平成文学総括対談|第5回 大震災の後で|重里徹也・助川幸逸郎

 

昭和という不実な美女

 

助川幸逸郎 重里さんが「震災がテーマなら、まず、この作品を語ろう」といってタイトルを挙げられたのが、高村薫の『土の記』です。この作品、たしかに震災が出てくるのだけれど、テーマになっているのはそれだけではない。平成日本の現状を大きな枠組みでとらえて、その枠組みのなかに震災も位置づけていると感じました。

 

重里徹也 冒頭は、妻を亡くした主人公が孤独な朝を迎える場面です。いきなり、高村ワールド全開です。

 

助川 この妻の名前が「昭代」さんで、亡くなったのが1月8日ということになっています。「昭代」という名前は、「昭・和の御代・」から来ているのはまちがいないと思います。昭代さんの命日は、昭和天皇が亡くなったのと一日ちがいです。

 

重里 主人公が「昭和に去られてとり残された男」であることは、明らかに意識されているでしょう。しかも、主人公が定年退職した会社は、シャープなのですね。これも象徴的です。

 

助川 昭和のころは超優良企業でした。

 

重里 関西では、「シャープに勤めている男と結婚するのは女性の幸せ」といわれていた時期がありました。シャープペンシルも、日本においてはこの会社の創業者(早川徳次)が発明したといわれています。なぜ、そんなことを知っているかといえば、小学生の時に大阪市内のシャープの工場へ見学に行ったからです。社長の話を聞いたのを覚えています。1960年代後半のことですが。

 

つまり、戦後日本の技術立国を象徴するような企業だったのですね。それで大阪の小学生の見学対象になった。それが今や、冴えない状況になっている。シャープの現況と、主人公のあり方が重ね合わされるように描かれているとも読めます。

 

助川 昭代さんは奈良の旧家の出で、妻に先立たれた主人公は、昭代さんが生まれ育ったりっぱな邸宅にひとりで住んでいる。朽ちかけたその家で、名家の最後の生きのこりとして暮らしているわけです。そして、彼が毎日いそしんでいるのは米づくり。主人公は、「古きよき日本」に何重にも縛りあげられています。

 

重里 その奥さんが、美人で活発な女性だったようだけれど、浮気をしていたらしいという話が出てきますね。つまり、主人公は寝取られ男なんですね。

 

助川 奥さんの一族は代々、「美人で、浮気をする女性」を出すという設定です。「主人公が殉じようとする古き日本は、それをするに価しないものだった」という疑念があらわされているのでしょうか。

 

重里 主人公が住んでいるのは、奈良の宇陀です。『万葉集』にも出てくるぐらいですから、歴史の古い、さまざまな文化的伝統を刻んだ土地といえます。

 

助川 柿本人麻呂の「 ひんがしの野にかぎろひの立つ見へて返り見すれば月傾きぬ」という歌は、宇陀で詠まれたらしいですね。

 

重里 そういう場所を舞台に選んだことにも、高村の意思を感じます。

 

助川 よく「昭和のツケを払わされた平成」ということがいわれますが、平成になっても、高度経済成長の夢が捨てきれない、それゆえ時代からどんどん遅れていく、そういう現代日本の負の側面が語られた作品といえるでしょうか。

 

変われない日本

重里 高村は怨念のように、現代日本の暗い側面を描き続けています。読みながら、いよいよそれが行きついたという印象を抱きました。

 

「変われない日本」を、哀愁をこめて描いているのですね。日本は、昭和のころは技術で世界をリードしていたのに、各種統計を見ればわかるように、現在ではいろんな方面で、世界の先端ではなくなりつつある。日本のそんな行きづまりを、凝縮して表現している小説ともいえるでしょう。

 

助川 たいへんな力作です。

 

重里 破格の力作ですね。高村薫は「社会派の作家」といわれていて、社会問題に関心がつよいひとです。時代を象徴するような大きな事件が起きると、マスメディアがよくコメントを求める。嫌がらずに、しっかりと持論を語ってくれる今や数少ない作家です。記者にとっては実にありがたい存在ともいえるでしょう。1970年代には、そういう作家が何人もいたのですが、いまではもう高村さんぐらいしか、見当たりません。

