平成文学総括対談|第1回 文芸豊穣の時代|重里徹也・助川幸逸郎

新人はどこから来たか

重里 ただし、このころに見逃せない出来事が三つ、小説の世界で起こっています。

まず、沖縄在住作家たちの台頭です。純文学小説の元気がないので、芥川賞はどうしたか。沖縄に書き手を求めたのですね。その中から、又吉栄喜、目取真俊という受賞作家も出ました。また、受賞はしませんでしたが、崎山多美や長堂英吉など、魅力的な作家が知られるようになった。

「小説の原点をまさぐる」という志向を彼らも持っていました。しかし、いまだに生々しい戦争体験、米軍基地、自然破壊、共同体の解体、アイデンティティーの危機など、圧倒的な現実を前にして、それらの状況とも文学の力で対峙しないといけない。彼らは両面作戦で奮闘したのだと思います。

このころ、演劇界など他のジャンルの表現者が小説を書いて、芥川賞を受賞したり、候補になったりということも相次ぎました。評論家が「小説の終焉」を唱えている時に、純文学ジャーナリズムは必死になって「外部」に書き手を求めたわけです。

次に一九九七年(平成九年)は、桐野夏生の『OUT』と高村薫の『レディ・ジョーカー』が出た年なんですね。桐野も高村も、ミステリー畑から出た女性作家です。ふたりとも筆力抜群な社会派。ただし、松本清張のようなイデオロギー的立ち位置が明確な社会派とは根本的に違う社会派です。桐野や高村にはむき出しの身体感覚があり、それを武器に社会と向き合っている印象があった。そういう二人がそろって傑作を書いて、純文学もエンターテインメント小説もひっくるめた日本文学の最前線に躍り出た。

最後に、平成文学を代表する才能がこの頃にデビューしているのです。阿部和重、吉田修一、町田康、赤坂真理、藤沢周。彼らが群れになって登場したのを今でも鮮烈に覚えています。彼らの印象を乱暴に一言でいうと、「打倒村上春樹」です。前の世代と対立して新しい世代が登場するのが文学史のダイナミズムです。そんなことを思い出させてくれた。彼らの小説には現実に対するザラザラとした違和感がみなぎっていて、血が騒ぎました。

助川 そのことを裏側から見れば、既存の小説家たちが九五年以降の状況に対応できなかったということにはなりませんか? それゆえに九五年にすこし遅れて、それ以前にはメジャーでなかった書き手が新たにスターになったのではないかと。

重里 一方では沖縄の作家たちや他ジャンルの表現者にエネルギーを補給してもらい、純文学畑とはちがう、ミステリーの分野からも重要作家が輩出した。

助川 九五年以降が、ほんとうの意味での平成だと私は感じています。その「真の変わり目」の時期に、純文学の書き手にも「世代交代」があったということでしょうか。

重里 吉行淳之介はよく「文学はいちばん、最後からついてゆく」と言っていました。これは文学の誇るべき栄光でもあると思うのですが、文学は時代の潮流にすぐには反応せず、世の中の動きをしっかり咀嚼してから取りこんでいく。九五年以降の社会の変化をつかまえた小説は、しばらくして表舞台に出てきたという印象です。このころになってようやく、小説は「平成」を消化できるようになった。「平成文学」が始まったといえるのはこれぐらいの時期からではないでしょうか。

 

平成の前期と後期

助川 それにくらべて、二〇一一年(平成二十三年)の震災に対しては、文学はずいぶんすばやく応対しました。

重里 九五年以降の蓄積がそうさせたのだと思います。

二〇一一年三月からあと、ほんとうに文学が求められる時代が来ているのを感じました。東日本大震災から数週間経った頃に、現代詩の関係の方と話をした覚えがあります。私は知らない人なのに「現代詩の時代が来ましたね」といったんですけど、あまりピンと来てはもらえませんでした。けれども、「詩のことばが生きていた!」というのを、和合亮一の震災後の仕事なんかが証明していたのはまちがいない。

文学が時代に必要とされていることがはっきり見えてきた。それが二〇一一年以降の状況なんだと私は考えています。

助川 和合さんは私と同世代なんですね。震災までの和合さんは、「大きな地震がやってくる」みたいなフレーズをふくんだ、カタストロフを予感させるような詩を書いていた。

重里 いかにもポストモダン的というか、現代詩的というか、難解な作風でした。

助川 私の世代は『チャイナシンドローム』みたいな原発が暴走する映画やドラマを観たり、「荒廃した未来の風景」を描いた「マッドマックス」とか「ブレードランナー」なんかに親しんだりしていました。そういう八〇年代サブカルチャーが提示したカタストロフ、虚構の世界のなかだけにあるはずのカタストロフが、3・11の震災で現実になってしまった。私からすると、「想定の範囲外」の大惨事だからではなく、「実現しないはずの妄念」が「ほんとう」になってしまったからこそ震災がおそろしかった。和合さんにもその部分はあったと思います。

重里 なるほど。

助川 六〇年代に家電や自家用車が普及して、近代以前からつづいてきた生活様式が一変しました。そして「伝統」にかわって暮らしをささえるはずの「科学技術」や「革新思想」もアテにならないことが、七〇年代にはハッキリしてきた。
どこにも拠りどころはないのに、なぜか社会はまわっている――そんな、不確かな夢のなかにいるような感触が、八〇年代の「現実」にはありました。あの時代にくりかえし「廃墟となった未来」が描かれたのは、

「こんな無根拠な世界がいつまでも無事でつづくわけがない」

という「不安」が共有されていたからでしょう(村上龍の『コインロッカー・ベイビーズ』は、こうした八〇年代の雰囲気を見事につかまえた傑作です)。

ただし、この「不安」はおそらく「妄念」であり、世界はそれなりにまわっていくだろうと、私をふくめた大多数はたかをくくっていました。ところが二〇一一年の震災で、それが現実化してしまった。

和合さんも、震災以前は、八〇年代に兆した「不安」をひとつの軸にして詩作をしてきたひとです。だから、震災後もおなじ構えでことばをつむぐわけにはいかない。そのことを和合さんは瞬時に理解して、震災後すぐ被災者を励ます「わかりやすい詩」を、ツイッターで発信し始めた。

重里 しかし、それらの詩のなかには、わかりやすいだけでなく、ドキリとさせられるような一節もたくさんあります。和合さんの『詩の礫』は、今の日本で文学はこれだけ力を持てるんだ、というところをはっきり示しました。

助川 そのとおりです。震災によって、「妄想が現実化した衝撃」をうけていた私は、「言葉と現実のあたらしい結びつき」の姿を和合さんに見せてもらって救われました。

重里 和合さんの震災後の詩は、ほんとうに体の底から搾りだした言葉、という感じがします。

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