20.1 今回のロゼッタストーンの読解箇所
今回から、いよいよ、ロゼッタストーン読解編が始まります。これまでにも断片的にロゼッタストーンの一部が出てきましたが、ここからは文の単位で読解していきます。あまり詳しい文法までは踏み込まず、入門編ということで基本的な文法事項の説明をしていきます。
ロゼッタストーンのヒエログリフ部分から比較的読みやすいところを中心にロゼッタストーンを読解していきます。第1回目として今回は、現存するロゼッタストーンの5行目(欠損部分は飛ばして数えています)にある1文を読み解きます。
ロゼッタストーンでは右から左に向かって刻まれていますが、この連載では便宜のためヒエログリフを左から右に向きを変えて翻刻していきます。
さて、それぞれの語を最初から順に見ていきましょう。まだ習っていない文字もありますが、そのような新出文字はその都度解説していきます。
20.2 それぞれの語の解説
翻字:j–s–ï-w–F44
転写:jsw(ï)
慣読:isw(i)(イスウ(ィー))
品詞:名詞(男性単数)
意味:「お返し/報酬」
最初の4つの文字は、全て今までに出てきた一子音文字ですので、読者の皆さんも読めますね。最初の文字はj (M17)、二番目の文字はs (S29)、次の小さい文字はï (Z4)、その次の「うずらのひな」の文字はw (G43) となっています。最後のïとwは文字の形やサイズのバランスの都合で位置がよく変わる組み合わせです。それを考慮して、ここではjswïと読みます。そのつぎの文字 (F44) は肉が付いた動物の大腿骨を象った決定符です。肉などのほかに贈り物などを表します。また、このF44は通常は水平に置かれていますが、ここでは斜めに置かれています。jswïというのは、「お返し」または「報酬」という意味の男性単数名詞です。通常は最後のïは書かれませんが、このように書かれることもあります。
翻字:M23-M23
転写:nn
慣読:nen(ネン)
品詞:指示代名詞(数・性不定)
意味:「これ」
つぎは表語文字で、植物のスゲ(菅)を象った文字(M23) が2つ並べられています。実はこの文字は単体ではswという二子音文字となりますが、2つ続けた場合にはnnという二子音文字として読むことになります。通常は左右にぴょんと出ている葉が一本ずつの文字(M22)が使われるのですが、ここではその変種としてM23が使用されています。このnnという語は、近くにあるものを指す指示代名詞で、数や性は明確に示されていないため、ここでの訳は「これ」としておきましょう。
jswï nn で「これに対するお返し(直訳: これのお返し)」という意味になります。ロゼッタストーンのヒエログリフ部分は一部が欠けているため何を指し示しているのか分かりませんが、ギリシア語やデモティックの対訳から、nn「これ」とは「王がアピス神殿を装飾し、リフォームしたこと」であると分かっています。
残念ながら4行目の後半のヒエログリフが欠損しているのですが、jswï nn の前にm「として」(前置詞)を補い、「これに対するお返しとして」という意味で理解しておきたいと思います。では、お返しとして、どういうことが行われたのでしょうか。
翻字:r–t-D36
転写:rt(j)
慣読:reti(レティ)
品詞:動詞(過去)
意味:「与えた」
最初の2つの文字は一子音文字なので簡単ですね。1つ目は上にあるr (D21) 、2つ目は真ん中のt (X1) です。その下にある3つ目の文字も本来は一子音字のꜥ (D36) となりますが、ここでは決定符として解釈しておきます。
このロゼッタストーンのヒエログリフはプトレマイオス朝時代の特殊なヒエログリフで、それより古い時代のヒエログリフとは少し異なる変種が使われることがあります。
