書評 『重複の文法的研究』(程莉著)

大谷直輝


(東京外国語大学)

キーワード:重複の文法的研究 程莉 語用論 文法論 冗長性 言語の体系

 突然だが、次の例を見て欲しい。(1)-(5)の文の中にはどのような共通点があるだろうか。

(1) 大学を休学して留学をする
(2) サッカーの試合を観戦する。
(3) 彼のいいところは優しいところです。
(4) 後で後悔しても知らないよ。
(5) 3人の小さなこどもたちがジャングルジムで遊んでいる。

 一見すると、特に共通性が見られない文が羅列してあるようにも思われるが、これらの文は、「重複」と呼ばれる現象が関わっている点で共通している。重複とは「言語表現において、同等と判断される意味の表現が複数個所にわたって認められる場合、その表現の意味的な重なり」(p. 8)と定義される。この定義に従うと、(1)の「大学」と「休学」、(2)の「試合」と「観戦」、(3)の「いいところ」と「優しいところ」、(4)の「後」と「後悔」、(5)の「3人」と「こどもたち」は、表現同士の意味的な重なりが見られるため重複となる。「重複」表現は、規範主義的(prescriptive)な観点からすると、避けるべきとみなされるものであるが、(1)から(5)のような表現は、コミュニケーションをするうえで不自然には感じない表現であり、日常言語にあふれている。

 本書は、正用とも誤用ともされる重複に対して、記述主義的(descriptive)立場から、重複は冗長性が言語に現れるパターンの一種とみなし詳細な観察を行うものである(p. 5)。主な論点として、著者は、1) 重複現象に文法的要因が関与する度合いと、2)重複の要因度に関する言語差に注目している。重複を文法の観点から論じるという本書の立場は一見すると現代の言語学の潮流とは相反するように思える。現代の言語学では冗長性より、その対極にある「経済性」、すなわち、ことばの仕組みは人間ができるだけ労力を使わなくて済むようにできているという特性に注目をした文法研究が多い。もちろん、経済性が言語における本質的な特徴である点は疑いようがない。例えば、言語知識の記憶という点では、記憶できる内容は意識的であれ無意識的であれ有限であるため、効率的かつ経済的に記憶をする必要がある。また、言語産出にともなう労力を考慮すると、繰り返し用いられる言語表現や頻出するコロケーションは経済性の原理によって、形式が弱化することもある。一方で、冗長性については言語内に広く観察されることが認められるものの、文法の研究というより、修辞学の研究や、規範と誤用の立場から論じられることが多い。

 本書は、重複や冗長性を修辞学や誤用の問題とせず、言語の体系内に深く入り込んだ本質的な特徴である可能性を示唆している。特に、「項-述語」「主題-題述」「修飾-被修飾」「並列」という4種類の異なる構造における重複を扱っている。各章では、それぞれの構造においてどのような重複表現が可能であるかを、作例や用例を用いて丹念に明らかにすると同時に、必要に応じて文脈も考察することで論じている。また、日本語、中国語、英語を比較することで、各言語において、どのような種類の重複がどの程度まで許容されるかについても比較検討を行うことで、重複の容認には、語彙的な不透明性や意味に加えて、文法的な要因も強く影響していることを示している。

 本書が示したように、重複が言語の様々な構造で広範に観察される事実はどのようなことを意味しているだろうか。そのカギとなるのは、話し言葉に広く観察される冗長性ではないだろうか。即時性や線状性が見られる音声言語を用いたコミュニケーションにおいては、周囲の雑音、集中力の低下、発話者の言い間違いや言いよどみなどによって、発話の一部が聞き取れないことが往々にある。聞き取れなかった内容は、会話内の他の部分によって重ねて伝達される冗長性によって補うことができるため、重複は話し言葉のコミュニケーションを円滑に進めるうえで不可欠な要素となる。ここで、一つの仮説として考えられるのは、即時的なコミュニケーションを支えるうえで必要となる冗長性とその言語的な現れである重複表現が繰り返し用いられる中で、パターンとして定着していき、文法の一部となっていったという用法基盤主義(the usage-based approach)の考えである。本書の詳細な記述によって明らかになった、文法に深く入り込んでいる様々な重複の存在は、言語使用の中から創発し、揺らぎ、定着する人間の言語知識のありようの一端を詳細に捉えているように思える。


ひつじ研究叢書(言語編)第171巻
「重複」の文法的研究
程莉著
定価4000円+税
A5判上製 160頁
ISBN978-4-8234-1018-5
ひつじ書房

http://www.hituzi.co.jp/hituzibooks/ISBN978-4-8234-1018-5.htm

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