 

助川 文章技巧の面からいうと、『土の記』は高村にとって冒険だった気がします。とにかく高村の文体は、ひとつのフレーズ、ひとつの単語、どれをとっても狙いが明確です。「圧倒的な筆力」としばしば評されるのも、そこの部分を指しているのだと思います。ところがこの小説は、おもに主人公の視点から書かれているわけですが、彼は脳梗塞になったりして、どんどん認識があいまいになっていく。

 

重里 まだら惚けみたいな症状といえばいいでしょうか。アルツハイマーを疑いたくなります。この朦朧とした感じがまた、現代日本の感覚に通じているのですね。

 

助川 明晰に書くことにかけては比類のない作家が、老人のぼんやりした意識状態を描こうとする。これはたいへんな挑戦だったと思います。

 

重里 老人のぼんやりとした認識力が、輝きを失っていく日本の姿と重なっているように思います。少子高齢化が高速度で進む日本では、老いの問題、高齢者がどうやって生きるかは目をそらせない問題です。高村としては、この問題にも真正面から取り組みたかったのでしょう。

 

助川 日本の近代文学には、「爺さん小説の系譜」みたいなのがあります。川崎長太郎の晩年の作品とか、老人になった男性私小説作家がじぶんのことを書く。そうすると、それなりに説得力のある作品が生まれるわけです。

 

重里 尾崎一雄の『閑な老人』とか。

 

助川 中上健次がむかし「翁の文学」という言いかたをしていましたが、このタイプの「爺さん小説」は、『方丈記』なんかの「隠者文学」にまでさかのぼることができる。そういう「伝統の型」に即した作品とは別の、リアルであたらしい老人小説に高村は挑みたかったのでしょう。

 

重里 ただ、高村は粘着質というか、細密に物事を書いていくのがデビュー以来の特徴なのですが、そこのところは『土の記』でも変わっていません。

 

助川 高村の文体は、どこをとっても狙いが明確、とさっきいいましたが、じぶんが描こうとする世界をあいまいなまま読者にゆだねないで、書けるだけきちんと書いて提示しようとする作家なんだと思います。ぜんぜん、「塗りのこし」みたいな部分を高村はつくりませんよね。

 

オノマトペが示すもの

重里 空間恐怖の文学ですね。それが異様な迫力に結びついている。油絵的というか、何度も塗りかさねていく文体です。密度が濃いです。

 

さらに気になったのは、オノマトペ(擬音語や擬態語)が非常に多いことですね。しかも、意識して、これでもかこれでもかと使われている。それが文章に奇妙なリズムを生んでいます。それにつられて、濃密な世界が交響曲のように鳴り響いていく。

 

助川 重里さんが以前、そんなことをちらっとおっしゃっていたので、このあいだ『レディ・ジョーカー』を調べてみました。そうしたら、やっぱりオノマトペがけっこう出てくるんですね。

 

重里 高村はオノマトペに親和性を持っているのでしょうか。オノマトペをたくさん使うというのは、何を意味しているのでしょう?

 

助川 たしか重里さん、井伏鱒二はオノマトペを使わないという話をしていらっしゃいましたよね。

 

重里 はい。井伏は使わない。自然主義系作家に共通する特徴かもしれません。

 

助川 自然主義作家は、なるべく書き手の作為を表面化させず、作品世界を「ありのまま」のものとして現前させようとします。比喩やオノマトペが出てくると、そこに「作為」がはたらいていることが明確化してしまうので、自然主義作家はこの二つを避けるのではないでしょうか。

 

重里 漱石や芥川は、よくオノマトペを使っていますね。モダニズムはオノマトペと親密ですね。

 

助川 オノマトペをつかうと、「特定のだれかの感覚をとおして書かれている」ということが明確になります。でも、比喩をたくさんもちいた文章のように装飾的にはならない。

 

重里 『土の記』は、オノマトペは多いですが、比喩はそれほどでもありません。

 

助川 装飾的ではないが、だれの立場からとらえられた世界であるか明確に表したい。『土の記』の文体はそこを狙ってできたものだという気がします。

 

