古代エジプト語のヒエログリフ入門:ロゼッタストーン読解|第5回 ヒエログリフの表音文字:一子音文字(後編)|宮川創・吉野宏志・永井正勝|

今回は、一子音文字の残りであり、最後の難関であるいくつかの文字をご紹介いたします。エジプト語言語学で前世紀より議論されている内容を含めて紹介しますので、やや難しくなるかもしれませんが、よろしくお付き合い下さい。

アレフ (ʾaleph)

まずは、アレフ、と呼ばれている一子音文字を勉強します。この文字はエジプトハゲワシを象っているヒエログリフです。アレフといえば、ヘブライ文字を知っている人ならご存知かもしれませんが、声門閉鎖音を表すか、もしくは、補助的に /a/ などの母音を表す文字です。しかし、エジプト文字のアレフは、以前より、歯茎側面接近音の [l] あるいは歯茎ふるえ音の [r] であるとの説(Sander-Hansen 1963, Graefe 1987, Schenkel 1987)が提示されていましたが、最近では、より古いエジプト語で歯茎接近音の [ɹ] を表すとの説 (Schneider 2003)も提示されています。研究の発展によって、これらの説が修正されたり覆されたりする可能性があり、アレフと呼ばれる記号が示す音価はまだ解明されていません。

転写:(またはPC入力上の便宜的表記で大文字のA)

ラテン文字による転写は、ヘブライ語のアレフのラテン文字転写を2つ上下に重ねたような特殊な記号 ( ʾaleph の最初の ʾ を2つ重ねたもの)を用います。便宜的な読み、つまり慣読では、アレフは /a/ で読まれます。また、前に子音がきた場合は、その子音+/a/ でも読まれます。

エジプトハゲワシ(学名:Neophron percnopterus、画像:Kousik Nandy、ライセンス:CC BY-SA 3.0)

 

アイン(ʿayin)

 

転写:(またはPC入力上の便宜的表記で小文字のa)

アインは「腕」を象形した文字で、子音を表す一子音文字です。従来はヘブライ語のアインのように喉の奥をこするようにして出す、有声咽頭摩擦音 [ʕ] を表すとされていましたが、ベルリン・フンボルト大学教授のフランク・カマーツェルらを中心に、紀元前1800年頃までは、dの音だったという説が優勢になってきました¹。有声歯茎閉鎖音 [d] が有声咽頭摩擦音 [ʕ] に変化したという説です。カマーツェルらの説では、太陽神ラーは中王国時代には紀元前1800年頃はrīduw リードゥと読まれていたが、のちにd > ʕ という変化が生じたということです (Kammerzell 2000: 98–9)。コプト語の段階でこの子音は、声門閉鎖音であったか、母音の代償延長となったと考えられますが²、古いコプト語のP方言(古テーベ方言 Paleo-Theban、原テーベ方言 Proto-Theban³、原サイード方言 Proto-Sahidic などと呼ばれます)では、このアインに相当する文字があり、さらに、声門閉鎖音に相当する文字もあるため、このP方言では、有声咽頭摩擦音が残っていた可能性が高いものと考えられます

慣用的な読み方では、アレフと同じく、aの母音で読まれます。これは、ヘブライ語でヘブライ文字のアインが補助的な母音として読まれるのと同様な扱いだと言えます。

 

ヨッド (yod)

ヨッドは「ナイルに生える葦の穂」を象った文字です。ヨッドという文字は、聖書ヘブライ語でいうと、半母音のy や補助的な母音記号のî(ḥiríq malé)やêまたは(tseré malé)の母音として読まれるものです。ヒエログリフのヨッドもそのように慣読で読んでも良いのですが、実際は声門閉鎖音を表していたと考えられています。詳しい説明はこの入門編では省きますが、慣用読み(慣読)では、語頭に来た時は、固有名詞を中心に/a/アと読む、もしくは固有名詞以外では/i/イで読まれる傾向にあり、語中や語尾では、/i/イで読まれます。それゆえ、神名である jmn は amen アメン「アメン神」、固有名詞ではない jmj「〜の中に(前置詞)」はイミとなります。

転写:j (大陸式)ı͗(英国式)

