根拠にしない「郊外」
助川 今回、取り上げるのは、多和田葉子の『犬婿入り』です。この作品については以前、重里さんと少しお話した記憶があります。そのとき、舞台になっている町がどこなのか、議論になりました。結論は、溝の口、でしたっけ?
重里 東京の西の郊外なのは間違いないでしょう。多摩川沿いの住宅地ですね。
助川 「〈日本橋から八里〉と刻まれた道標の立っているあたりは、小さな宿場町として栄えたこともある」という叙述が出てきます。日本橋から西向きに八里行った宿場というと、保土ヶ谷なんです。多摩川をはるかに越えちゃってます。
重里 どこかが特定できない書き方をしているということでしょうか。「ある郊外」を描くことで、「郊外一般」に通底する場所を設定しようとしたのかもしれません。いきなり乱暴なことをいうと、東京の中心部以外は、日本中に「郊外」が広がっているといえないわけではないでしょう。
『犬婿入り』は一九九二年の作品です。当時、島田雅彦が盛んに「郊外」という言葉を自分の立ち位置として語っていた記憶があります。
助川 実際、『彼岸先生』とか、「郊外」を中心的なテーマにした小説を、あのころの島田は発表していました。
重里 中上健次は、紀州新宮の被差別地域である「路地」を舞台に小説を書き続けた。大江健三郎の書くものには、四国の山奥の村が繰り返し現れます。そういう「創造の根拠」になるような土地と島田は無縁だった。そこで「郊外」を持ち出したように思います。
助川 でも、「郊外」っていわれて思い浮かぶのは、たとえば団地です。高度経済成長期以降に人工的に開発された風景。その土地固有の歴史とのつながりは絶たれてしまっている。そういう「根なし草性」が「郊外」の特質だとすると、「路地」や「四国の山奥の村」の代わりにはならないはずです。
重里 根拠がないのが「郊外」なのに、島田は「郊外」を根拠にしてしまうという転倒を演じてしまった。「ポストモダン青年」としてデビューして、根拠を持たないことが島田の売りでした。しかし、それを演じ続けるのにも限界があった。そうなったときに、根拠にならないものを根拠にするという矛盾を犯してしまった。これが島田の悲劇です。
助川 島田の「郊外」ものは、今となってはあまり読まれていません。
重里 その点、多和田は「郊外」を描いても、「根拠地」にはしていません。彼女は絶えず移動している。本物のポストモダン文学というのは、多和田の小説のようなものなのでしょう。
絶えず移動を続ける文学
助川 『犬婿入り』の登場人物たちも、最後にはみんなどこかへ行っちゃいますからね。そういえば、重里さんが絶賛されていた『容疑者の夜行列車』も、どんどん移動していく話です。
重里 どうにかして、『容疑者の夜行列車』を文庫にできないものでしょうか(笑)
ここで、大切なことがあります。多和田にとって「移動」というのは、たんなる「逃避」みたいな、ネガティブなものではないのです。逆に何かを求道的に探していく営みのように見えます。求心的な「移動」なのです。それでは、多和田の登場人物たちは、究極的には何を目指しているのか。私はそれを、「自由」という言葉で表現したいと考えています。
助川 『犬婿入り』で、主人公の塾の先生が男と仲良くなります。でも、いつまでも一緒にいるわけではなく、やれるだけのことをやったら別々の相手と、別々の場所に移動する。
重里 どんなにうまくいっているチームでも、やるべきことをやったらいったん解散したほうがいい、とよく言われます。ビジネス上のプロジェクトを立ちあげる場合も、音楽でユニットを組む場合も。
助川 しかし実際は、なかなかそう潔く解散できない(笑)。多和田の登場人物たちは、例外的な存在です。
重里 「現状を放棄する」「やってきたことを終える」というのは、しばしば諦めとか、挫折とか、消極的なものと結びつきます。ところが多和田の世界では、新しい可能性を追いかけるために変化や移動がある。そこが多和田文学の、たぐいまれな魅力であり、特長といえるのではないでしょうか。
助川 無意味なくり返しをダラダラ続けるより、新天地を求める。そういう精神が、多和田にはあるのでしょう。
重里 この小説の文体も、「多和田ならでは」という感じがします。センテンスが長く、揺らめきながら言葉が連なる。これと表面的に似た文体で書く作家は、いないわけではありません。ただ、ほとんどの作家は、茶化したり、斜に構えたり、はずしたり、脱臼させたり。いってみれば、逃げを打とう、韜晦しよう、転戦しようとするときにこの種の書き方をします。
多和田のロング・センテンスは、まったくそれと違っている。何かを求め、まさぐるからこそ一文が長くなるという印象です。そこに多和田の決して詩に収斂しない、散文の魂みたいなものを私は感じます。
助川 この『犬婿入り』は、フォークロアっぽいところもある怪異譚です。しばしば指摘されるとおり、上田秋成の『雨月物語』なんかを彷彿とさせる部分があります。
重里 なるほど。現代の作家たちは上田秋成を好みますね。村上春樹にも秋成の影は落ちている。
助川 じゃあ、そういう近世小説オマージュみたいな作風でずっと書いていくのかと思うと、次の作品では別の方法、別の文体を選択するわけです。どんどん書き方を変えていって、読者に尻尾をつかませない。