重里 老いた主人公にとって世界がどのように現前しているのかをリアルに描く。そのためにはオノマトペが必要だったのですね。

 

 

津島佑子が抱く違和感

助川 どのことばひとつをとっても、何のために、どこに向けて書かれているかをあいまいにしない。高村には、ある種のストイックさを感じます。私はそういう姿勢を、尊敬しています。

 

一方、津島佑子は遺作になった短編集『半減期を祝って』で、震災をテーマにしていました。この作品は、ある種のディストピア小説です。子どもたちがヒットラー・ユーゲントみたいな組織にどんどん入るようになって、東北人はユダヤ人みたいに差別されている。そういう近未来の日本を描いていて、多和田葉子の『献灯使』にちょっと似ています。

 

重里 津島という作家をどのようにとらえていますか?

 

助川 初期の津島は、「障害のあるお兄さん」が出てくる作品をいくつか書いています。それから、平安時代の物語である『夜の寝覚』にオマージュをささげた『夜の光に追われて』という長編もあります。九歳の息子を亡くした母親が、『夜の寝覚』の作者にむけて手紙を書いていく、という作品です。『夜の寝覚』は、「この世に存在することに対する違和感」に焦点をあわせる点で、王朝物語のなかでも際だっています。障害のあるお兄さんが現実とうまく関係をむすべない、子どもを突然なくして、世界の不条理をえがいた古典の作者にしか心を開けない、震災後の、放射能ダダ漏れの日本を生きなくてはならない――そうした疎外意識や怒りが、津島を書くことに向かわせた気がしています。

 

重里 お父さん(太宰治)の影響はどうなのでしょうか。父親の影はどれぐらいのものだったのでしょうか。私は津島から忘れられない言葉を聞いたことがあります。ある著名な作家の子供の作品を評して、「あの人はああいうふうに書いていくのだなと思いました」とおっしゃったのですね。私は勘違いしていたらいけないので、「それはどういう意味ですか」と尋ねたのです。そしたら、「父親のことを書いて生きていく、ということです」と答えてくださいました。「自分は絶対にそうはならない」という意思が伝わってきました。

 

助川 確かに津島は、表面的には太宰に固執している印象はありません。ただ、具体的なアプローチは違っても、「生きてこの世に在ることそのものへの違和感」を書いている点は、お父さんと共通するのかもしれません。

 

その意味で、津島にとっての震災は、ずっと抱えつづけてきた問題を表現するフレームとしてうってつけだったのかもしれません。最後の『半減期を祝って』には三つの短編が収められているのですが、どれもなかなか実験的です。

 

 

「災後」と「戦後」

助川 そういえば私は先日、ある研究会の会報に、木村朗子の『その後の震災後文学論』について書評を書きました。

 

重里 木村の『震災後文学論』は随分と話題になりました。

 

助川 『その後の震災後文学論』は、『震災後文学論』の続編です。今回、書評を書かせてもらっていちばん印象にのこったのが、震災をあつかった小説がどんどん書かれたことを批判する浅田彰に対し、木村が再反論したくだりでした。

 

ポストモダン思想が流行った1980年代には、「だれもが見すごせないような論点について声高に語ることは、かえって権力を補完することになる」とさかんにいわれました。フーコーの『性の歴史』の一巻目も、「キリスト教の告解のような『語らせる状況』の設置にこそ、権力がおのれを維持する勘所がある」という内容でした。

 

ですから、ポストモダン思想の申し子である浅田彰が、「小説家があわてて震災を語る必要はない」とのべるのは、首尾一貫しています。

 

ただ、原発事故にかんしては、まだ終息にはほど遠いにもかかわらず、「なかったこと」にしようという政府の姿勢が露骨です。ポストモダン的な「デタッチメント」が、政府の「現実逃避」を黙認することにつながりかねません。その意味で、「震災後文学」を擁護する木村の側につきたい思いもあります。

 

重里 東日本大震災を、第二次世界大戦の敗戦になぞらえる言説がずいぶん語られました。「戦後」ならぬ「災後」という言葉も使われました。震災と敗戦はどこまで共通していて、どこから違うのか、難しい問題です。

