な、スラングのないいわゆる標準的な英語であったから。しかし、授業では英語で発言することはなかった。もし文法的にも発音の面でも間違った英語で話して笑われるのが怖いという恐怖心があったからである。アジアや中南米から留学生が来ていて、彼らは少々間違った英語でも堂々と授業でも話しているのに気がついた。母語の訛りが残っている、いわゆるaccented Englishであったが、彼らの性格の方が外国語学習には向いているのかもしれない。私は日本語教師としても外国人学習者に日本語を教えているが、この時の教訓で少々間違っていても、理解の出来る日本語であれば訂正しないことにしている。私的な場面では親しい者と話すことはあったが、母語話者だけで話している中で話すのは苦手であった。スラングや訛りがあり、聞きづらかった。アメリカにいる時には授業について行くのが大変で、私的にアメリカ人と友好関係を結ぶ時間がなく、彼等が私的に話している場面を共有することはほとんどなかったので、学生食堂で仲間内で話している英語はほとんど分からなかった。口語俗語英語について研究書では読んではいて、概念的には知っていたが。

日本に住んでいる外国人は様々な背景を持って日本に住んでいると思う。ある人は、留学を目的に来日して、日本語は教室で本を通して勉強している。私と同じように書き言葉の方が話し言葉より得意な人もいる。日本人と実生活で接触していないので、ため口とかスラングが分からない可能性がある。ある人は労働が目的で来日し、仕事仲間と話して日本語がうまくなったが、日本語は読めないし、書けないという人もいる。特に日本語では漢字という習得に時間のかかる文字が使われている。日常会話には不自由はないが、高度な日本語は苦手という人もいる。アメリカの移民の人々の間には、長年住んでいるので英語は話すのに苦労はないが読むのは困難な人もいる。言語のFossilization (化石化)と呼ばれている。様々な背景を持つ外国人にとって共通の「やさしい日本語」はどのようなものであろうか。そもそも共通の「やさしい日本語」というのは存在するのであろうか。

2.「やさしい日本語」は書き言葉なのか話し言葉なのか。 また、「やさしい日本語」は、話し言葉だとすると、公的な話し言葉なのか、私的な話し言葉なのか。

「やさしい日本語」は減災のための緊急速報を外国人に分かりやすく伝える必要があるということで始まった。たとえ緊急速報は原稿を声に出して発音されても性格としては書き言葉である。役所の防災ガイドブック、ゴミ出しのパンフレット等は書き言葉である。ところが、最近、対面言語行動の場面でも「やさしい日本語」が使われ始めた。病院での外国人患者との会話、役所の窓口での対応等、話し言葉としての「やさしい日本語」が使われ始めた。NHKなどはニュースの書き言葉を「やさしい日本語」に書き換えてNEWS WEB EASYで放送している。NHK WORLD-JAPANではウェブサイトで「やさしい日本語」でニュースを音声放映している。週に一回10分程度、膨大な普通の日本語のニュースの量を1/10ほどに省略している。漢字には読み仮名が付いており、また、難しい語には色が付いていて、クリックすると辞書が見れる。書き言葉だが、クリックすると、音声でも聞ける。

私の英語学習の経験から考えると、書き言葉の方が得意だと言ったが、話し言葉の中でも一番苦手だったのが電話での会話であった。対面の会話であれば、相手の顔の表情が見られる、ジェスチャーが使える等の手段があるが、電話ではなかった。「やさしい日本語」の場合でも、話し言葉ではジェスチャーを、書き言葉にしても、表で示す、写真や図を見せる等の補助手段があり、最大限活用すべきであろう。

神戸市中央区役所主催で3回に分けて開かれた一般市民対象の「やさしい日本語」講習会に去年参加した。受講者は若者層か老年層であった。最後の回では、受講者には課題を前もって出してあり、翌週実際にゲストとして3人の外国人に来てもらい、彼らの前で受講者が考えてきた「やさしい日本語」を使って課題を発表するということが行われた。一つの課題は「鳥取砂丘にバスツアーで行くが、集合時間は何時で、集合場所はどこで、砂丘を歩くのでスニーカーを履いてきてほしい。お昼ご飯は各自持参すること」という内容だった。一人の老年層の受講者は「鳥取砂丘」をどう説明するか迷っていたが、一人の若者はスマートフォンに「鳥取砂丘」の写真をダウンロードして見せた。スニーカーについては、実際に履いている靴を指して教えた。話し言葉を使っての意思交流であったが、スマートフォンや実物を使うことは最近の若者にとっては当然のことなのであろう。実際、ジェスチャーや実物を使って意思を示すように、指導者からも勧められていた。スマートフォン上で翻訳ソフトを使って外国人の母語に変換し、示す若者までいた。書き言葉でも、パソコン上で画像や動画や音声を添付するのが一般的になっている。話し言葉と書き言葉は独立したものでなく、現代では混交している。「やさしい日本語」でも書き言葉単独でも話し言葉単独でもない意思伝達手段が使われているのが現状であろう。