また、このヨッドの文字は、方式によって転写が異なります。ヒエログリフの転写の方式は伝統的なものとして、英国式と大陸式があります。英国式は主にSir Alan Gardinerの Gardiner (1927) など、イギリスのエジプト語学者が用いていたため、この呼び名で呼ばれています。これに対して、大陸式はEdel (1955) やHannig (1995) などドイツを中心にしたエジプト語学者が用いていました。最近では、アメリカのAllenも大陸式を用いています。英国式はı͗となります。注意すべきは、上部が点ではなく、ʾalephのʾになっていることです。一方、大陸式はjで転写されます。ただし、英国式や大陸式は一枚岩ではなく、学者によって違いがあります。また近年ドイツではチュービンゲン学派や大陸式を発展させた新しい世代のベルリン学派(Berliner Schule)で独自に発展した転写が使用されているため、さらに複雑です。この入門編では、ヨーロッパ大陸の学者だけでなく、アメリカのJames P. Allenなども用いている、大陸式を使います。しかし、5巻からなる世界最大のエジプト語辞書であるWörterbuch der Ägyptischen Spracheを発展させた、エジプト語最大の辞書かつコーパスであるThesaurus Linguae Aegyptiaeは古い世代のベルリン学派の方式を主に用いています。

 

二重のヨッド

 

転写:y

これはヨッドを重ねたものですが、通常は語頭には現れません。語中・語尾に現れた時は、イで発音されます。単独で現れるヨッド j と区別して y と転写します。

 

ワウ(waw)

これは /w/ の音を表す既出の文字ですが、アレフ、アイン、ヨッドのように少し特殊な子音転写であるため、ここで改めて紹介することにします。この文字は w で子音転写されますが、慣読では語頭で w の子音+eで読む人と、母音のuで発音する人がいます。例えば、エジプト語には wsr「力強い」という単語は、ウェセル(weser)あるいはウセル(user)と便宜上読まれる可能性があるということです。ただし、どちらの場合でも、語中や語尾では母音のuとして発音される傾向にあります。例えば、nswt「上エジプトの王」はネスウト(nesut)と慣習的に読まれます。

転写:w

 

その他の文字

実は「二重のヨッド」と「ワウ」を示す文字には、別の文字も存在しています。

二本の斜線で表される文字は、二重のヨッド y の省略だと考える説もありますが、使用法を細かく確認すると、実は二本の斜線と二重のヨッドが必ずしも等価ではないことがわかっています。このことから、元祖のベルリン学派 (Erman 1894: 6) やいわゆる新しい世代のベルリン学派¹⁰の研究者などは、両者を別の文字だと考えて、i にトレマの付いた ï を使って転写しています。本連載でもこの新しい世代のベルリン学派の転写法を使います。

転写:ï

下にある渦巻きのような文字は、ウズラのヒナを象ったwのヒエラティックの字形をヒエログリフに直したものだと考えられています。この文字は、第4王朝時代の事例が報告されていますが(Schweitzer 2005: 519)、ヒエログリフでの使用が一般化するのは第18王朝時代のアクエンアテン王以降だと言われています(Gardiner 1927: 521)。このように、ヒエログリフとして登録されている文字には、ヒエラティックに由来するものがいくつか存在しています。

転写:w

今回は、エジプト語の文字の音価について、特に日本では馴染みの薄いものを取り上げました。とは言え、アレフとアインの音価については、学術と一般の別を問わず、世界的に使用者の多い中エジプト語辞典のHannig (1995)ですでに紹介されているものです¹¹。それゆえ、特にアレフとアインについては、Gardiner (1927)で紹介されていた音価が学問の最前線で改められつつあることが、一般の方が目にする辞典においてすら、海外では20年以上も前に紹介されていることになります。今回、このようなかたちで日本の読者に向けて海外(特にドイツ)で議論されて来た学説の一端を紹介できたことを大変に嬉しく思います。

 

Rainer Hannig博士によるエジプト語の辞典 “Hannig-Lexica” 全5巻。手前の3冊がGroßes Handwörterbuch ägyptisch-deutsch (2800-950 v. Chr.): die Sprache der Pharaonenの版違い3冊(Hannig 1995, 2006, 2015)。[永井蔵書、ライセンス:CC0]

次回は、一子音文字全体の復習と、一子音文字で書かれた簡単な神名の読解に挑戦します。

 

[注]
1 Kammerzell 1998a: 29; 1998b: 2–7を参照してください。アレフと呼ばれるエジプト語の子音が/d/を表していた可能性が高いことは、エジプト語とセム諸語の同源語の対応からわかります。数多くの対応の事例は、Rössler (1971: 275–77, 285–6)によって示されました。
2 宮川(2017: 182–3)を参照してください。
3 Kasser (1991)を参照してください。
4 Kasser (1960)は、このP方言の旧約聖書『箴言』の、ジュネーブ近郊のボドマー・コレクションにある写本のテクストです(P. Bodmer VI)。現在は、これらの特殊な文字が使われている写本の写真を、IIIFという規格が用いられたMiradorと言うアプリによってBodmerLabのホームページで見ることができます。https://bodmerlab.unige.ch/fr/constellations/papyri/mirador/1072205347
5 ただし、Ermanは英国式を用いていることもあります。Erman (1894: 6) などを参照。
6 Werning (2015) が好例。
7 Allen (2000: 14)などを参照。
8 Erman & Grapow (1957–1961)。
9 略称はTLA。http://aaew.bbaw.de/tla/index.htmlからアクセスできます。
10 Werning (2015)が新しい世代のベルリン学派の最新の文法書であり、この学派の転写法はこの文法書のpp.8–11に詳しくかかれてあります。
11 Hannig (1995: XXIII–LIX) に掲載されている Frank Kammerzell による “Zur Umschreibnung und Lautung” で説明されています。ところが、Hannig (1995)の改訂版であるMarburger Edition (Hannig 2006, 2015)には、このカマーツェルの論考が含まれておりません。このように、同名の辞書であっても版によって内容が異なりますので、学術的な利用に際しては、可能な限りすべての版を確認しておく必要があります。

