古代エジプト語のヒエログリフ入門:ロゼッタストーン読解|第18回 ロゼッタストーンを読む前の復習:表語文字編|宮川創・吉野宏志・永井正勝|

18.1 表語文字のおさらい

 

前回はロゼッタストーンで実際に出てくる例を見ながら表音文字のおさらいをしました。今回は、おなじように表語文字のおさらいをします。表語文字は、基本的に、その文字が一つの語に対応している文字でしたね。たとえば、(K4)は見てのとおり、魚を象っていますが、ここでは、ナイル川に生息する「オクシリンコス」[1]という名前の魚を象っています。ここで、「オクシリンコス魚」のエジプト語の音はꜣ.tです。ということで、(文字)=「オクシリンコス魚」(文字が象っているもの)=「オクシリンコス魚」(語の意味)=ꜣ.t(語の音)の等式が成り立ちます。このように、文字が象っている対象が語の意味と語の音とに結びついている文字が、表語文字です。この例は特に「オクシリンコス魚」を象った文字が「オクシリンコス魚」を意味しているので類像的表語文字と呼ばれます。

 

表語文字には他にもメトニミー的表語文字というものがあります。例えば、古代エジプトの「神」を表す表語文字であるnṯr の文字(R8)は、神殿の前に立つ「旗」を象ったものです。この神殿の前に立つ旗によって、その神殿に祀られているもの、すなわち「神」を表していることから、メトニミー(換喩)となっています。「国会」の意味で使われる「永田町」も、国会議事堂の所在地の名称がそこで行われる議会を指し示すというメトニミーの一例です。

 

前回までに紹介してきた表音文字は音を表すものであり、文字が象るモノは単語の意味を示したものではありません。例えば、f の文字は「角がついた毒蛇」を象っていますが、この文字は子音 f を表す文字であり、「角がついた毒蛇」を意味するものではありません。

 

ただし、歴史的には、もともと「角がついた毒蛇」を意味する表語文字だったものが、音だけ借りて、同じ音を表す表音文字として使われるようになったと考えられます。このように表語文字の音だけ借りて表音文字として用いる方法を、リーバス法と呼ぶのでしたね(第3回を参照)。

 

ヒエログリフでは、表音文字であるrは、「口」を表す表語文字rでもありますが、このように、リーバス法の過程である表語文字→表音文字の両方が残ってるケースもあります。

 

さて、今回はロゼッタストーンの赤枠で囲った部分(ヒエログリフの残存部分の7行目)を読みます。

写真はパブリックドメインのものを使用しました[2]

 

この箇所の写真を拡大しましょう。

少し解像度が低いこともあり、読むのが難しいかもしれません。そこで、これをJSeshというヒエログリフを入力するソフトウェアを使用して左右を反転して表示すると次のようになります。

 

転写:n nṯr.w spꜣ.t:ï.w m ḥb.w tp tr.w

翻字:S3-Z3-R8-N24:N24N24-Aa15:W4-Z3-D1:Z1-M64-N5:Z2A

慣読:エン・ネチェルー・セパーティウー・エム・ヘブー・テプ・テルー

意味:「季節の始まりの祭典でノモスの神々のために」

 

それではまだ習っていない文字からご紹介します。

 

18.2 表音文字

転写:n

翻字:S3

慣読:en (エン)

 

これは表音文字nです。表音文字nといえば、私たちは、波を表すを習いましたね。この王冠を象ったnは、波の表音文字nと同じnの音を表します。遅くとも第12王朝時代には表音文字nとして使用されていたようですが、第18王朝時代以降に表音文字nとしてよく使用されるようになります。ロゼッタストーンが作られた時代であるプトレマイオス朝期でも用いられています。ここでは前置詞nで「~に、~のために」を意味します。

 

転写:m

翻字:Aa15

慣読:em (エム)

 

子音のmを示す一子音文字といえば、フクロウのがありましたね。第18王朝時代以降になると、Aa15もmを示す一子音文字としてよく使用されます。mは前置詞で「~の中で、〜において、〜で」を表します。

 

18.3 表語文字

 

転写:spꜣ.t

翻字:N24

慣読:sepat (セパート)

 

これは新しく出てきた表語文字です。象っているものは「灌漑用水路」なのですが、そこから類推して「地区」という意味、さらにはエジプトの行政区分である「ノモス」を表すメトニミー的表語文字となっています。古代エジプト人はエジプトを複数のノモスという単位、現代日本風に言えば「都道府県」、にわけて統治しました。ノモスの数は時代ごとに異なりますが、上エジプトに約22個、下エジプトに約20個ありました。

 

転写:Hb

翻字:W4

慣読:heb(ヘブ)

 