 

助川 敗戦に際しては、ほとんどの日本人が一度、それまでの生き方をクラッシュさせたと思うんです。しかし、震災でそこまで衝撃をうけたひとは、かぎられるかもしれません。

 

たとえば、先ほど話題にした津島佑子なんかは、敗戦のときに作家になっていたら、震災に向き合うのと同じように反応したと思います。「この世に存在することそのものへの憤り」を、敗戦後の風景を描くことで表現したことでしょう。

 

一方で、金原ひとみの『持たざる者』はどうか。原発事故は、作中人物を根源からクラッシュさせるのではなく、彼らが「本来抱えていた問題」と直面するきっかけとして描かれています。結果、「原発事故があっても変わらない/変われない日常」が印象づけられる作品になっている。敗戦の経験は、「にもかかわらず、変わらない」という状況を生むには、苛烈すぎたと思うのです。

 

敗戦は、否応なしに日本を変えた。震災は、敗戦に匹敵するダメージがあったかもしれないのに、そのように受けとめられていないところにむしろ問題がある。『持たざる者』を読んで、そんなことを私は考えました。

 

重里 ただ、震災に関しては、これから、さらに被害が顕在化してきて、それに応じて、また違った語られ方をされるようになるかもしれません。まだまだ語られていないことがたくさんあるような気がするのです。

 

それから、次の大震災がいつ起きるかわからないのも、不気味ですね。学生たちには、生きている間に必ず遭うと思った方がいいと話しています。

 

『土の記』では、日本社会の停滞や陥落を象徴するものとして、震災が描かれていました。先ほどもお話ししたように、技術立国みたいな方式で日本を反映させることはむずかしくなっていて、かといって新しい方向性は容易に見いだせない。この国がそういう「出口の見つからない隘路」に入りこんだことを明らかにした不幸の象徴として、震災や原発事故は位置づけられていくように思います。

 

助川 状況のヤバさから目をそむけ、「このままじぶんが死ぬまで/定年になるまで逃げきればいい」と思っている人が多いのではないでしょうか。

 

 

日本人とは何か

重里 日本列島で暮らす人々はこれからどう生きていけばいいのか。日本人が日本人であるゆえんをどこに見いだせばいいのか。突破口を見いだせず社会が迷走するなかで、そうした問いがますます浮上していくと私は予感しています。

 

助川 そこで、二つのことを考えなければならないと私は思うんです。

 

まず一つ目は、十九世紀後半から二十世紀にかけて一般的だった国民国家のモデルがもはや維持できないということ。私たちは、あたらしい国家概念を考えなければいけない段階に来ています。

 

重里 でも、トランプが政権を握ったり、イギリスがEU(欧州連合)から離脱したり、国民国家の強化を求める動きも随分と起きています。

 

助川 その点については、このあいだ興味ぶかい記事をネットで読みました。グローバリゼーションに乗れるのは一部のエリートだけなので、民衆の大半はそれにとり残されて損をする。だから国内選挙ではどの国でも、アンチ・グローバル派が勝つというんです。かといって、グローバル資本主義は政治の力では止めきれないから、世界の現実は着々とそちらの側にうごいていく。国際経済と国内政治の根本的矛盾が、いたるところで露呈しているのが現在である。その記事にはそんな風に書かれていました。

 

具体的なモノの生産が先進国の経済をささえていた時代には、企業は「多少税金をとられても、民間ではまかないきれないインフラを政府につくってもらえればいい」と考えていた。ところがいま、経済の最先端になっている情報産業は、政府の力を借りなくてもまわっていきます。二十世紀には維持されていた「経済と政治の蜜月状態」が壊れつつある。そのことを考慮にいれずに、国家のあるべき姿を語っても意味がない気がします。

 

重里 もうひとつは?