ここで表記されている語は「与える」という意味の動詞です。古くはD21-D37という綴りでrḏj (redji レジー)と転写されていました。その後、子音が ḏ から(d を経て)t に変化して、この時代では rt(j) となっています。ḏ から t への音変化もあり、この時代のテキストではD21-X1-D36と綴られる例がしばしば見受けられます。語の音形がrt(j)となったので、t (X1)が付加されているのでしょう。そして、最後のD36なのですが、ここでは決定符(つまり音価を持たない)として付加されていると見なしておきます。もちろん、D36を表語文字D37の代用と考えて、r (D21) と t (X1) は音声補字と考えることもできます。この例では、どちらか決めることが難しいのですが、便宜的に決定符の解釈を取ることにしました。
このように、古くからある中エジプト語とは語の綴りが異なるのですが、D21-X1-D36の部分を rt(j)「与えた」という完了相の動詞として理解しておきます。
ここまでの意味は、「これに対するお返し(として)与えた」となります。そうすると、何が何に何を与えたか、主語と間接目的語と直接目的語が必要です。
翻字:n:f
転写:n=f
慣読:en=ef(エン・エフ)
品詞:前置詞=接尾代名詞(3人称単数男性)
意味:「彼に」
上の一子音文字n は前置詞「〜に」で、下の文字f は3人称単数男性の代名詞(より正確には接尾代名詞)として使われています。組み合わせることでn=f は「彼に」という意味になります。なお、転写では、接尾代名詞の前には、=がつきます。ここでの「彼」とは、プトレマイオス朝エジプトの当時のファラオであるプトレマイオス5世エピファネスを指しています。
ロゼッタストーンのヒエログリフが書かれた中エジプト語(古典エジプト語)は、基本語順が動詞—主語—直接目的語、すなわちVSOです。この基本語順は言語として親戚にあたる古典ヘブライ語や正則アラビア語だけでなく、ケルト諸語のウェールズ語、アイルランド語、またフィリピンのオーストロネシア諸語のタガログ語などにも現れます。
動詞はすでに出てきたので、となると次は主語です。
翻字:R8+I64-R8+I64-R8+I64+R8
転写: nṯr.w nṯr.wt
慣読:netjeru netjerut(ネチェルー・ネチェルート)
品詞:名詞(男性複数)と名詞(女性複数)
意味:「男神たちと女神たち」
この神殿の旗を象った表語文字はメトニミー的表語文字で、 (R8)は nṯr「神」を表しますが、下のコブラ (I64) は nṯr.t「女神」を表します。三回繰り返されているので、複数接尾辞をとります。読み方は特殊ですが、nṯr.w nṯr.wt「男神たちと女神たち」です。翻字で縦に並べるものは:で、横に並べるものは-で表していますが、今回の場合のように、中に書かれたり、あとで出てきますが、重なったりする場合があります。厳密には区別して翻字において位置関係を書くべきですが、本稿では、単純化して、重なったり、中に入ったりする位置関係を+で表すことにしようと思います。
翻字:q*nw:Z9:D40
転写:qn(w)
慣読:qen (ケン) / qenu(ケヌー)
品詞:名詞(男性単数)
意味:「勇敢さ」
最後の決定符は力を表す決定符です。最初(左上)の文字は一子音文字のq (N29) でしたね。nw (W24) は二子音文字ですが、この単語では、w は通常は書かれません。qn で「力」という意味です。その後に来る新出の決定符(Z9) および (D40)は、力や権能を意味する語につく決定符です。
さてこれで文の基本となる主語・動詞・目的語が揃いました。「神々は彼に勇敢さを与える」ということですが、目的語はさらに続きます。
翻字:n-ḫt:ḫ*t:Z9:D40
転写:nḫt
慣読:nekhet(ネケト)
品詞:名詞(男性単数)
意味:「力強さ」
最初の文字は一子音文字n (N35) ですね。次のḫt (M3) は二子音文字です。その下の左の字は、一子音文字(Aa1) で音価は ḫ でしたよね。その次は一子音文字でおなじみのパンを象ったt ですね。このtは女性単数接尾辞の.tに見えますが、実はこれは接辞ではなく語根の一部で、nḫt は「力強さ」を表す男性名詞です。
翻字:ꜥnḫ
転写:ꜥnḫ
慣読:ankh(アンク)
品詞:名詞(男性単数)
意味:「生命」
