平成文学総括対談|第1回 文芸豊穣の時代|重里徹也・助川幸逸郎

平成の時代が今年4月末で終わる。自然災害が相次ぎ、原発事故で文明のあり方が問い直され、ネットが日本中に広がった三十年余だった。少子高齢化が加速し、グローバル化が進み、戦後日本のありようが糺された時代でもあった。
この時代に、日本文学はどのようなことを考え、何を表現してきたのか。
文芸評論家の重里徹也氏と日本文学研究者の助川幸逸郎氏が10回にわたって語り合う。

「苦難の時代」と復興

重里徹也 平成の三十年というのは、マイナスの言葉で振り返られることが多いですね。新聞記事みたいな言い方になりますが、最初がバブルの崩壊です。そして、阪神大震災、オウム真理教による地下鉄サリン事件、アメリカにおける同時多発テロ、リーマンショック、東日本大震災と続きます。海外では戦争が相次ぎ、一国主義が頭をもたげてきました。国内では戦後日本が築いてきた価値観が音をたてて崩れていきつつある。グローバル化が進み、ネットが隅々まで浸透し、AI(人工知能)や医療など科学技術はどんどん進んだ。少子高齢化や格差の問題も盛んに議論されました。

一方で、人生を意味づけるものは何なのか、人間は何のために生きているのか、無気力や退屈を生きのびるにはどうすればいいか、といった問題もさまざまなレベルで問われたように思います。激流の時代といってもいいし、暗い出来事が多かった無情の日々ともいえるでしょう。

ところが(あるいは、だからこそ)日本文学は豊穣の時代だったのではないかと思うのですね。

助川幸逸郎 世の中が好景気に沸いていた昭和末期よりも、「文学が語るべき問題」が、確固としたかたちで見えていたとはいえそうです。ただしいっぽうで、「批評」で論じられる機会はゲームやアニメのほうが多く、ジャーナリスティックな文芸批評はずいぶん規模が縮小したという印象もあります。

重里さんは、具体的にどういうところからそういう感触を持たれたのか。そこの部分からご説明いただけたらと思います。

重里 この企画に取りかかる際に、まず自分の「平成小説ベストテン」を選ぼうとしました。そうしたら、十作品になかなか絞りきれないのです。充実した作品がたくさん書かれた。これだけ粒のそろった作品が出た時代だったのだなあと感慨がありました。戦後から昭和四十年代前半ぐらいまでと比べても遜色がないように感じます。

助川 単に「いい作品がいっぱい出た」というだけでなく、コンスタントに新しい、魅力的な書き手が輩出していたのがこの時代の特徴といえる気がします。

もちろん村上春樹とか、小川洋子とか、昭和の後半からさかんに書いていた作家たちの「平成」も充実していました。そのいっぽうで、「前の世代のスター」に負けない才能が続々と現れた。

重里 質が高かっただけでなく、バラエティーにも富んでいます。物語をどんどん作るタイプにも、私小説を深化させようとしたものにも活気があった。

助川 昭和の終わりの文学状況を見ると、ちょうどマンガやアニメが「批評の対象」として浮上してきた時期ということもあり、「もう純文学は終わり」みたいなムードがありました。そして、平成に入ってまもない九二年(平成四年)、当時の純文学の旗手であった中上健次が亡くなります。これを受けて、中上と並走していた批評家の柄谷行人が、『近代文学の終わり』という本を九五年(平成七年)に刊行しました。そのなかで柄谷は「もう日本の純文学小説は歴史的使命を終えた。これからは娯楽として読まれるエンタメ小説だけしか必要とされない」と宣言した。ところがそのあとも、純文学小説は書かれつづけ、それを必要とする読者も絶えなかったわけです(笑)

重里 いろんな批評家や外国文学研究者が、「小説の時代は終わった」とか「小説の終焉」とか言っていましたね(笑)。それを横目で見ながら私は「そんなわけないだろう」という思いで見ていました。「変なことをいうなあ」って。「皆さん、それで食べているのでしょう」って(笑)。

助川 どうしてそんな風にお感じになったのでしょう?

重里 たとえば美術の世界で、「具象絵画は終わった」っていわれていた時期がありました。けれども、具象画はぜんぜん終わらなかった。幅を広げ、深化し、その可能性をさらに追求し続けている。それと同じように、小説というのは文化のなかでこんなに重要な位置を占めているんだから、そう簡単になくなるとは思えませんでした。「頭のいい人」は極端なことを言いたがるのですが、首をかしげることも多いですね(笑)。

 

「いかに」と「何を」の相克

助川 とはいえ、八〇年代の終わりに冷戦構造が崩壊して、平成が始まったころには、文学を支えてきた基盤が大きく変わったな、というムードがあったのも事実です。

重里 「大きな物語は終わった」という言葉に、あの当時いたるところで出くわしました。この言葉の内実を具体的にいうと、「イデオロギー=政治思想」の時代は終わったということだと解釈していました。

こうした風潮を反映して、文学の領域でも「〈何を描くか〉より〈いかに書くか〉が重要だ」という考えかたが主流になっていった。それで、昭和末期から平成初期にかけて、「小説を書くことについて書く小説」みたいなものがたくさん書かれました。また、そのことを視野に入れた作品がよく芥川賞候補になっていました。

助川 物語性やキャラクター描写より、方法論が前面に立つ小説が、さかんに書かれたということですね?