ヘブは「祭、祭典」を表す表語文字です。これは (O22) と (W3) の組み合わせで、W3は祭の際に清めに使われる「アラバスタの桶」を表し、上のO22の部分は、祭の際に設置される「柱で支えられたブース」を表します。このように祭の道具で祭を表しているので、この表語文字はメトニミー的表語文字と言えます。ちなみに、ファラオの即位30年目を記念する「ヘブ・セド」(セド祭)の「ヘブ」でもW4が使わます。

 

その次にある tp (D1:Z1) は「古代エジプト語のヒエログリフ入門:ロゼッタストーン読解|第12回 ヒエログリフの決定符(2)」で出てきましたね。これは類像的表語文字で、その表語文字が象っているようにもともとは「頭」という意味の名詞でした。さらに、メトニミー的表語文字として「始め、開始」という意味を持つようになりました。

 

転写:tr

翻字:M64

慣読:ter(テル)

 

この文字の上部は「ヤシの木」を表しており、「季節」を表すメトニミー的表語文字です。古い時代では下部が音声補字となっている文字が使用されており、下部が t になっている (M5) や r になっている (M6) がよく出てきますが、プトレマイオス朝では「日」の決定符の簡略版であるに置き換わっていることがあり、ロゼッタストーンではこの文字が使用されています。この tr の後には、「日」や「季節」に関する決定符であると複数の決定符である (Z2a) が続いています。

 

18.4 翻訳

それでは翻訳してみましょう。例文は前半部と後半部に分かれます。

転写:n nṯr.w spꜣ.t:ï.w 

意味:「ノモスの神々のために」

 

spꜣ.t:ï.wspꜣ.t「ノモス」が三つ書かれたものです。表語文字が二つ書かれるとその語は双数形に、三つ書かれるとその語は複数形になるのでしたね。表記には現れていないのですが、一つので「ノモスの」という形容詞になっているために形容詞化接尾辞であるを補い、spꜣ.t:ïと転写します。この「ノモスの」が三つ書かれているため、複数接尾辞.wがついてspꜣ.t:ï.w「ノモスの」となります。

 

 (R8) nṯr「神」では、複数を表す (Z3) が「神」を示すR8の文字の前に書かれていますが、このような表記で nṯr「神」の複数形となり、nṯrに複数接尾辞の.wがつきます。通常、Z3は名詞の後に書かれるのですが、今回は前に書かれる特別なケースです。先ほど出てきたspꜣ.t:ï.w「ノモスの」が複数形となっているのは、このnṯr.wを修飾しているためです。名詞が複数形なら、それを修飾する形容詞も複数形になります。したがって、nṯr.w spꜣ.t:ï.w で「ノモスの神々」となり、この名詞句の前に与格の前置詞nがあるため、全体で「ノモスの神々のために」となります。

 

次は後半部です。

転写:m ḥb.w tp tr.w 

意味:「季節の始まりの祭典で」

 

名詞ḥbtrには、複数を表す決定符である、(Z3) と(Z2A) がそれぞれついているため、複数接尾辞.w がつきます。tpは名詞「始まり、開始」という意味で、これにtr.w「季節(複数形)」がかかっているので、tp tr.wの全体で「季節の始まり」となります。そしてこの名詞句がḥb.w「祭典(複数形)」にかかっているため、その直訳はḥb.w tp tr.w「季節の始まりの祭典」となります。そしてこの名詞句の前に前置詞m「~の中で、〜において、〜で」があるので、「季節の始まりの祭典で」となります。

 

よって、今回確認した箇所は、

転写:n nṯr.w spꜣ.t:ï.w m ḥb.w tp tr.w

翻字:S3-Z3-R8-N24:N24N24-Aa15:W4-Z3-D1:Z1-M64-N5:Z2A

慣読:エン・ネチェルー・セパーティウー・エム・ヘブー・テプ・テルー

意味:「季節の始まりの祭典でノモスの神々のために」

という意味になります[3]。うまく読めたでしょうか? 次回は今回と同じように決定符のおさらいをしてから、ロゼッタストーンを読んでいきます。

 

 

[1]ちなみに、貴重な聖書正典や外典の断片や、その当時の人々の暮らしを知ることができる行政経済文書など、多数のギリシア語のパピルスが見つかったエジプト中部のオクシリンコスという古代の都市の名前はこの魚に由来します。

[2]https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Rosetta_Stone_BW.jpeg、accessed: 2020-03-20。

[3]エジプト語のspꜣ.t:ï.w「ノモスの」、ḥb.w「祭典」、tr.w「季節」は複数形なのですが、日本語訳ではあえて複数形にしていません。これは、自然な日本語を考慮してのことです。このように、翻訳元の言語と翻訳先の言語において構造や文法範疇等が異なる場合、原文の文法を翻訳に反映させることが難しいことがあります。そのような翻訳の限界を補うために用いられる工夫の一つが転写なのです。転写には、複数形接辞.wを付加して、資料に対する読み手の文法解釈を示しています。逆を言えば、転写等によって文法解釈示されているのであれば、翻訳はある程度柔軟に行うことができるのです。

 

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