しばらく前まで、私はそこに不審感を持っていました。頭のいい秀才作家が、いろんな技法を器用に使いこなしているだけ。作品から、実存の核みたいなものは感じられない――そんな風に多和田を見ていたのです。
最近になって、自分の捉え方は間違っていたと思うようになりました。一つの核みたいなものに留まらず、どんどん変わっていく。それこそが多和田が強いられている実存のあり方だと気づいたのです。自分の生理みたいなものと結びついた言葉に留まれないところに、多和田の生理は現れている。
ドイツとロシアを往復
重里 当初は多和田の凄みがわからず、突然、雷に打たれたように多和田の輝きが実感できたというのは、私も全くそうです。最初は私の苦手なタイプの、知性をひけらかす作家だと勘違いしていました。「語学が得意な、器用で頭のいい作家」だと思っていたのです。
ところが全然、違った。そんな形容にとどまらない、「文学でしかできない挑戦をし続けている不屈の魂」というか。そういう特権的な作家ですね。何だか、形容が陳腐で申し訳ないですが(笑)。私はそのことに、仲間と読書会をやっていて、何かの啓示のように、一瞬にして気づくことができました。
自分をどんどん前向きに変えていく作家なのだと思います。そういう多和田に私は、世界というか、社会というか、そういうものに対する肯定的な姿勢があるのを感じます。
興味深いのは、多和田の出身高校は、都立の立川高校なのです。当時、立川高校には第二外国語があって、多和田はドイツ語を選択していたと年譜などには書かれています。それなのに早稲田では、ロシア文学を専攻し、卒業するとまたドイツに留学する。ドイツとロシアを行ったり来たりしているところが、実に不思議で、魅力的で、多和田らしいといえないでしょうか。
社会に対し肯定的な部分、社会について、人生について、人間について、共同体について、前向きに考えを深めていこうとする姿勢は、ロシア文学の影響かもしれないと私は思っています。そこにドイツ的なものが重なって、多和田のかけがえのない独自性が生まれる背景になった。前回話題にした遠藤周作とは、明らかに異質の作家です。
助川 その「遠藤との違い」という部分を、もう少し説明してください。
重里 遠藤周作はフランス文学を専攻しました。フランス人の観念的な神の捉え方に違和感を覚えつつ、日本の土着の伝統にも根を降ろせない。日仏どちらの側にも確かな足場を持てないというのが、遠藤の終生のテーマでした。
それに比べると多和田は、地に足がついている。自分の身体で社会と接し、人間について考えている印象を持ちます。自分の血を通わせるように言語と徹底的にかかわっているからでしょうか。
助川 ロシア文学は、土着の伝統をつねに問題にしていくようなところがあります。いっぽうドイツ文学には、「それなりに安定した生活が、思わぬきっかけで揺るがされる」みたいな作品が多いです。この二つが融合すると、多和田のような世界が生まれるということでしょうか。
重里 多和田におけるロシアとドイツという問題は、じっくりと取り組みたいですね。
もうひとつ興味深いのは、多和田は一九六〇年生まれ。私より三つ下です。私たちの世代は、上は全共闘世代、下は新人類世代という特徴的な二つの世代にサンドイッチにされています。
全共闘世代は、学生運動をやって既成の枠組みを打ち破り、社会人になってからは日本の高度経済成長を支えた。新人類はバブル期の消費文化を存分に楽しみ、何もかも消費の対象にして、社会も共同体も解体していくのを促した。
私たちの世代は、全共闘世代ほどには声高に自分を主張しない。バブル世代のように消費に埋没もできない。そういう世代の肉声を多和田は代弁してくれている気がするのです。派手さはないが、地に足をつけて、つまらないことに惑わされずに、世の中と何とか肯定的に向きあっていこうとしている。
「偶然」と「移動」
重里 ドストエフスキーの小説には、しばしば「偶然」が描かれます。その「偶然」は、プロットを都合よく展開させるために設定されているのではない。人生について深く考えさせる契機としての「偶然」です。
『罪と罰』で、ラスコーリニコフが老婆を殺しに行ったとき、どうして老婆の妹がその場にいたのか。これは「偶然」です。しかし、この「偶然」によって、私たちは生きていることのままならなさを思い知らされる。これは亀山郁夫先生から教えられたことです。
ドストエフスキーの描くそうした「偶然」は、現代の若者にも訴える力を持っているはずです。そして、ドストエフスキーの「偶然」は、多和田の「移動」とつながっているような気がしてなりません。多和田の「移動」は生そのものの生々しい感触を伴っているように思うのです。
助川 多和田のデビュー作は『かかとを失くして』です。その文庫版のあとがきに、彼女はこう書いています。「『国外に出た人間は、自分の根っこを失った可哀想な存在だ』などと考えたことは一度もない。むしろ、つまさきで立って高い塀の向こうを覗く時や、軽やかに立ち位置を変えている最中、かかとは地についていない方がいいと思ったことさえある」。これは、「私は『移動』する存在だ」という宣言です。いっぽうドストエフスキーは、ロシアの大地にかかとをつけろ、と主張する作家とはいえませんか?