これは知っている方が多いのではないでしょうか。ꜥnḫ で、三子音文字です。これは「生命」という意味の名詞です。おそらく母音が変化して動詞として「生きる」の活用形としても使われますが、ヒエログリフの場合、原則として母音が書かれないため、動詞か名詞かの判断は文脈に依存することが多くなります。そのまま慣読したらアネクですが、世界や日本ではアンクという呼び方の方がメジャーです。本稿もこの慣例に従って慣読をアンクにしました。
翻字:U28+Z7
転写:wḏꜣ
慣読:udja(ウジャー)
品詞:名詞(男性単数)
意味:「繁栄」
これは、三子音文字 wḏꜣ (U28) に斜めに一子音文字のw (Z7) が書かれています。
翻字:s(nb)
転写:s(nb)
慣読:seneb(セネブ)
品詞:名詞(男性単数)
意味:「健康」
これは一子音文字の s ですが、ꜥnḫ wḏꜣ ときて次にこの文字だとその後に nb を補足して
snb と読みます。ꜥnḫ wḏꜣ snb はある種のイディオムです。snb は「健康」という意味です。
これらの単語が、この文の目的語です。本当はこの文の目的語はもっと続くのですが、今回はここで終了としましょう。
20.3 全体の訳
それでは、全体を訳してみましょう。まず、[m] (欠損部分:~として) jswï (お返し) nn (これ) は「これに対するお返し(として)」という意味でした。次に rt(j) (与えた) [動詞]、 n=f (彼に) [間接目的語]、 nṯr.w (男神たち) nṯr.wt (女神たち) [主語] は「男神たちと女神たちは彼に与えた」という意味です。最後に直接目的語がたくさん来て、qn(w) (勝利)、nḫt (力)、ꜥnḫ (生命)、 wḏꜣ (繁栄)、 s(nb) (健康)ということで「勝利、力、生命、繁栄、健康を」という訳になります。これは、完了相主文の構文となります。
「これに対するお返し(として)、男神たちと女神たちは、彼(王)に勇敢さ、力強さ、生命、繁栄、健康を与えた。」
なお、転写において欠損部分は、ライデン記法という、もともと西洋古典学(ギリシア語・ラテン語)で発達し、エジプト語の転写にも用いられる記法を用いて、角括弧 [ ] で表します。
いかがでしたでしょうか?実は、ヒエログリフ部分だけを見ていると、 rt(j) n=f nṯr.w nṯr.wt 「男神たちと女神たちが彼に与えた」の部分を、jswï nn「これのお返し」を先行詞とする完了相の関係節として判断して、「男神たちと女神たちが彼に与えたこれらのお返し」と訳すことも可能なように思われます。しかし、民衆文字エジプト語とギリシア語ではrt(j)に対応する動詞が完了相の主文となっているので、これに合わせてヒエログリフでも完了相の主文として判断しました。このようにヒエログリフで書かれたテキストには絶対的な解釈はなく、どの解釈が最も合理的か、そして、他のデータと照合させ、その解釈が他のテクストでも当てはまるかを総合的に判断して、最適解を求めていきます。次回も、ロゼッタストーンから簡単な例文を取り出して、読解していきます。
注
[1]画像はPublic Domain(https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/ca/Rosetta_Stone_BW.jpeg、最終閲覧日2020年10月22日)。ロゼッタストーン全体の画像については大英博物館の公式WEBで確認・ダウンロードすることができます(Museum number EA24, https://www.britishmuseum.org/collection/object/Y_EA24?fbclid=IwAR2ijIFhoXbaymoh-IZ6GEo566mM8BSxjVkyYWofPVAxHJybOfi2ybV2OGw、最終確認日2020年10月28日)。また、大英博物館公式のロゼッタストーンの3D画像もSketchFabで見ることができます(https://sketchfab.com/3d-models/the-rosetta-stone-1e03509704a3490e99a173e53b93e282、最終確認日2020年10月28日)。