最近では、大学医学部でも、外国人患者を診察することを予測し、「やさしい日本語」を活用して実習授業を行っている。

順天堂大学医学部(学部長:服部信孝)は、2020年9月28日、4年生の学生(137名)を対象に外国人診療の際に役立つ「やさしい日本語」の実習授業を実施しました。医学部生たちが将来、医療現場において活用することを想定し、医学教育の一環として「やさしい日本語」を授業として取り入れるのは、国内の医学部において初めての試み※となります。 ※本学調べ。

(cf. 医療で用いる「やさしい日本語」。順天堂CO-CORE (juntendo.ac.jp)

実習授業のかなりの部分で、ジェスチャーや指さしを行っている。例えば、「体温を測定していただけますか。腋(わき)の下に挟んでしばらくお待ちください。」は「熱を測ります、調べます。ここに挟んでください(※検査者が、自分の腋の下に指を挟んで見せます)」と言い換えている。「腋の下に」は、目の前で検査者が患者のでなく自分の腋を示して「ここ」のように示している。これは、書き言葉では無理で、現場指示のできる話し言葉でしか行えない。ポイントとして、

  漢語を和語にする。身体の部位や場所は、言葉ではなく実際に示す。
  身体に触れられたくない文化の方に配慮する。

のように書かれているが、「身体に触れられたくない文化」、特にイスラム圏では男の医師が女の患者の身体に触れることには文化的なタブーがあることが想像される。反対に親密さを示すために「身体に触れる文化」も存在する。私が学んだ上智大学大学院では、スペイン出身のロボ神父に教えていただいたことがあり、廊下で出会った場合にロボ先生が私の身体に近い距離で触れて話しをする場合があった。親しさを表わすためで、反対に私が日本的な感覚で距離を取って避けることは、相手を遠ざけることになり失礼な行為と考えられるのであろう。ブラジルでは初めて知り合った若い女性から頬っぺたにチーク・キッスをされた時には、恥ずかしいやらうれしいやら複雑な気分になったのを覚えている。ブラジルでは一般的な挨拶ではあるが。大学院生当時、Edward T. Hall氏によってproxemics (近接学)といって文化差による対人親密距離の研究がなされているのを知った。最近ではコロナ禍でsocial distanceが叫ばれているのも興味がある。「やさしい日本語」が対面的に話し言葉として用いられる場合には、対人距離、ジェスチャーや接触などを含んだ非言語行動にも配慮すべきであろう。詳しくは連載の中で述べるつもりである。

また、「やさしい日本語」は、話し言葉だとすると、公的な話し言葉なのか、私的な話し言葉なのかといった問題に発展する。「やさしい日本語」は、「デス・マス」体で示されているのが普通である。日本語学校の日本語教材では「デス・マス」体が基準に教えられている。初級の段階では、教室というような場で教師に対して日本語を使うことが多く、「デス・マス体」が使われるので、動詞活用でもマス形の使い方を教えるのは妥当な考えであろう。しかし、中級段階になると、くつろいだ場面で友人や知り合いに話す場面も出てきて普通体の「ダ体」が使われることが多くなると思われる。「やさしい日本語」も公的な話し言葉だけでなく、私的な話し言葉として普通体の「ダ体」で書かれる必要があると思われる。かつては日本語教育も高等教育機関に留学する目的で来日する外国人の教育を中心に行われてきたが、これからは労働目的で来日し日常生活に必要な日本語を教える方向に日本語教育の目標が変っていくと思われる。庵功雄氏は地域社会における定住外国人と地域住民の共通言語としての「やさしい日本語」を主唱している。そうなると、「やさしい日本語」も変る必要があると思われる。詳しくは言語政策との関連で連載の中で述べるつもりである。

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