 

助川 日本は、これから人口がどんどん減っていきます。国土の広さや資源をかんがえても、経済的には成長できる目いっぱいまで成長してしまった観はいなめません。「高度成長の夢よ、もう一度」という発想ではなく、限られたパイをどのように配分したら暮らしやすい社会ができるのか、そこのところを考えるべき時期が来ているのではないでしょうか。パイそのものを劇的に大きくすることは、現在の日本にとってむずかしいのです。

 

重里 そうなってくると、いくつかのものが問い直されると思うのです。日本語と日本文学です。そして、日本文化の根っこにあるものです。

 

助川 国家が経済的な補償をしてくれないとなると、ことばや文化が国家や民族をむすびつける基盤になります。

 

重里 当然、そうした状況になると、日本語や日本文学に求められる役割も違ってくるわけです。それでは、その役割はどうなっていくのだろうと考えざるを得ません。

 

 

古典教育は必要か

助川 このあいだ、明星大学で「古典教育は必要かどうか」というシンポジウムがありました。

 

重里 YouTubeで観ました。

 

助川 そこで、古典不要派の登壇者が「これからは、グローバル人材でなければ世界で戦えない。そういう人材をつくらないと日本は衰退する」と熱く語っていました。私は「決定的に古い」と感じずにはいられませんでした。

 

グローバルに通用する人材は、現在ではアメリカでも中国でも、どこでも活躍できます。一所懸命日本の税金をつかって、そういう人材をつくったあげく、そのひとは外国で就職し、日本には一銭も納税しない、ということもありえます。

 

重里 その成功者を日本に結びつけるものは何なのか、が問われますね。そういう、いわば紐帯のようなものが存在するのかどうか。

 

助川 「稼げる個人」をつくればGDPが伸びる、という図式は二十世紀でおわった。そこのところを、古典不要派のこのひとは気づいていないのです。

これからは、国際的に通用する人材をそだてるだけでなく、そういう人材が日本なり、アメリカなり、生まれそだった国にとどまってもらえるような教育が必要になってくる気がします。これからは古典教育の問題も、そういう視点をまじえて論じられるべきではないでしょうか。

 

重里 それにしても、私はこの国の将来について、それほど希望が持てないでいます。政治や経済、社会、教育。何を取っても、明るい兆しが見つからないというか。

 

助川 日本人は、変わり身がはやいので世界的に有名です(笑)。明治維新も、敗戦も、大幅な人材の入れかえをやって、まさかのスピードで乗りこえた。だから、大きなカタストロフが来るほうが、日本の再生につながるかもしれない。震災と原発事故のダメージは、トータルでどの程度のものになるか、まだ結論が出ていないのに、それらを「終わったこと」にしようとしたり、日本の一部だけの問題としてとらえようとする言説がはびこっている。そのことが、かえって停滞を長びかせているように私は思います。

 

重里 しかし、さっきもお話したように、震災の影響はこれからかたちを変えて日本社会を揺さぶるのではないでしょうか。直接的なそのときのダメージよりも、むしろそちらのほうが深刻ではないかと私は感じます。

 

助川 原発事故の影響がどの程度なのかも、ほんとうにわかるのはむしろこれからです。震災は、日本の思想や文学に、十年単位のスパンで影響してくる出来事なのかもしれません。

 

重里 高村薫はそんなことを踏まえながら、『土の記』を書いた気がします。

 

助川 原発事故のあとになって、日本は原発を外国に輸出し、それを経済発展の柱にしようとしました。しかしすべての計画が、みごとに挫折しました。

 

重里 原発にどれほどの未来があるでしょうか。そんな疑問を日本政府や日本の企業は直視しなかった。日本社会の構造的な病理を見る思いがします。『土の記』は、そこに焦点を当てようとしたわけです。

 

助川 『献灯使』や『半減期を祝って』に描かれた「鎖国状態になっている近未来の日本」は、「グローバル人材がどんどん海外に出ていって、どこにも行けない人間だけが国内にとどまる状況」の暗喩でしょう。この問題は日本だけでなく、世界のどこでも浮上してきています。

 

重里 今日は悲観的な話が多くなってしまいました。日本が直面する困難は、大なり小なり、他の地域でも問題になっている。現状に対する突破口を示すことができたなら、世界が注目してくれるはずです。日本文学の出番ですね。

 

助川 それに期待するということで、今回の対談はしめくくりましょう。

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