 

参考文献

Allen, James P. (2000) Middle Egyptian: an introduction to the language and culture of hieroglyphs. Cambridge: Cambridge University Press.
Edel, Elmar (1955) Altägyptische Grammatik. Rome: Pontificium institutum biblicum.
Erman, Adolf (1894) Ägyptische grammatik, mit schrifttafel, litteratur, lesestücken und wörterverzeichnis. Berlin: Verlag von Reuther & Reichard.
Erman, Adolf. and Herman Grapow (eds.) (1926–61) Wörterbuch der Aegyptischen Sprache. Berlin: Akademie-Verlag.
Gardiner, Alan H. (1927) Egyptian Grammar: being an introduction to the study of hieroglyphs. Oxford: The Clarendon Press.
Graefe, Erhart (1987) Mittelägyptische Grammatik für Anfänger. Wiesbaden: Otto Harrassowitz Verlag.
Hannig, Rainer (1995) Großes Handwörterbuch ägyptisch-deutsch (2800–950 v. Chr.): die Sprache der Pharaonen. Mainz: Verlag Philipp Von Zabern.
Hannig, Rainer (2006) Großes Handwörterbuch ägyptisch-deutsch (2800–950 v. Chr.): die Sprache der Pharaonen. Marburger Edition. 4. überarbeitete Auflage. Mainz: Verlag Philipp Von Zabern.
Hannig, Rainer (2015) Großes Handwörterbuch ägyptisch-deutsch (2800–950 v. Chr.): die Sprache der Pharaonen. Marburger Edition. 6. unverändert Auflage. Mainz: Verlag Philipp Von Zabern.
Kammerzell, Frank (1998a) “The sounds of a dead language. Reconstructing Egyptian phonology.” Göttinger Beiträge zur Sprachwissenschaft 1, 21–41.
Kammerzell, Frank (1998b) “Topics in Egyptian Language Studies.” Lecture at the Hebrew University of Jerusalem on 31 March 1998.
Kammerzell, Frank (2000) “Egyptian possessive constructions: a diachronic typological perspective.” STUF – Language Typology and Universals, 53(1), 97–108.
Kasser, Rodolphe (1960) Papyrus Bodmer VI: Livre des Proverbes. CSCO 194. Louvain: Secrétariat du Corpus scriptorum christianorum orientalium.
Kasser, Rodolophe (1991) “Dialect P (or Proto-Theban).” In: Aziz Suryal Atiya (eds.), The Coptic encyclopedia, volume 8. New York: Macmillan. A82a–A87b.
Rössler, Otto (1971) “Das Ägyptische als semitische Sprache.” In: F. Altheim & R. Stiehl (eds.), Christentum am Roten Meer, Vol. 1, Berlin & New York: Walter de Gruyter, 263–326.
Sander-Hansen, Constantin E. (1963) Ägyptische Grammatik. Wiesbaden: Otto Harrassowitz Verlag.
Schenkel, Wolfgang (1987) Einführung in die klassisch-ägyptische Sprache und Schrift. Tübingen: Materialien zur Vorlesung.
Schneider, Thomas (2003) “Etymologische Methode, die Historizität der Phoneme und das ägyptologische Transkriptionsalphabet.” Lingua Aegyptia: Journal of Egyptian Language Studies, 11, 187–199.
Schweitzer, Simon D. (2005) Schrift und Sprache der 4. Dynastie. Wiesbaden: Otto Harrassowitz Verlag.
Werning, Daniel A. (2015) Einführung in die hieroglyphisch-ägyptische Schrift und Sprache Propädeutikum mit Zeichen- und Vokabellektionen, Übungen und Übungshinweisen. Berlin: Humboldt-Universität zu Berlin, Exzellenzcluster 264 TOPOI.
宮川 創 (2017)「コプト・エジプト語サイード方言における母音体系と母音字の重複の音価:白修道院長・アトリペのシェヌーテによる『第六カノン』の写本をもとに」『言語記述論集』9: 173–188.

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