重里 かかとが大地についていないのは、ラスコーニコフも同じです。国外に出る体験は、かかとを奪うのではなく、かかとがないことを露呈させるのだと私は思います。ラスコーリニコフだって、老婆だけでなく、老婆の妹も殺す羽目に陥るのは、かかとがないからです。そしてドストエフスキーは、「かかとのない自分」から目を背けるな、と言っているのではないでしょうか。
助川 『かかとを失くして』の主人公は、人造のかかとをつける手術を拒みます。ドストエフスキーは、軽率な西洋近代の受容は、借り物のかかとを移植するようものだと言いたかったのかもしれません。
重里 それにしても、少し前の若者より、現代の大学生のほうが、今のような話にリアリティーを感じるように見えます。これはどうしてでしょう?
助川 バブルの頃は、若者が贅沢をして、消費文化を引っぱっていました。そのせいで、「自分には世の中を動かす力がある」という「自己重要感」を持つこともできた。現代の大学生に、そんな「自己重要感」はありません。自分が世の中を変えられるとは微塵も思っていないのです。だから、主体的に動いて何かが起こるより、事件の渦に受身的に巻きこまれるほうが、日ごろの実感に近いのでしょう。
重里 辻村深月の小説に印象的な言葉がありました。現代の若者は自己肯定感は低いが自己愛は強い、というものです。言い得て妙だと思いました。自信がないから、新しいことを始める勇気をなかなか持てない。一方で自己愛が強いので、傷つくのを嫌がる。根拠のないプライドを持っていて、自分が汚れるのを嫌う。
助川 石川達三の回にお話ししたことをくり返すと、今の若者は貧困に苦しんでいても、ブラジルに行ったりはしないのです。今いる環境を自分の力で変えるとか、そこから脱出するとかいう発想が持てない。
重里 多和田の登場人物たちは、自分に高い価値を見いだしているかどうか疑問です。しかし、彼らはそれでも移動していくのです。
助川 自己肯定感は低くても、自己愛も希薄なのかもしれません。だから、「この場を離脱しないと生き延びられない」と感じると、次の居場所を求めてすぐさま動き出す。
なぜ、郊外を描いて成功したのか
重里 島田雅彦が「郊外」の文学を書くことに失敗した、という話が冒頭で出ました。その点、この『犬婿入り』は、島田ができなかったことをやった作品ともいえるわけです。土着と新興住宅地が水と油みたいになっている。お互いを理解しているようで全くわかりあっていない住民たち。「郊外」がみごとに描かれています。
島田にできなかったことがどうして多和田にはできたのか。ここまでお話しして、わかった気がします。島田には「自己重要感」があって、それを捨てきれなかった。だから「郊外」という「無根拠な空間」の実態に迫れなかった。一方、多和田は、「自己重要感」が希薄だから、「郊外」のリアルを写しとれた。
助川 「自己重要感」はなくても「自己愛」を捨てれば、より自由になれる場所を探しに旅立つことができる――多和田の文学は、非常に今日的なメッセージを発信しているのかもしれません。
重里 それが、こんなに私たちの心に響く理由でしょう。
助川 大江や中上のように〈書く根拠〉を持たない自分が、小説家をやっていいのか――。島田のやろうとしたことを極限まで突きつめていくと、この問いにぶつかります。島田自身は、これに正面から向きあうのを避けた。多和田は向きあって、「根拠がなければ、探して動きまわればいい」という結論を出した。
私自身、自分が文学とかかわる必然があるのかどうか、この齢になっても日々疑っています。それでいて、島田じゃないですが、この疑念から目を背けて生活しています。ですから今日、こうやってお話して、多和田に勇気づけられたような気になりました。