重里 そうですね。いわゆる「ポストモダン小説」といった感じの作品です。「小説を書く原点を問う小説」というか。「小説そのものへの問いを引き受けていない小説は、純文学小説とはいえない」といった雰囲気がありましたね。

助川 さっきもすこし触れましたが、アニメやゲームが八〇年代に「批評の対象」として浮上してきた。「フィクション=小説」とはいえなくなってしまったわけです。その影響で「小説にしかできないこととは何か」を小説にたずさわる人間は問わざるを得なくなったのではないか。「小説を書くことについて書く小説」が増えたことには、そういう背景もあったのではないでしょうか。

重里 なるほど。

助川 ところが、昭和の終わりから平成のアタマにかけて「小説をおびやかす存在」と思われていたジャンルのなかには、今や衰退しているものもあります。たとえば少女マンガがそうです。

八〇年代の少女マンガは、純文学小説みたいなプロットのがたくさんありました。デビュー当時の吉本ばななを「絵が描けないから、少女マンガではなく小説を書いている」と評するひとがいたぐらいです。ところが、そういう「純文学みたいなマンガ」は、今ではメジャーな商業誌ではあまり見かけません。

今日、ここに来る途中、川上弘美の『真鶴』を読んでいました。かなりの名作だと思いましたが、「八〇年代だったら少女マンガになった話かも」という印象も受けました。

重里 純文学小説は、ライバルとなるジャンルの富を吸収しつつ、ライバルよりしぶとく生きのびたわけですね。それだけ小説が、堅い基盤を持っているということでしょうか。

これは、出版、流通、文学賞も含めたジャーナリズムのシステムがしっかりしていることに加え、日本人の民族性と物語というものがしっかり結びついているからだと、私は思っています(あくまで直観的な印象ですが)。

いい作品が生みだされるだけでなく、そういう作品にはきちんと読者がついて、売れゆきも伸びる。ベスト・セラーになるほどではなくても、三刷、四刷と版を重ねて、世に広まっていきます。

助川 江戸時代の後半から、日本は識字率が高く、「小説を大衆が楽しむ文化」が定着していました。馬琴の『八犬伝』とかを、普通の民衆が読んでいた。幅広い階層が小説を愛好することにかけて、日本には伝統の蓄積があります。

重里 ただ、先ほど申しあげた「小説を書くことについて書く小説」がさかんに芥川賞候補になっていた時代に、「文学の不振」「小説の衰退」を感じたのは事実です。

その種類の小説を書く作家が一生懸命やっているのはわかる、そういう小説を書かざるを得ない必然性もわかる。けれどもいかんせん、このタイプの作品は私にはおもしろくなかった。

助川 重里さんがおっしゃるような小説が書かれていたちょうどその時期、一九九五年(平成七年)に阪神淡路大震災がありました。この年はすでにいわれているように、日本の歴史の大きな分かれ目になった年です。

重里 地下鉄サリン事件もありました。

助川 それからその数年後、山一證券と北海道拓殖銀行が経営破綻します。「日本の金融機関はぜったいつぶれない」という神話が崩壊したのです。

「昭和の負債の精算をせまられた平成」という言いかたがしばしばされますが、そういう側面がくっきりうかびあがってきたのが九五年からの数年です。この状況を反映したコンテンツというのがけっこういろいろあって、『新世紀エヴァンゲリオン』なんかが代表的です。

あと鬼束ちひろみたいな「世の中を呪詛する系の女性シンガー」の歌とか。

重里 宇多田ヒカルのデビューはいつでしたっけ?

助川 一九九八年(平成十年)ですから、ちょうど今、問題にしている時期です。

重里 宇多田とaikoと浜崎あゆみと椎名林檎は、確かデビューが同じ年だったと思います。

助川 「大人にぜんぶレールを敷いてもらうアイドル」から「じぶんで作詞作曲する歌姫」に、若い女性歌手のメインストリームが移行したわけです。安室奈美恵が九七年(平成九年)の年末から休養に入って、入れかわるように浜崎あゆみが「女子高校生の崇めるカリスマ」になった。小室哲哉にプロデュースされていた安室から、じぶんで「私小説」を思わせる歌詞を書く浜崎へ。この「王座継承劇」は象徴的でした(安室奈美恵も休養からの復帰後、みずから歌詞をつくるようになります)。

つまり、九五年に起きた大変化に、アニメやJポップはきっちり対応した。いっぽう純文学小説は、この時代の社会状況を反映させられなかった。同時代に起きた出来事に取材した小説はいくつかあっても、本質的な部分で事態に関与していたのは、村上春樹だけだったのではないでしょうか。

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