言語展示学~ことばの宇宙を届けたい|第2回 言語展示って?(2)|菊澤律子

 

展示は、文章や講演とは異なる形でのコミュニケーションですが、その制作にあたっては、一般の情報発信と同様に、まず、何を伝えたいのか、テーマがはっきりしている必要があります。言語展示では、言語の何を見せたいのか、シグナルからなる人間の言語をモノとして見せる方針と方法について、手探りが続きました。

 

モノの展示とことばの展示

「ことばはおもしろい。そのおもしろさを伝えたい。ことばは複雑だ。でもその複雑さには規則がある。パズルのような、規則を見つける楽しさを知ってもらいたい。そして、ひとつひとつのことばには、人間の文化や、社会や、認知能力や、歴史や、いろいろなことが蓄積されている。ことばを通してみることができる、人間や社会のいろいろな側面を伝えたい。そして、普段は空気のような存在であることばの本質とはいったい何なのか、ちょっと立ち止まって考えるきっかけも作ってみたい。」

2009年に言語展示場のリニューアルオープンを紹介したときの講演メモをみると、こんな風に書いてあります(写真2-1)。私たちのチームが最終的に決めた展示のテーマは「ことばのおもちゃ箱」です。普段のいろいろなことばのかけらを、展示場で手にとってもらえるように。なにかひとつ、ことばに関するお気に入りをみつけて、持ち帰ってもらえるように。そして、外国語の授業とは違うコトバに触れてもらえるように。そんな気持ちがありました。でもこれは、博物館全体の展示の方針とはある意味、大きく異なるものであり、ここに到達するまでには、それなりの経緯がありました。

 

写真2-1 みんぱくゼミナールでは、新しい言語展示場を紹介した。

 

民博は民族学、もう少し一般的な言葉でいうと文化人類学の博物館です。内部には研究部があって大学と同様の研究組織があり、名称は博物館ですが、専門家の間では「研究所」という認識になっています。その研究成果を発信する場が展示、という位置づけです。展示場は、通文化展示と呼ばれる音楽と言語を除いて、すべて地域ごとに分かれており、それぞれの地域における文化や社会の側面を切り取りモノで見せる形の展示となっています(写真2-2)。その文化や社会の切り取り方が、「民博における最新の研究成果の発信」の前提となっているわけです。ところが言語展示では、まず、そこでふたつの困難に直面することになりました。

 

写真2-2 民博のオセアニア展示。地域展示場ではモノの展示を核として地域の文化や社会を紹介する手法をとっている。

 

ひとつめは、ここまですでに何度か述べたように、言語がシグナルであり、静止した形でみせられるモノではないこと。展示物を並べて博物館のようにしようとすると、第1回で述べた文字の(遺物)の展示になってしまい、言語の本質とは異なるものになってしまいます。ふたつめ、そして、より本質的な問題としては、言語学の最新の研究成果は、そのまま一般の人にみせても面白くないし、理解できないことです。

たとえば、主語、動詞、目的語、という言い方は外国語学習などで馴染みのある用語だと思いますが、主語という語は、言語学的には、定義にさまざまな問題を含んでいます。なにをもって主語とするのか、意味的な定義(動作をする人を主語とする)と、形態的な定義(主格で現れるものを主語とする)と、統語上の定義(文の中で特定の機能を持つものを主語とする)の間ではずれが起き、それがどのようにずれるのかを理解していることが研究の前提となります。そしてそこから対象とする言語の分析が始まり、その分析の結果が最新の研究成果だということになるので、最新の研究成果を理解するためには、そこまでの言語学的な知識を理解していることが前提となります。文化人類学関連の講演などを聞くと、扱う対象が社会や文化などであるため、学術的に前提となる知識がなくても、理解しやすい、少なくとも理解した気持ちになりやすいと感じます。少々乱暴なたとえかもしれませんが、私は文化人類学の展示と言語の展示の違いは、生物の展示と物理現象の展示の違いに似たものがあると思っています。生物であれば、とりあえず生物の標本をみればわかったような気持ちになれますが、物理現象は、数式や理論が前提になるので、標本のような静止しているモノを置くだけでは展示になりません。

ところが、リニューアル当時、民博の文化人類学者が持っている「言語展示」のイメージを聞くと、「イヌイットの言語には雪の状態を表す言葉がたくさんある」だとか、個別の色がどの基本色名で呼ばれるかが文化によって大きく異なるとするバーリン&ケイの「色の識別順序」の話だとか、民俗分類のような、一般でよく話題になり、かつ、言語学からみると周辺領域に属するものばかりがでてきました。のちに述べるように、これらの展示も文脈によっては必要かつ効果的ですが、人間の「言語」に対する理解にどのように役に立つのか?という視点からみたときに、それは展示の中心となるものではありません。同じ機関にいる言語学者としては、日ごろ、内部でも、非言語学者にわかりやすい部分のみを選んで情報発信をしてしまっていたことに対して、大変反省した次第です。そのこともあり、やはり、まず言語学者として何を見せたいのかを考えることは重要だと思いました。

 

世界のことばとことばの世界

具体的な制作のプロセスは、このあといろいろな文脈でお話することになると思いますので、ここではまず、最終的に私たちが選んだ、民博の言語展示のコンセプトを簡単にお伝えしたいと思います。私たちの展示場には「世界のことば・ことばの世界」というテーマが掲げられています(写真2-3)。これには、ふたつの「みせたい」ことが含まれています。ひとつめは、世界のことばについて。世界で話される7,000という言語にどんなものがあるのか、また、その7,000言語はいずれも等価であって、音声か手話か、公用語であるかないか、文字の有無や話者人口の多寡によって、その値打ちは少しも違わないことを伝えたいと思いました。ふたつめは、ことばの世界について。人間の言語がどのように脳の中で生成されて、最終的にシグナルになるのか、そのメカニズムがどのように言語の構造に反映されているのか、それを知ってもらいたいと思いました。外国語の学習では、実用面が中心になってしまい、言語学者でない限り、なかなか、そんな言語の本質的な部分に触れる機会が日本では少ないからです。そして、ここまで決まっても、それが展示の形になるまでには、まだまだ長い道のりがあるのでした。

 

写真2-3 民博の言語展示場

 

 

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