みなさん、いつもご一読いただきましてありがとうございます。
2017年8月、『これからの英語教育の話をしよう』を上梓しました。同年12月より、このウェブマガジン「未草」にて「これからの英語教育の話を続けよう」の連載を始めました。早いもので1年3ヶ月。始まりがあれば、終わりがあります。少しさみしくはありますが、この連載は今回で終了です。最終回にこれまでの内容を振り返りたいと思います。
本連載の目的は、前掲書から引き継がれています。タイトルどおり、この一連の英語教育の「改革」について「話」をしてもらうことです。立場はそれぞれ異なりながらも、問題意識を共有する寺沢、仲、藤原の3名でリレー連載を続けてきました。
取り扱った内容は多岐に渡ります。
最初の第0回の「連載に当たって」に下記のトピックを挙げました。
「小学校英語の早期化と教科化、中学校英語の英語化、高校英語の高度化、大学入試の民営化と4技能化に加えて、教員養成・研修のコアカリキュラムの導入、外国人専任教員の雇用、PC/タブレットやAIロボなどのICTの活用などなど…」
実際に取り扱った内容は、下記のとおりです。
- 英語教育の目的論(第9回、第13回、第14回)
- 小学校英語の導入の経緯(第3回)や 効果(第6回) 、そしてその賛否の世論(第12回)
- ネイティブ信仰に基づく無資格ALT(第1回、第7回、第8回、第10回)や英語村(第2回)
- 大学入試としての民間4技能試験(第4回、第15回)
- ICT/AI技術の発達と英語教育、とくに自動翻訳(第5回)とスカイプ配信授業(第10回)
- 教員研修、視察・指導の実態(第11回)
- 研究結果にふりまわされないリサーチ・リテラシーの重要性(第7回、第8回)
全体を俯瞰してみますと、根底にある第一の問題はニーズ、エビデンス、コンセンサスを欠いたまま、「これからはグローバル時代」、「グローバル時代は英語」というふわっとした気分で(今もなお)進んでいることです。そして第二の問題は、そのふわっとした気分がベースにも関わらず、さまざまなプロセスを経て、表面上は壮大なプランが出来上がってしまうことです。
そして第三の問題は、大変壮大なプランの割に実際のアクションが見合っていないことです。小学校英語、英語による英語の授業、プロの外国人教員による授業、公正・公平な4技能試験の開発および実施、ICT設備の拡充、教員養成・研修の充実など、すべてにおいて先立つ準備と投資が必要です。われわれが知る限りにはなりますが、そのプランに必要な人的、金銭的リソースはまったく足りていません。
そのプランの実現には公教育のインフラに相当な投資をしなければなりません。しかし今の英語教育改革の流れは(今般の教育改革全体においてもいえますが)、その投資を最低限にとどめた上で、多くを民間に委託しようとしています。そして児童、生徒をもつ保護者達が学校をとおして民間セクターに直接ペイするシステムに変わりつつあるといってよいでしょう。
公から民へ。新自由主義的な教育の民営化です。少子化をむかえ、需要が先細る教育界の救済措置とも考えられます。その急先鋒は英語教育です。
何かをとると何かを失います。教育への公的投資を制限することにより、得られるものもあるでしょう。一方、教育の民営化の事例は世界にいくつかありますが(例:アメリカやイギリス)、とても成功しているとは言えません。その改革の方向性にエビデンスやコンセンサスがあるのかどうか。そこが大変気になっています。読者のみなさんも今一度お考えいただければ幸いです。
さておき、末筆になりましたが、本連載では ひつじ書房の編集者のみなさま、とりわけ相川奈緒さんにお世話になりました。連載中、さまざまな急なお願いにも、すぐに申し分ない対応をしていただきました。誠にありがとうございます。またこの期間、締切に追われながらも、なんとかリレー連載を続けて来られたのは、読者のみなさまのおかげです。SNSやメールでいただいたコメント、すべてに対応できてはおりませんが、一つ一つに心よりお礼申し上げます。
この20-30年でコミュニケーションのツールは驚異的な発展を遂げました。しかし私たちが本当にすべき「話」はなされているのでしょうか。この連載はいったん終わりますけれども、これからも英語教育の話を続けて広がっていくことを心から願っています。